探求 第2章(錯視絵 編(1))
ある人は「ここに男が描かれている」といい、別の人は「女が描かれている」という。
この二人は、間違っているのだろうか?
▲▽▲▽▲▽
一人の評論家が通りかかる。
---絵の真の意味は、作者にしかわからない。作者が書きたかったこと、頭に思い描いていたテーマこそ、その絵の本当の内容だ。よってわれわれはその絵の作者によりそって眺めなくてはならない。さすれば、両者のどちらかが正しいということが、わかるだろう。
科学者が現れる。
---絵の意味とは、その絵をみた時に発生する脳の反応だ。我々は脳でものを見ている。よって脳に発生した電気信号の分布を調べることで、答えは、いずれ、明らかになる。
最後に悪魔が現れる。
---絵の真の意味など存在しない。おまえには、本当のことなど何もわからない。
▲▽▲▽▲▽
いまわれわれは、人間の自然史とでもいうべき、ひとつの典型的な歴史を反復体験している。
最初、ふたりとも間違っていないと思っていた。
それは、一つの絵に対する、2つの異なった見方であると。
しかし途中で、どちらか一方が正しく、どちらか一方が間違っているかもしれない、と思い始める。
二人は相反していて、いずれその対立は(どちらか一方が正しいという形で)解消されなくてはないらない、と。
そこで二人は致命的に分裂する。
さらには悪魔が差し出した虚無の罠に堕ちてしまうものもいる。
▲▽▲▽▲▽
われわれはここに3重の構造を見て取らなくてはならない。
一つは男女の錯視絵。
もう一つは、絵を見ている二人に対して、「相反している」とするものの見方と「相反していない」とするものの見方。
そして、ある図を錯視絵「として」見させようと目論んでいる、わたし。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?