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探求 第2章(算術の基礎 編(6))

隕石の軌道を計算した結果、半年後の推定位置が観測結果と一致した。われわれの軌道計算は未来の隕石の位置を予測できる。

そのとき、計算は未来の状態を予言したのであり、軌道計算は(なんらかの神秘的な力で)「未来に到達している」と言いたくなる。

そして、50年前の軌道計算は誤差1万kmだったが、50年後は違うだろう(もっと精度が高いだろう)ともいうこともできる。

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足し算を行った結果、1分後のわたしの計算結果と一致した。

そのとき、「加算」という算術は、未来のわたしの状態の予言に成功したなどとは言わない。また50年前の加算結果は誤差10だったが、50年後は違うだろうとも言わない。

つまりわれわれの世界では、物理的な計算には時制があり、算術には時制がない。

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どうして時制があるもの(物理的な世界)に対して、時制がないもの(算術)を適用して許されるのだろうか。

このとき「時制のない」知識の方が、時制のある知識よりも、より「優位」で「本質的」といえるだろうか。

いや、これは、「優位」や「本質的」の意味による。


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