触られることと触ること
今日は、スンダリヨガのコンシャスタッチ入門 というイベントに参加した。先日参加したBIPSのバイオ・ダイナミクス・インテンションというワークショップに続き連続でマッサージを学びに行ったことになる。
実は、わたしは触るのも触られるのもけっこう苦手だ。
プロ(女性限定)にお金を払ってマッサージを受けるのはだいじょうぶだし、好きな男性とイチャイチャするのはもちろん好きなのだけれど、意図しないときに不意に触られるのは最愛の娘でもイラっとしてしまうし、女性でも知り合いとハグするのすらダメだった。今でも男性とのハグは苦手で、つい身構えるし、満員電車に10分以上乗るのはほぼ不可能だ。
エネルギーを感じられるようになってから、余計に敏感になったのもある。
そんなわたしが!!!笑
マッサージを学びに行った、ということについて書く。
そもそも触れるとか触れられること自体のハードルがすごく高かった。
小さい頃母に抱っこされたり触れられた記憶がほとんどないことは関係しているのだろうか。
わたしが小さい頃は、「泣いている赤ちゃんをすぐに抱っこしたら抱き癖がつく」というのが産婦人科の常識だったのだそうだ。
知らんけど。
けれど、それだけではない。
以前「おかしい親」という表現を使ったけれど、この話をするなら「妙な母親」という表現が近く、和解した今でもやはり思う。
小さい頃には、ほとんど触れられた記憶がない。
にも関わらず、高校生になってもわたしは母にガッチリと腕を組まれ彼氏のようにあちこち連れて歩かれた。母が、わたしの少し後ろをついてくる。
そのべたりとした感触は今も体のどこかに残っている。
今日同じイベントで一緒だった女性が言っていたことに深く頷いた。
「触られたいのに触られたくない。」
今まで参加できなかったのは、どうしても近づけないひとがいたからだ。
今日はそのひとがいないであろうことを知っていたから、参加することができた。
ひとはあたたかい。
体温は心地いい。
その手は優しい。
今日、そう思った。
だけど、次の瞬間に何かが待っている気がする。
その気持ちはぬぐい去れなかった。
だから、次回も参加します、とはまだ言えなかった。
続きます。
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