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ピテカントロプスになって

かつて流行った歌の歌詞を、突然思い出した。

今日 人類がはじめて 木星についたよ

たま『さよなら人類』作詞:柳原陽一郎

「たま」という4人グループの『さよなら人類』という曲のサビである。
当時、一世風靡した記憶がある。1990年発売だそうだ。

その頃の私は、こういう曲調があまり得意ではなく、正直「アホっぽさ」さえ感じていたために歌詞を気にしたことがなかったのだが、ふと思い出したついでに歌詞を調べてみた。

牧歌的で、どこか童謡を思わせる曲とは真逆に、とりようによっては大変恐ろしい内容で驚いた。
もうまるで、混とんとする今、現在、今日、この瞬間を予感しているようだ。

その謎めいた歌詞、特に冒頭で取り上げたサビの部分が、どのように解釈されているのか興味が湧き、いくつかの解釈を読んでみたところ、私は更に驚いてしまった。

史上初の全面核戦争に突入

という意味だと書かれていた。

私が驚いたのは、解釈の内容そのものではない。創り手の意図が明らかにされぬまま、勝手に、断定的に解釈されていることだった。

もしかしたら、あの当時のインタビューか何かでそのような意味だと明らかにされていたのかもしれない。
しかし、もうそれは創り手の言葉ではなく、ミームとなって、見知らぬ大勢の人の手柄となっていた。

私が、拙いながらも物語を書き、または絵や漫画を描く時、受け手の解釈の余地を残すよう心がけてはいるものの、誤解されぬようパッチを充てて堅牢にしてしまう。
去年、『ニューヨークの香水屋』という短編小説を書いた際に、ある方に読んでいただいたところ、「もう少しぼやかして、読み手に想像させるようにしたらもっと良くなるのではないか」というような主旨のアドバイスをいただいた。
多くの文学作品に精通しておられる方の意見はさすがだった。
私自身も、少し書きすぎたと気にはなっていたのだ。


作品にはいろいろな解釈があって良い。それが作品を観賞する醍醐味であり、創り手にとっても想定外の解釈に遭遇すると、それはまた次の作品への足掛かりになるものである。

しかし、もしもこれが「作品」に込めた「意見」や「思想」だったら、「言いたいことはちょっと違うんだけど…」と反論してしまうかもしれない。

しからずんば、ピテカントロプスになって、人類の戯言には無関心でいたほうが、心の安らぎが得られるのだろうか…。

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