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食べ物への恨みは恐ろしい

食べ物への恨みは恐ろしい。
「食べ物の恨みは…」のタイプミスではない。
それは自分に向けた、食べ物に対する恨みである。


その日開催されるコンサートの会場にたどり着いたのは、11時20分近く。
一度食事をしてみたかった会場2Fの精養軒は、階段の下まで行列ができており、予定より遅く到着した私は、その時点で精養軒に入ることができなかった。

12時開場、13時開演、健常な方なら別の飲食店で食事をしても十分間に合うだろう。
だが、車椅子の私は、エレベーターやスロープを求めて遠回りを強いられ、お手洗いには時間がかかり、会場に入ってあれやこれや、とにかく何でも時間がかかる。まして雨の日だ。
それを想定して家を出てくるのだが、あまり早すぎてもヘルパーさんたちが大変だろうと思い、ベストなタイミングを見計らって出てきた。

他にも飲食店はたくさんあるが、改めて移動し、席に空きがあり、かつ車椅子で入れるところを探していれば、あっという間に時間が経ってしまう。
遅くとも12時20分には会場入りしたかった私は、他の飲食店に行くことも諦め、もういいやと投げやりになって、すぐそばのコンビニで目に入ったサンドイッチを買い、雨をしのげるところで雑にお腹に放り込んだ。
味もよくわからなかった。

こんな雑な食べ方をしたのがいけなかった。
終演後、看板やサンプルでみかけるメニューがとても魅惑的に見える。しかし、空腹を感じているわけではない。
食事による満足感を、脳が認識していなかったのだ。

その後、帰りに寄った某所で悲しい目に遭い、2人分の交通費(ヘルパーさん×2+私)を無駄払いしてしまった。
それから、空腹感があるような、ないような、しかし食べたいという気持ちは完全になくなっていたため、その日はもう何も食べないで寝てしまった。

なんて日だ!

「もしも」なんてずるいことを言っても仕方がないが、あの時、きちんと自分が納得する食事をしていたなら、たとえそれがコンビニのサンドイッチであれ、おにぎりであれ、私は「これが食べたい」と明確に意思表示をして食べていれば、その日があまり良い日でなかったとしても、「美味しいもの食べられたからいっか」と思えたかもしれない。

私は、雑に食事をとってしまったことを大変後悔した。


次の外出では、ちゃんと選んで、味わって、胃も脳も満足させよう。

食べ物への恨みは恐ろしい。

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