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暗闇で目を開け続けられるのか

どうもこんばんは。集中して動画の編集してたら時間がするりするりと流れて行き、日付変更線をまたいでしまいまたしても毎日note投稿が途絶えてしまった忢刄です。

ほんと毎日投稿すごい。。

ストック作るのも難しいし、時間を作ること、脳裏によぎらすこと。

難しいことが山積みの中、登山するとなし得る技。そう。毎日投稿。

私はこれまで幾度となく毎日投稿に挑戦し、大体一ヶ月経過するあたりで気が抜け、脱落。

過去に三度ほど挫折しております。

ということで、今日からまたリスタート。

気が思いやられますね。

ということで今日は継続について考えて行きたいと思います。

前回もそんなこと考えてたかな?

まあ忘れたので今回は、暗闇で目を開け続ける。ということについて考えて行きたい。

誰しもが「闇」は、体感したことがあると思います。

ウソつきました。

「暗い」は経験したことがあると思います。

わずかな光の中で必死に目を開け、暗順応させてなんとか、身の安全を確保しようとしますよね。

しかし私は知っています。

真っ暗な世界を。

写真の学校に通い、授業を受けていると突然強制的に真っ暗闇に連行されるタイミングがあります。

そう。暗室。

フィルムを現像する際、光を受けて感光したフィルムに余計な光が当たらないようにするために、真っ暗闇で作業することがあります。

本当の真っ暗の世界では、目を開けることは意味を持ちません。

目を閉じても、開けても同じ世界。

むしろ閉じておいた方が省エネ。

そんな世界で、どのような対応をするのか。ということが、現実世界での、継続することを力にできるかどうか。に関わってくるような気がしています。

例え「見えない」という結果が決まっていたとして、目を開け続ける。という動作ができるのかどうか。

大切なのが結果だと思いがちだが、同じ結果の場合、過程が差別化を図る上で必要となってくる。

例え光が当たらなくても継続をし続けられるのかどうか。

これからの時代に必要なことになってくるのではないだろうか。

毎日投稿がんばろ。


御朗読ありがとうございました!!

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