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語学は「習うより慣れよ」ではなく「習って慣れろ」

自分で書いた記事はだいたい覚えているつもりだったが、わずか数か月で案外忘れてしまうようだ。
過去の記事にスキをいただいて改めて読んでみる。
11月7日に投稿したこちらの記事で、私は”フランス語の独学を半年続けた後に実践練習をするつもりだ”と書いている。

今お読みいただいているこの記事は2月5日に投稿する(された)もので、先の投稿から約3ヵ月経っているわけだが、今月からフランス語のオンラインレッスンを始めている。
どの時点で計画を前倒しにしたのか覚えていない。
当時は3月~4月からと考えていて、それでは目標に間に合わないと思ったのだろうか、そんなことすら忘れているポンコツな私。この程度の記憶力でフランス語を覚えることができるのだろうか…

ところで、「習うより慣れよ」という言葉がある。
理屈を人や本などから教わるよりも、自ら経験して覚えろということわざであるが、語学の場合もあてはまるのだろうか。

人が言葉を母語として覚えるとき、赤ん坊は親など周囲の大人の言葉を聞いて自然と覚えていく。これはまさしく「習うより慣れよ」である。
もちろん、いずれ親や教師などといった年長者が、言葉を”教育”するわけだが、きちんとした教育を受けなくてもとりあえず話せるようにはなる。(この点、読み書きに関しては教育が必要である)

母語でない言葉を覚える時、ポンとその環境におかれ、生きていくために見様見真似ならぬ”聞き様口真似”で言葉を覚えることはできるだろう。
ただ、その場合、習得には著しく時間がかかるように思う。

私はよく語学を自転車の乗り方に例える。
これはある意味正しくて、ある意味正しくない。
自転車は練習しなければ乗れない。語学もそうだ。どんなに頭が良い人だって練習しなければ話せるようにはならない。
一方で、スペイン語やフランス語は動詞の活用が英語の比ではなく、ざっくり言うとひとつの時制に対して5通りないし6通り覚えなくてはならない。
それが過去や未来についてもあるのだから、普通の会話からこの法則を自分で見つけるよりは、先人がまとめてくれた規則を教わった方が早いというものだ。
そのようにして、「習ったものに慣れていく」というやり方が語学には向いているように思う。

会話レッスンは、これまで本や映像・音声で”習った”ものに慣れるためにするもの、そしてまた、身に付いていないことや新しいことを習い、それに慣れていく循環である。
まだまだ全然話せないが、もしかしたら今が一番楽しい時期かもしれない。

私のフランス語学習については、これからもnoteに記録していこうと思う。

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