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外国語の苦手な自分が、子連れで北京に引っ越し現採で働くまで

東京と北京で広告の世界で働き、本帰国後の2018年からグランドデザインのクリエイティブディレクターとして参加してます。
20~30代はバックパッカーの連れ合いと共に、旅と仕事を同等の価値観で生活してきた流れ者です。

そんな私ですが、7年数ヶ月の間北京に住んでいました。外国語。それも中国語なんて全く学んだことのない自分ですが何とかやってこれたので、ちょっと書いてみたいと思います。
海外転職なんて怖くない。そう思っていただけると嬉しいです。

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プロローグ

もう10年も前の話になります。10年勤務していた仕事を辞め、2008年~09年は保育園児の子供2人を連れて、家族で世界一周をしていました。(この話はまた今度にでもお話ししようかと思います)
日本帰国後は、ボチボチ病院で働いたり(基本的にデザイン業をメインにしていますが、臨床検査技師の腹部超音波検査が専門でもあります)していました。そんな風にフワフワと生活を送っていたのですが、夫が北京の会社へ呼ばれ転職する運びになりました。急な展開。未知の国、中国!私は中華料理を食べるとアレルギー反応で高熱が出るという厄介な体質。言葉もニーハオと杏仁豆腐・青椒肉絲しかわからない自分でしたが、2月に出発した夫に半年遅れの8月。家のもの大部分を処分し必要最低限のものを海外引っ越し便に乗せ、子供2人を連れて北京へ出発しました。企業や公的な催しの海外転勤説明会などは駐在者受けなので相手にされず。体当たりの引っ越しでした。

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2010年、夏。北京へ

ようやく到着した北京。暑い日は40度越えますが、日陰に入れば湿気が少ないため結構快適。中国のマンションは日本の2倍の広さで家具付き。近くにユニクロやアップル、スタバやファーストフードもあり、生活しやすそうな環境。でも、まだまだやることは盛り沢山。出発前は在日本中国大使館や指定病院で帯同VISAの取得や海外引っ越し手続きを済ませましたが、到着後はもっと手続きが山盛り。
・現地の身体検査と外国人登録
・居住申請
・大使館へ登録申請
・こどもの幼稚園・学校探しと通学手段の確保。
・入学準備の身体検査証明書
などなど。
やるべき事はリストアップ出来ますが、手続き場所と方法はwebで調べても「業者に頼みましょう」と出てくるばかり。期限は2週間。知り合いもいない。言葉も通じない現地で子供二人抱えて一瞬途方に暮れるのでした。こんな時に限って子供って熱を出すんですよね。
あれ?手続きって会社がやってくれるでしょ?と思う方は多いと思いますが、駐在じゃないので。自分のことは自分でカタをつけなきゃいけません。しばらく経ったところで、ようやくハラを括りました。

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母さんネットワーク最強!現地で知り合いを見つけよう

幼稚園や学校など、海外生活クチコミサイトなどでリサーチしてリストは作っていましたが、言葉の問題で思うように手続きできません。
北京到着から1週間後。当時の北京育児コミュニティ「ココちゃん家」にお邪魔することにしました。
目的は2つ。幼稚園探しの解決と現地小学校の入学方法。日系や英語系の幼稚園は完全に駐在者向けの値段設定。間をとって、英語も何とか通じそうでお値段控えめの、ローカルのバイリンガル幼稚園に狙いを定めていました。
偶然にも、居住する公寓近くに日本人がいると教えてもらい、後日紹介を受けることに。暗中模索だった日々に微かな光が差してきました。
あとは公的な各種手続き。期限が1週間を切ったところです。
インターネットで検索しても、情報が古かくて到着できない・到着しても書類の不備で突き返される、など。手続きが進みません。
ようやく探し当てた外国人登録所で、熱を出した子供を抱きながら交渉に苦戦していると1本の電話。午後にでも現地幼稚園に通わせている日本人を紹介していただけることに!しかも、同じ公寓に居住しているそうで。幼稚園探し、日本人学校の通学手段が見つからない問題も、全て解決。(彼女からは現地の買い物や習い事、日本人母さんとの付き合い方や中国語学校など全て教えていただきました。HSK6級を取得した努力家の彼女は北京の恩人です)。後日、同公寓に日本人母2人もいることが判明。大変お世話になりました!
この後の数日間の記憶は、大変すぎて記憶がおぼろげになっています。
何度も遠くの体格検査所に通っているうちにレントゲン写真を無くしてしまったり、小銭がなくてタクシーをタダにしてもらったり。。中国語がわからないと生活していけない事だけは身に染みた夏でした。

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現地幼稚園の宿題って?

バイリンガル幼稚園に入学した息子くん。先生とは英語で意思疎通できるかな?と思った私は甘かった。英語授業はあるものの、園内は中国語オンリーでした。保護者の集まりでは英語で通訳をしてくれるお母さんがいたりして、ホント皆様に助けられながら毎日を送っていました。しかし暫くして困った問題勃発。教育が盛んな中国ですから幼稚園でも宿題が結構出ます。しかし幼稚園の宿題がわからない私。スクールに通い出してはいたものの、中国語がまだ読めないのですから。やはりここは現地の方の力を借りることに。公寓敷地内のベンチに座り教材を広げると、目論見通り何やっとるの?と、好奇心旺盛な子供や子守のおばあちゃん達がワラワラと寄ってきてくれます。外国人だから宿題が分からなくて。。とカタコトの中国語で伝えると、ワイワイとみんなで宿題を教えてくれるのです。
アヒルがガーガー。ネコはニャーニャー。とか幼稚園の宿題は辞書に載ってないので、ご近所の方を見方につけちゃいましょう!みんな優しいです。
あ、子供の中国語は1年も経てば話し始めました。

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北京お仕事始め

午前は中国語スクールに通う日々を過ごしているうちに、何だか物足りなさと寂しさを覚えてきた頃。思ったよりも語学上達が遅い自分に見切りをつけ、現地で働くことにしました。専業主婦になったことがないのでアセリがあったかもしれません。先ずは日本語のフリーペーパー制作会社に就職。激混み地下鉄通勤!VISAも帯同から就労VISAに書き換えました。仕事探しは日系の転職サイトやフリーペーパーで見つけると良いです。北京の言葉や店など基礎知識ができたとことで、もっと慣れた世界に戻るべく、日系の大手広告代理店に転職。会社が自宅近くだったので、徒歩で通勤する健康生活が始まりました。日本での仕事内容と同様のクルマ広告関連だったので、古巣に帰った気持ちです。仕事で撮影スタジオに行くと、日本でお世話になった照明スタッフと10年ぶりに再会。懐かしいやら嬉しいやら。
毎朝5時半に起床。小学生向けにお弁当を作り、園児を連れて6時に668番のバスに乗り登園。またまたバスに乗り、8時半〜9時ごろ会社に到着。午後7時に徒歩で帰宅。という、生活ベースができました。
学童がないので、ちょっとした育児と家事は同公寓の友人から紹介を受けたアイさん(お手伝いさん)に全任。アイさんを頼めるので、母と子の単身(?)赴任されている方もいます。歴代アイさん全員がお料理上手で餃子は絶品。中国食材も教えていただきました。
そういえば、2012年ごろから外国人にも課せられた5金。私は手続きしてないのですが、外国人は収めた年金が取り戻せるので、本帰国前の手続きをお忘れなく。英語サイトで調べると出てきます。かなりまとまった金額になるので、コロナが収束したら、私もまた手続きのチャレンジをしたいと思ってます。

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北京の小中学校について

今はどうかわかりませんが、外国人は現地小学校に入学できないと言われました。公立幼稚園も場所によっては外国人料金なのでかなりお高い。家裏の幼稚園を受験したら、外国人はローカルの10倍の月謝!インターと同等のお値段(当時)でした。
ローカル小学校では、芳草地小学は外国人も受入れますが、教科書は中国語です。当時は宿題も膨大でしたが、中国語能力はかなり鍛えられます。
公立中学校は外国人向けに指定の学校がいくつかあります。当時はIB(インターナショナルバカロレア)の55中学は英語授業ですが、他中学は中国語の教科書でした。北京の中学は6年制なので7年生〜12年生が在籍。制服はローカルに合わせたジャージと、学校によっては外国人クラスのみ日本のようなブレザースタイル制服が支給されます。生徒会主催のイベントが多く、修学旅行も毎年実施されて楽しかったようです。これも学費に含まれています。
北京の日本人学校は中学生まで。高校生になったらローカル校かインターか、はたまた日本やシンガポールなど寮のある海外学校に行かせるかの選択を迫られます。我が家はいつ帰国するのか、そのまま違う国へ引っ越すか分からない状態だったので、子供が小学6年生の夏に少し飛び級?して7年生で現地中学の国際クラスに入学しました。入学テストはありますが、希望すれば5年生や6年生、8年生にも入れます。1クラスは10人程度で、7年生(中1)は11〜15才年齢も国籍も様々。ローカル中学といっても外国人は現地の子供達とは別クラスで別校舎なので、2つの学校が共存している状態。今は小学生から受け入れが始まっています。
国際クラスの生徒は母国語が多彩なので、微信(中国のLINE)チャットの会話は英語か中国語で!と、子供同士でルールを作っていたようです。

最後に

その後、数年経った11月。日本への本帰国をしました。急な本帰国決断という事と、子供の高校受験ギリギリのタイミングだったので、またもや一騒動だったのですが、長くなるのでここでは割愛させていただきます。
とにかく、国を動くと最初と最後はバタバタの生活になりますが、自分からアクションを起こせば、必ず助けてくれる人はいると信じています。
これから海外転職や引越しを考えている人には、もっともっと伝えたいことがありますが、勇気を持って一歩を踏み出してみてください。
周りに迷惑をかけながらの北京生活7年ちょっと。私にとっては感謝の言葉しか浮かびません。支えてくださった皆さま。本当にありがとうございました。
私が受けた親切のバトンが、少しでも誰かに届くと嬉しく思います。

中国の過去記事です

https://note.com/grand_design/n/nd38dbbebd480

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