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生きやすいとはなんだろうか。








生きやすいってなんだろうか。











毎日ご飯が食べられて、食料も十分にあって
寒さや暑さを凌ぎながら過ごせる住居があって
衣服だってある程度のおしゃれには困らないほど持っていて
自分の趣味や好きなことに投資できるお金も少しだけどあるのに
どうして生きづらさを感じるんだろうか。







女の子だからという言葉。

結婚したら男性姓を名乗るという謎のスタンダード。

可愛いが正義と定義付けられた女性に対する広告の数々。



知らず知らずのうちに刷り込まれた定義によって
生きづらいって考えてる人が多いのでは、
そんな風に思うことが増えた。

















金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」に出てくる一節。



みんなちがって、みんないい。





あなたが持っている才能をわたしは持っていないけれど、
お互いに優れた点を持っているよという詩だと
当時幼稚園児だった私に園長先生が教えてくれた。


どうして園長先生がこの詞を当時幼稚園児だった私たちに
教えようと思ったのか、その意図はわからない。
ただ、私たちの感性を豊かにするためだけに詩を教える時間を
設けていたのではないということは何となく理解してたと思う。




才能で優劣をつけるのではなくて、ここの個性が一番大事なんだと
年々年を重ねるにつれ、私はこの詩の理解を深めていた。

また、私ほかのひとと考えがずれてる...?って
小さな不安が生じる度にこの一節を思い出しては
自分を強く持つことを心がけていた。









だけど、最近自分の考え方がマイノリティなのではないかと
思わされることが多く、余計に生きづらさを感じている気がする。

何か自分の意見を発した際に、同意を求めているわけではなくて
こういう考えを持っている人もいるんだねくらいの気づきでいいのに。









みんなちがって、みんないいはダメなの..?




このモヤモヤが有る限りきっと何かしら生きづらいと感じてしまうんだろうな。








とりあえず美味しいもん食べてハッピー指数あげてこよ。
















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