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教員を「細く」「長く」続けていけたら

教員になったけれども、一生懸命頑張りすぎて数年でやめてしまう人が多い。
私もまだまだ2年目なので他人事とは思えない。
やめたいと思う日もあるし、数年後、教職を離れる日が来るのかもしれない。
でも、先輩の先生方を見ていると、教員は長く続ければ続けるほど良い仕事なんじゃないかとも思う。
今日はそのことについて書きたいと思う。

続ければ続けるほど給料が上がり、仕事が楽になっていく

まず、教員はたとえ私立であっても公務員的な性質を持っているので、給料は基本的に年功序列で上がっていく。

また、何年も続けていると、同じ学年を何度も繰り返し担当することになるので、授業を新しく作る必要がなくなる。
もちろん、毎年授業に改善は加えていくことになるが、同じ学校で勤務し続けている場合は、生徒の雰囲気や学力もある程度一定なので、授業を大きく変更する必要はない。
修正するとしても、0から1を生み出すのと、すでにある1を修正するのとでは労力が全然違うはずだ。
また、様々な生徒を見てきた経験があれば、どんな奇行をする生徒と出会っても落ち着いて対応することができるようになるだろう。

自分のライフステージによって、できる教育も変わっていく

また、教員は自分のライフステージによってもできる教育が変わっていく仕事だと思う。

例えば、20代独身の教員は、生徒と同じ、若者としての視点を持っている。そのため、年配の先生方よりも彼らの気持ちや価値観を理解することができる。
かくいう私は、ギリギリZ世代に入るか入らないかくらいの世代だ。
中学生の時にスマホが登場した世代で、学生時代をスマホやSNSとともに過ごしてきた。
その点、年配の先生方よりも、彼らの気持ちを理解可能なものとして捉えられている気がする。

そしてこの先、自分が30代、40代になり子育てするようになれば、保護者対応や生徒指導を通してできることも変わっていくかもしれない。
50代になると、社会全体の問題がきっとより鮮明に見えてくるようになって、そうしたらやりたい授業も変わっていくだろう。
そんな風に、自分にできる仕事が変わっていくのは面白いだろうし、教員の良さなのかなと思う。

何かを続けた人にしかない「味」がある

また、1つのことを長く続けている大人には、味(?)のようなものがあるようにも感じる。
まだ上手く言語化できていないのだが、学生時代からなんとなくそう思っている。

最近、「我慢しない」「自分の幸せを最優先に」という価値観が広まってきていて、転職をする人、独立する人が増えてきている気がする。
私も、それらの価値観には賛成する。自分の幸せが一番大事。
仕事が辛すぎるなら、さっさとやめたほうがいいと思う。
メンタル壊したらなかなか戻らないってよく聞くし、逃げが必要なときも絶対にある。

でも、一つのことを続けた先にしか見えないもの、たどり着けない場所があるような気もしている。
それが何かはまだ分からないけど、何かがある気がする。

だからもし、色々とモヤモヤすることはあったとしても、メンタルを壊さずにどうにかやっていけるレベルなのであれば、
色々と工夫しながら「細く」「長く」続けるのも、一つの手なんじゃないかと思う。
この世に自分に100%ぴったりな仕事なんて、なかなかないし。

そんなこんなで、最近の私の目標は、「教員を細く長く続けていくこと」だ。
頑張りすぎるとやめたくなってしまうので、頑張りすぎないで、細く長く続ける。
それで、自分の成長を10年20年単位の長い目で見ていこうかなと思っている。

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