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二宮金次郎はバカだ

立派な方に向かって何てことを言うのだ!

いや、私が言った言葉ではない。養護学校時代の恩師の一人が言ったのだ。


以前、私は法律を学ぶために、大手の予備校の通信教育を受けていた。
「ブルドーザー」と呼ばれていた講師がいた。講義を取っていたわけではないけれど、その講師の時間術の本を読んだことがある。

お若い頃は悩み、自ら命を断ちたいと思ったこともあるそうで、ある時、何かのきっかけで猛烈に勉強して弁護士になった。
見るからにパワーのありそうな風貌だ。

隙間時間はいくらでも作れる。
信号待ちに一件電話する、交通機関の待ち時間に仕事を一つ片付ける、あらゆる隙間時間にその日の予定をこなす、そんなようなことが書いてあった。

私のルーティンの中で、同じ方法をもってやってみたが、できなかった。


最近読んだ記事で、1年間で70冊以上の本を読む方法というものがあった。
食事時、食べながら読む、洗い物をしながら・掃除をしながら、オーディオブックを活用する…
あらゆる隙間時間を使えば、驚くほどたくさん読めると書いてあった。

私は食事をしながら本を読みたくないし、何かをしながらオーディオブックを聴くというのも集中できないので無理だ。

それで、タイトルの言葉を思い出した。

二宮金次郎こと、二宮尊徳は江戸時代後期の思想家であり、学校などに建てられた「二宮金次郎像」で有名な人物だ。
子供の頃から大変苦労し、努力した人であったらしいが、あの像のように歩きながら本を読み、勉強していた姿が本当であったかどうかは定かではない。
真偽はともかく、恩師はこのように言った。

二宮金次郎はバカだ。
歩きながら脇目も振らず本ばかり読んでいる。ずっとそんなことをしていたら疲れてしまうし、周囲には多くの景色(情報)があるというのに見ようとしないのはもったいない。

恩師

隙間時間をみっちり活用して、より多くのことをこなすというやり方は、きっと忙しい現代人には合理的だと思うし、ブルドーザー講師にしても、多読人にしても、二宮金次郎にしても、とてもうまく隙間時間を活用していて素晴らしいと思う。
そして、市場では、おそらくそういった「時間術」に関する本は売れているのだろう。

私とて、YouTubeを1.5倍で観る程度のことはするし、ちょっとした待ち時間にフランス語の予習をすることはある。

しかし、食べるときは「食べる」を、待つときは「待つ」を楽しみたい。

風景を見たい。
会話をしたい。
風を感じ、匂いを感じ、音や味を感じたい。


時間術を使って浮いた余暇を、人はまた忙しくしてしまうのだろう。
それが良いか悪いかは、個人の価値観の問題である。
私は、その隙間時間を機械的な作業に使うのではなく、ゆったりと五感を使いたい。
そこで得た情報や感覚が、私の思考を形成している。
それもまた、時間術の一つとは取れまいか。


私は二宮金次郎にはなれない。
しかし、二宮金次郎が知らなった風景を、私はきっと知っている。

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