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「就労意欲のあるすべての障がい者に就労機会を」ひとりのパパが辿りついたミッション

ゼネラルパートナーズでメディア事業部のリーダーを担う宍戸塁。数年前まで完璧な“仕事人間”だった彼が、家族との時間を大事に生きることを決心した背景には、子どもの障がいの発覚というできごとがありました。自分が死んだあと、この子はどうなるんだろう——そんな不安の中で、宍戸が見出した答えとは?


ある日、息子がほかの子と少し違うことに気がついた

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▲生まれたばかりの息子と。この子のためにもっと仕事を頑張ろうと思った



子どもの療育手帳に書かれた「知的障がい」の文字。その文字列が突き付けてくる現実が、僕の考えを変えた最初のきっかけでした。

息子が2歳になるくらいまで、僕は猛烈に働いていて、家にいる時間はほんのわずかでした。今振り返ると、その頃までの息子の記憶が全然ないんですよ。

当時は、仕事はとにかく何でもやりたいと思っていました。いろんな事業を経験して、何でもできる人になりたかったんです。新卒で入社してから配属部署に変化はありませんでしたが、部署の中で営業、編集、商品/事業企画など色々やらせてもらえたので、仕事に不満はありませんでした。


しかし、転機が訪れます。息子が2歳過ぎになったある日、帰宅したら妻が息子を抱っこしながら、ぼろぼろ泣いていて。「どうしたの!?」と驚いて駆け寄ったら、こう言われました。

「子どもが言葉を話すのが遅いの。あなたは何もわかってない。一度でいいからほかの子と一緒にいるところを見てほしい」

「少し大げさなんじゃないの……」と思いながらも運動会を見に行ったところ、そこには明らかにほかの子とは少し違う息子の姿がありました。2歳の子ってもうこんなに聞き分けが良くて、こんなに話せるんだ……と、他人と意思疎通が図れるほかの子どもを見て、衝撃を受けたことを覚えています。

翌日すぐに上司に相談し、仕事を調整してもらうことで、息子との時間を増やすようになりました。医療機関も受診した結果、しばらくして診断がおりました。

息子は、自閉症でした。

この子のために何ができるのだろう……。その時僕が考えたことは、さらに猛烈に仕事に打ち込み出世してお金を稼いで養うことと、家族との時間を大事にすること、でした。その時から仕事に対しての考え方がガラッと変わり、限られた時間で結果を出すためにはどうしたらいいか、を考え取り組むようになります。 


そして、子どもが年中になったのを機に、幼稚園、小学校から高専まで一貫の私立の学校へ進学させることを決めました。それに合わせて、住まいも学校のある地域に転居します。

「障がいのある子どもを家族がより理解し、信じよう」「子どもを中心に、地域と学校と家族が連携して成長していこう」というのが学校の方針でした。たとえばお父さんだけの研修会や、祖父母だけが参加する授業参観などが開かれ、ほかのご家庭とも交流できる機会が多くつくられていたんです。

僕はそこで初めて、同じ境遇にある保護者の方々と出会いました。この出会いによって、僕の考えにさらなる変化が訪れます。


障がい者の自立に必要なのは就労すること

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▲前職に不満はなかったが、強くやりたい仕事があるわけでもなかった



ほかの保護者の方との交流で一番印象に残っているのは、みんなが口をそろえて言っていた言葉です。

「自分が死んだあと、この子たちはどうなるんだろう?」

そして「宍戸さんは若いから、あとは託した」とか冗談で言われるんですよね。

保護者の方々がこぞって口にする不安を聞いて、他人事とは思えませんでした。子どもたちの将来を考えると、親から自立して生きていくには“就労すること”が不可欠です。その就労環境を整えていきたいと強く思いました。ただ、前職ではなかなか障がい者支援に携わるチャンスには恵まれませんでした。


それでも、何か子どもたちの将来のためになる活動をしたくて、「すこしでも勉強を」という想いで、精神保健福祉士の資格を取るために、通信の専門学校に通いはじめました。精神保健福祉士とは、精神障がいのある方に、生活支援や社会参加の手助けなどの業務をおこなう国家資格のことを指します。

資格取得には実習に参加する必要があり、その期間は会社を休んで現場に向かいました。この実習の中で、後天的に障がい者となった方や実際に就労を望む方にも出会い、彼らの想いに触れました。


「週に1回、30分だけでも家を出られました」「今日、他人と一言会話することができました」それだけのことができるようになるまでに、どれだけの苦労や葛藤があったか。

その過程を見ていると、彼らにとってたとえば”家を出る”というただそれだけのことがすごく大切で、大きな一歩であることなんだと気づきました。そしてこのような成功体験を積み重ねて「自分も社会に触れていいんだ」と思えるようになった時に、彼らにも就労意欲が湧いてくる。

先天的でも後天的でも、障がい者は就労に困難がともなうこともあります。それでも彼らには社会的に自立したいという意志があるし、実際に自立することもできる。今後就労支援をなりわいとしていこうと決めたのは、この実感からでした。


「生きづらさを抱える人たちに価値を届けたい」重なる想いが生んだ推進力

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▲頼りになるメディア事業部のメンバーたち。想いを誰かと共有できることが新鮮だった



2016年。私がゼネラルパートナーズ(以下、GP)を知ったのは、エージェントからの紹介がきっかけでした。出会った時は、自分の実現したいことを実際にやっている会社として「ここに入らない理由はない」と思いました。

入社してからはサービスラインナップの整理や、人材紹介事業部のサービス企画などに携わりました。そして2017年4月に新規事業開発の部署に配属され、複数案件を進めていたある日、突然「宍戸さんがメインでメディアサービスをつくっていってほしい」と言われたんです。


当時進んでいた事業の方向性には強く共感していましたが、事業企画から運用設計、開発まで横断的にプロジェクトを進めることに正直まったく自信がありませんでした。それに、これまで職種を変えながらプレイヤーとして働いてきたので、自分が中心となって多くのメンバーをたばね、何かを立ち上げた経験もありません。

だから「やる気や想いだけは人一倍ありますがスキルはないですよ」とぶっちゃけて伝えたら、代表の進藤に「想いさえあれば問題ない。できると信じている」と言われました。その言葉に背中を押されて、2019年現在、僕は求人メディア事業部の部長を務めています。


最初は2-3名のメンバーだけで進めていたところに、2018年4月に8名のメンバーが、メディアプロデューサーとして加わりました。新卒1年目の彼らには、まずその時点で考えていたミッションやサービス構想を伝えました。その時は「いいですね!」という反応が返ってくるものばかりだと思っていたんです。

しかし彼らの反応は違いました。「なぜそう考えているんですか?」「これは具体的にどうやって実現するつもりですか?」と2-3名の共通認識で何となく進められてきた部分を、鋭く指摘されたんです。そこから1カ月かけて、メンバー全員がしっくりくる、ミッションの言語化に取り組みました。


「就労意欲のあるすべての障がい者に、就労機会を提供する」

これが僕らメディア事業部メンバーのミッションです。「チーム全員でまとめるのは大変だったのでは?」と聞かれたこともありますが、GPに入っている時点で、社会課題を解決したい、生きづらさを抱える人たちに価値を届けたいという気持ちは同じです。

その共通部分から話を広げたり、掘り下げたりして、違う部分が出てきたらすり合わせる作業を積み重ねました。丁寧に言語化した言葉は、何か迷ったときに立ち返れる軸になっています。

GPと出会う以前は「果たして自分と同じ想いを持つ人を見つけることはできるのだろうか?」と思っていました。でも事業部のメンバーをはじめ、GPには愚直なまでに真剣に問題と向き合う仲間がいる。こんなに頼もしいことはないと感じています。


「まだやれる」ひとりでも多くの人にサービスを届けるために

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▲初めてのリーダー経験。失敗もあるが、「失敗は行動の証だから」と宍戸は笑う



メディア事業部では、新しい求人メディアサービスを2019年2月にローンチする予定です。このメディアのポイントは「スカウト代行サービス」。企業様が求める人材要件に合いそうな方をメディア事業部で探し、メールにてスカウティングします。

これまでGPが運営してきた求人メディアは無料で求人が掲載でき、無料で求人に応募できるといった、就労希望者が企業に自由に応募できるという設計でした。リニューアル後のメディアでは、より求人にマッチする可能性の高い対象者にスカウトメールを送ることによって双方向からのアプローチが可能になり、ミスマッチの減少や選考機会の拡大を実現できると考えています。

実はスカウト代行サービスの構想が企画当初からあったわけではないんです。企画がはじまって半年ぐらい経った頃、メディアローンチの責任者を前任から引き継いだ時に僕から提案しました。もちろん提案がすぐに通ったわけではなく、今思うと青臭いものだったと思います。でもサービスを利用するすべてのお客様にどんな価値を与えられるか、真剣に考えたうえでの提案でした。


GPは僕個人が正しいと感じることを素直に言っても、発言を否定されることがありません。あるべき姿に対して、確実に効くことを最短距離でやらないと意味がない。その打ち手を決めるための提案や議論をすることを推奨しているので、何も恐怖心はないですね。

1カ月ごと、1年ごとに、GPを通じて就労機会を得られた人の数が目に見えることがモチベーションになっています。一方で、まだ就労機会を得られない人がいることに対しても、それは伸びしろだと強く思っています。

だからこそスカウト型のメディアで、既存のサービスで就労を実現できない人たちの力になりたかった。専門学校時代に出会った実習先の方々、そして息子の学校で出会った保護者の方々の言葉が、今の僕の原動力です。このリアルな経験が、僕を動かしているのだと思うのです。


「自分が死んだあと、この子はどうなるんだろう?」

今、この問いの答えは明るくなってきていると感じます。というのも、GPやメディア事業のメンバーは自分の想いを一緒に実現してくれる仲間だと信じることができるからです。

たとえばもし、僕が今死んだとしても、 自分の想いを継いでくれる人がいる。今の僕には、そう感じられるんです。

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