見出し画像

【若手リーダー×社長対談】一番海をみつめ、一番変化に挑戦する生産部門

加工業から養殖業への進出 怒涛の黎明期

――GOWははじめ水産加工からスタートしましたが、鹿児島水産のみなさんがジョインされたのは設立からどれぐらい経ってからですか。

社長 :……6年目でしょうか?
当時いろんなことがあり過ぎてちょっと記憶が曖昧なんです。

参入障害にあっている人や、既存業者さんで事業や継承に悩んでいる人などをサポートする目的で設立したのが鹿児島水産です。安心・安全の担保と原料の安定的供給を目指してきました。また、海外に進出するためには様々な要求事項があり、養殖業者さんだけでそれに対応するのはとても大変なので、鹿児島水産でそのお手伝いをしたいと考えました。

鹿児島を代表する、という意味で「鹿児島水産」とつけたのですが、当時は先輩とか権力のある方々にけっこう反対されて。「鹿児島」を冠すること自体が、問題だったんでしょうね。社名をつけた後、周囲の人たちから「自分たちも『鹿児島水産』とつけたかった」といった反発はありましたね。「垂水の会社なのに鹿児島って名乗るな」といったような、ですね。

――なるほど。鹿児島水産が立ち上がった当時は、垂水には小規模事業者が何件かあったっていう状態だったんですか。

社長:垂水の牛根漁協だけで13業者いました。11か13のどちらかだったと思います。
大きいところでは、50万尾飼っているところもありましたし、小さいところでは2万尾、といった感じで、大きい事業者から小さい事業者まで、いろいろありました。今は5業者です。
今日来てくれている2人は、周囲との揉め事がある程度落ち着いたところに入ってきてくれたのですが、私もアメリカでの買収案件などで留守にすることが多かったし、 会社も変化している途中だったから、多分2人とも入ってからは苦労なさったと思います。がむしゃらにやってきた時期を経て、やっとここ1年、少しずつ社内の環境も整えていこうという段階になってきました。

――立山さんと藤村さんは入社して何年目になりますか。

立山:自分は8年目です。

藤村 :自分が9年目です。

社長: 2009年にGOWがスタートして、その後5~6年目に鹿児島水産ができたんですね。それ以前は周囲との様々な軋轢がありました。2人はその後の、鹿児島水産設立初期に入ってきてくれたので、ほぼ歴史は見ていると思いますし、苦労もしたはずです。

――今約200のいけすを 管理されていますが、最初からその規模感だったのでしょうか。

社長:鹿児島水産をつくった当初は他の業者さんに帰属するいけすが多かったです。 養殖業者さんがなくなったり、なくなったものを他に預かっていただいたり、いただいたものを僕らが借りたりと、いろいろかたちを変えてやってきました。
既存の養殖の漁業権とか、 漁協を中心としたそれまでの運営を変えてきた10年はとにかく変化の毎日で、中の人たちは大変だったと思います。

――今となってはみなさんを束ねる立場におられる藤村さん、初期の頃に苦労されたことをお聞かせください。

藤村: 先ほど言われた通り、やっぱりいろんな業者にいた人たちが寄せ集まったかたちだったので、ひとつの作業でもやり方が全部違ったり、人それぞれだったりしていました。それを統一してからがまたちょっと大変でしたね。当時若手は自分ともう1人だけで。20代が2人で、あとは40代、50代、60代、70代という体制でした。

そうしたなかで「こういうやり方がいいよね」「やっぱりこっちの方がいいよね」と 全員で話し合っては「じゃあちょっと変えていってみようか」という。ほぼ毎日、その連続でしたね。

――なかでも大きく変化させたことはどんなことだったのでしょうか。

藤村: 一部の養殖業者さんには、魚をちょっと乱雑に扱うところもあるんですね。でも、自分たちは魚に食わしてもらっているので。それを共通認識として社員全員の意識を変えていけたのが大きいですね。
加工をはじめ、鹿児島水産にはそれぞれに自分たちのチームがあって、チームのメンバーがこう別々の方向を向いていたらひとつの目標にはたどり着かないですから。

――魚を扱う人たちの励みになる、教材となるようなお話ですね。水揚げしたぶりを1匹ずつ装置に入れていってエラを切って、氷締めにして、さらに水揚げした後にエラをきれいに処理するっていうような作業など、かなり精緻な工程があると思うんですが、それが確立された経緯を教えてください。

藤村:当初からやっていることなのですが、うち独自のやり方で、こだわりを持っています。昔は手で締めていたんです。でもやはり労力と時間がかかるし、だんだん出荷する尾数も増えてきたので、圧倒的に早い自動締め機を導入しました。

社長:少し補足すると、昔は沖にあげた直後に締めていたんですよ。それがいい、悪い、という議論になったり、僕らが締めるときだけ「血が流れる」からするなって言われたり。船上で締めるなと言われて陸でやったら、陸でもああでもないこうでもないと言われるという、紆余曲折があったんですね。
その後、自動締め機というものが出てきたので、それを導入して 船上で締めるようにしたら、何も言われなくなりました。
そうした流れの中で独自の締め方を確立してきました。

――社内からの要望によってみんなで努力して方向性を定めたことなどはありますか。

社長:夏場の出荷とか、この業界ではあまりやらないことをやってきました。僕らは1年中出荷できる加工場を始めたので、現場は大変だったと思います。 夏場は表面の温度が上がるので下の海水を汲み上げたり、そこに酸素を出したり、いろんな工夫をしているので。

――あたたかくなると赤潮のリスクもありますよね。

藤村:そうですね。日が昇る前に……(苦笑)

社長:日が昇る前に全部の作業を終わらせなきゃいけない。

――現場のみなさんとしてはそうした状況をどう受け止めてらっしゃっているんですか。社長の前では言いづらいかもしれませんが(笑)

藤村:そうですね、早く来ることに関しては、養殖はもともとそういう仕事なんで。場所によっては早く帰るために早く仕事するということもできます。朝早く日が昇る前から働くのは当たり前の感覚ですね。自分は。

社長:私がいない時に聞いてもらって、いいですよ(笑)

変化に対応してきた社員たちが誇り 一人ひとりの独立へ期待

――オペレーションを確立していくまでの怒涛の時期を、生産現場の人たちに期待して任せてよかったと思うところはどんなことですか。

社長:養殖に手を出すっていうことについては、銀行も含めて、周囲のほぼ全員に反対されました。でもこれは自分の使命だと思って始めたわけですが、365日の出荷も、養殖業者さんとの関係性も、あとは 生エサからEP(固形飼料)に変えていったことも、現場の人たちは本当に苦労したと思いますね。やることがすべて初めてのことだし、隣の養殖業者さんを見て羨ましく思ったり、「なぜうちだけこんなチャレンジをするんだ」と思ったりすることもあったと思います。拡大路線を進む変化のなかで、僕の目が届かないところも多々ありました。

会社側が何かしようというときは、それが合っているかどうかわからない。でも一番大事なのは、 そこに働いている人たちが自分たちのやっている仕事や会社を、いいものにしよう、意味あることを毎日やっていこう、と思って自ら変わっていくことです。
僕は常に実践を求めて要求してきましたが、今は社員自ら変えようというマインドがあるし、会社もそれに応えられる力がついてきました。自ら変わろうと思う努力とこれまでかけた苦労についてはすごく感謝しているし、残ってくれた社員たちを自慢に思っています。
今日ここいる2人が、自分たちの苦労を踏まえて、 次に続く若い世代とどう変えていくか、そこにはすごく期待しているし、できると思っています。会社の運営やリーダーの役割は、ここ2、3年で大きく変わるんじゃないですか。

――とてつもない苦労を経てきた若いおふたりですから、もっと愚痴が出てもおかしくないと思うのですが(笑)

社長:思ってますよ。言いたくてしょうがないはずですよ(笑)
彼らはいろんなことを経験して、全体のことがよく見えていると思うので、そのへんは頼もしいですね。
私がやってきたこの15年は整合性が取れないほどの変化がありましたが、いま会社は目に見えて成長してきています。自分がどんなきれいごとを言うより「変わった」という事実のほうがずっと説得力がありますよね。
そう思わせてくれているのは、一人ひとりの社員たちです。 これまでは自分が先頭を走って、さまざまな局面で矢面に立ってきましたけれども、もうそれをやる必要もありません。今まで不満に思っていたことや、変えなければと思ってきたことを、社員が自らやってくださるからです。 今はそういう体制ができています。

やりたくてもやれなかった、周りに許してもらえなかったこともたくさんありました。養殖業者の親父さんたちにもめちゃくちゃ怒られてきました。そうしたことを経てなお、 残って頑張ってくれている社員はやはり強いです。

――漁師のみなさんは職人ですから、それぞれのこだわりやプライドを持っていらっしゃる分、関係性を作ったり、一緒に何かやったりするのには、とてもご苦労されたことと思います。

社長:理想を求めて会社つくったり、いろんなことに取り組んでも、それができなくてもがいたり苦労したり、苦い経験はしてきました。
養殖も変わらないといけないと強く思ったからこそ、あえてそこに飛び込みましたが、その中で会社のみんなには苦労をかけましたね。早くこの2人が理想とする鹿児島水産に向かって変化していっていただければと思っています。僕が先頭を切って、あれやれこれやれやれと言わなくても、いまの鹿島水産は自走できるはずです。

――以前インタビューの中で、「1人でいけすを10個管理しています」といったお話を伺いました。それは普通では考えられないことで、1人で養殖会社を回せるレベルですよね。鹿児島水産の皆さんのスキルやクオリティは、日本の水産業者のなかでもトップレベルだと感じます。

社長:それぞれが独立していってほしいですよね。そのために、いけすの担当制も、失敗するため、覚えてもらうためにしてもらっています。一人ひとりが独立した経営者になってほしいという思いからです。


だから、いけすを10本ください、20本ください、30本ください、40本ください、50本くださいっていう要求には、会社として応えたいと思っています。 僕自身サラリーマンから独立したので、独立して経営者を目指すことや競争することは、当たり前のことだと思っています。 うちから独立したい人たちそれぞれが協力し合って業界を引っ張っていけたらいいいですね。

ただ、やりたくても人とお金がそろわないと 事業はおこせないですよね。独立したい人がいたら自分はできる限り応援したいと思っています。
今度、中学校跡地で水産関係のスタートアップ事業を立ち上げるのですが、第1号はやはり自分たちの社内の中から出てほしいですね。

アキラ(藤村さん)なんか僕は絶対、一念発起して、20本くれとか30本くれとか言ってきてほしい。そのほうが絶対幸せになるし、大変だけどやりがいもあるし。

――どうですか。藤村さん。

藤村:そうですね……はい。考えときます(笑)

――普段社長からこういうお話を聞く機会はあるんですか。

社長:みんな避けるんですよ、僕を。

一同:(笑)

社長:なかなか話す機会が持てなかったんです。だから、こういう対談の場を設けていただけると、気持ちや考えが伝えられて、僕もありがたいです。

去年ぐらいまでは仕事もたくさん抱えていたし、僕も会社にもいる時間がなかったし、どうしても難しかったですね。。
いま後継も含めいろんな方が入ってきてくれて、いろんなことができる体制が整ってきたので、こういう話し合いを持つ機会もようやく持てるようになってきました。

子どもや大事な人たちに自慢できる仕事

――めまぐるしく大変な変化の中で、おふたりはどうしてここまで続けてこられたと思いますか。

立山: やりがいがあるし、1年を通して作業内容が変わってくるところは面白い仕事だと思っています 。

――立山さんならではぶり愛を感じますね。もともと生き物がお好きな立山さんですから、1年を通じて仕事が変わることで、生き物の表情や成長の様子が見えてくることをうれしく感じていらっしゃるのかなと想像します。
一方で海水温の変化や、ぶりの生存率の問題などに日々たくさんの課題に直面されていらっしゃると思いますが、現場ではどのように対応されているんでしょうか。

社長:おそらくほかの養殖業者さんは、10年、20年変わらないことをやっているんです。4月には何を、5月には何を、6月には何を、とある程度の基本の中で動いてる。だけどうちは「毎日出荷します」「生エサからEPに変えます」、それらがやっと落ち着いてきたかと思ったら、今度は「人工種苗に取り組みますよ」と。
人工種苗に取り組んだら、夏にも秋冬にも、通常の春先にも稚魚が入ってくる。春先なんか天然ものが取れるから、なんでやるんだっという思いもあったでしょう。
それに加えて、水温や酸素量は変わる、プランクトンが増える、赤潮の問題がある、ぶりの病気も新しいものが出たり変異したりして変わっていく、法律も変わっていく、出荷先が変わっていけば要求事項も変わる、と日々かなりの変化の中で動いています。その変化に対応しようと思って社員たちがチャレンジとトライアンドエラーを繰り返しているところは、必ず残って力もつけていくし、僕らはそうありたいと思っています。

その時の変化をポジティブに建設的にとらえて前に進んでいきたい。うちの会社もまだ全然100パーセントじゃないし、養殖の管理監督をする会社なんて全国で鹿児島水産が初めてなので、これはいろんな苦労はあります。

でも後々になって、子どもや大事な人ができた時にきっと自慢できる仕事だと僕は思っています。 そこはプライドと自信を持ってやっていただきたいですね。
だから、いろんな変化については、あまりネガティブにとらえないでほしい。これからも変わっていくことに対してどんどん対応していける基礎、自走できる状態はできているので、全然心配はしていません。

――子どもに対して「父ちゃんこういう仕事してるんだよ」と、胸を張って言えるというはすごく本質的なやっぱ価値の置き方だと思いました。たくさん起きてくる変化に対して、真正面からちゃんと 取り組んでいくってことが、プライドの醸成につながっていくとところがGOWらしいですね。みなさんにはもっともっと誇りを持って、自慢してほしいです。

社長:すごいことしてるんですよ、うちの人たち!
本人たちは気づかずに、まだまだここがダメとか、これが足りないとか。 会社もまだまだよちよち歩きだから、できていないように思ってしまうんでしょうけど、実際はすごいことをしていて。どこへ出ていっても自慢できることをやっています。

――若手のおふたりから最後に一言いただきたいと思います。

藤村 :久しぶりに社長と会ったんですけど(笑) 社長のおっしゃられる言葉の重みを持って帰りたいと思います。ありがとうございました。

立山:データもないなかで人工種苗に取り組んで、給餌のやり方などいろいろ試行錯誤して挑戦してみて、1年を通して良いぶりを出荷できるようが大事だと思っています。

――ありがとうございました。今後の進捗をお伺いするのを楽しみにしております。

生産部門のお仕事についてはこちらから!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?