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探求 第2章(文脈の決定不可能性(3))

補題。

ある人物が狭い部屋の中にいる。

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目の前には木のテーブルがあり、テーブル上には赤、青、黄色、3つのランプが左から右へ、水平に並んで置かれている。右手には小窓が据えられ、部屋の外部から、ものを差し入れられるようになっている。同じような小窓は、左手にもある。

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さて、ある時、左右の小窓から同時に紙片が差し入れられ、その紙片には両方ともに、明らかに特徴の異なる人の絵が書いてある。部屋の人物は紙片を手にし、そのとき灯っている木板のランプの色を見て、左の絵に「高い」または「低い」または「同じ」を書き入れる。

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背の高さの判断が状況依存であるという主張の内容は、こういったものだろうか?

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私は赤いランプだけが灯っているのを見て、右の窓から差し入れられた紙片の人物に「高い」と書く。次に、黄色いランプだけが灯っているのを見て、赤とは逆に、左側の窓からの紙片に「高い」を与える。認識論的な懐疑をひとまず拒否するとしても、つまり私の見ているものがもしかしたら赤ランプではなく青なのかもしれないと疑わないとしても、ここには決定的に欠けているものがある。いやむしろ、どうしようもなく冗長な要素が紛れ込んでいる。

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なぜ私は左右の紙片にある人物の背を比べるのに、ランプを見なくてはならないのか。単に両紙片を比較して、ただそれだけで、右の方が高いとか、左が低いとか言うのではいけないのか。

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同様に、なぜ私は、彼の「HASHI」を箸と理解するのに、それ以外の要素に頼らなくてはならないのか。


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