人間とは矛盾の中にいる生き物だ

― 環境活動家とヴィーガン ―
何かと炎上しがちなこの2つの主義思想、私はこれらに対する違和感というものをずっと感じてきた。
どちらも自然への愛に溢れた活動で、私は立派な活動・思想だと思っているのに違和感を抱くなんて、自分のことながら酷いなと思う。
だからけして批評批判をしようとしているのではない。
本考では、この違和感に注目しているが、読後には、どうかあなた自身で考えを巡らせてほしい。

◆◆◆

環境活動家、ヴィーガンはそれぞれ異なる主義思想を持っているが、共通するのは「自然との共生」と「現代文明の否定」である。
私は、地球環境問題について憂いているが、障害の為に電気がなければ起き上がることも移動することもできない。動物が大好きだが、動物を美味しくいただいている。
現代の生活は快適で、もし原始時代に生まれていたら障害者の私はとっくにこの世にいないだろう。
そういう快適な生活を否定されるのだから、一時的にでも心の中が炎上するのは自然なことかもしれない。

しかし、私の違和感はそれほど単純ではない。
生活を振り返ってみると、自然環境悪化のニュースを見ながら、今日もプラスチック製品を買い、包装用のビニールを捨てる、原子力発電に反対しながら、煌々と電気をつけている、かわいい子牛の映像を見て、ステーキに舌鼓を打っている。
そういう暮らしをしている人は、私だけではないはずだ。
つまり、人間が生活する上で、倫理的・道徳的な問題と、快適な生活の享受には必ず矛盾が生じてしまうのだ。
普段私たちはそうした矛盾を出来るだけ意識しないように、感じないように暮らしている。
環境活動家やヴィーガンは、この便利で豊かな生活の「悪」にフォーカスして、私たちの現代文明を否定してくる。

◆◆◆

では、彼らの生活に矛盾はないのだろうか。

本当に自然環境を良くしたいのであれば、まず電気を否定しなければならない。電気を作る為に広い土地を水底に沈め、空気を汚染し、ひとたび爆発事故が起きれば人々の健康を害するだけでなく、自然環境を破壊する。
だから、活動報告や広報の為のテレビもラジオも、もちろんインターネットも使えない。
情報を得る為の新聞や書籍、あるいは広報に使用する紙を作るためには、木を伐採し、森林破壊に繋がるから使えない。
移動の為の交通は空気を汚すから使えない。
グレタ・トゥンベリさんがヨットで海を渡って他国へ渡ったが、エネルギーはクリーンでもヨットを作る為の材料や工場では電気や化学物質を使って製造している。
自身の移動だけでなく、通販だってある意味、環境破壊に加担している。身近に手に入らないモノは得ようとしなくて良いはずなのだ。
この世にあるありとあらゆるプラスチック、石油製品その他人工化合物も否定しなければならない。
人里離れ、自然の灯で自然の恵みだけを得て生活しなければならない。

動物がかわいそうだから食さない、動物製品は使用しない。
ではペットはどうだろう、動物を人間の都合に合わせて狭いケージに閉じ込めておくことはいいのだろうか、人間が工場で作った餌を与え、飼いならすことは動物の為になっているのだろうか。
傷ついた動物は、あるいは台風等で危険に晒される動物は保護すべきか、自然に生きる動物に人間の手を貸すことは、果たして動物の為に良いことなのだろうか。
動物の殺生を否定するのに、植物は良いのだろうか。植物だって生きている。人間が食べるために大量生産されている。味を良くするために、わざと過酷な環境を作って栽培することもある。

彼らの中にもこうした矛盾が存在するのだ。

◆◆◆

自然環境を良くしたり、畜産動物の飼育環境を良くしていく為には、突き詰めていえば貧困や教育の問題に行き着く。
環境に良いとされる製品や、動物に苦痛の少ない飼育環境で飼育された製品は、必然的に価格が高く、経済的困難にある人はそういった製品を買いたくても買うことが出来ない。
また、例えば畜産業を無くしたとして、その業に就いていた人はどうなるのか、地球環境や動物の苦痛を考えましょうと言っても、生きていくのに精一杯の人たちにそれを押し付けることはできない。

主義思想に沿った製品を買わないという選択肢も良いが、産業に携わる人たちや、安価な製品を買わざるを得ない人たちの暮らしを良くしなければ解決できないのだ。

◆◆◆

人間には、生きていく上で誰もが根本的に抱えている矛盾がある。
私が感じる彼らに対する違和感は、彼ら自身もまた矛盾を内包しているにもかかわらず、それらを覆い隠した上で自分たちの生活スタイルを否定してくる点なのではないだろうか。

だからと言って、環境活動家やヴィーガンが悪いということではない。
このような人たちがいるからこそ、我々が現代文明の快適さの裏にある残酷な現実に気づけるのも事実である。
自分たちの暮らしを少し変えてみよう、と思えるのは彼らのような人たちがいてこそである。
自然に寄り添う生き方という選択肢が世の中にあって良いと思う。
ただ、忘れてならないのは、どのような生き方をしようとも、人には矛盾というものが存在し、その相反するものとうまく折り合いをつけていかなければならないということだ。

冒頭にあげた、環境活動家とヴィーガンに対する想いもまた、矛盾である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?