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03:YATAI UNIT PROJECT(資金調達編)

しっかりお金に困る

前回の02:YATAI UNIT PROJECT(結成編)の最後に書いていた、お金に困る話ですが、YATAI UNITの相談をする前に何にしろお金が必要になるな、どうしようかな?と悩んでいました。

まず、大前提として、地域おこし協力隊の活動資金は給料と別に自治体に認められれば、必要な活動費を出してもらえるようになっていました。

が、僕の所属する自治体では1年間で最大10万円という、月で割ったら1万円もないというわずかな活動費しか出せないことが最初の方に分かっていたので、すぐさま打開策を考えました。

しかも、地域おこし協力隊はその名称や性質上、地域の人たちから「公務員」や「ボランティア」として見られることが多かったです。(その実、かなりの薄給…)

なので、僕は最初からこの活動費には一切手を出さないように決めました。今後、事業者とやり取りをする上でのある種の覚悟だったり、僕が取れる唯一のリスクという位置付けで、自分で自分に発破をかける意味で、全てのプロジェクトは自前の資金で実施していきました。(移動の車とガソリン代だけは甘えてしまいましたが・・・)

そんな資金の出所はと言うと、単純に前職の退職金でした。
僕には妻も子供もいたので、普通に生活していくだけでも給料だけでは足りない月がほとんどで、その上やりたいことにもお金がかかる。

面白いぐらいに右肩下がりになっていく貯金額に恐怖を覚えながらも、実家の家族の理解や支えもあって、なんとか活動を続けていけました。

とはいえ、有限な活動資金でほとんど自分だけで完結していたこれまでのプロジェクトとは違って、パートナーへ支払う費用が必要になる、YATAI UNITの制作。

どうしたもんかなーと考えていた矢先、タイミング良く、協力隊になってから仲良くなった別府のアーティストから、「ツアーの時に振る舞っていたカレーをお店で出して欲しい」という、思いもよらないオファーをされます。

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▲山の上でカレーが食べたくて作ったカレー


理解のある課長さん

オファー内容は別府で2012年に「中央市場」にオープンした「PUNTO PRECOG」という、チャレンジショップのようなお店で出店をして欲しいという内容でした。

この方法なら、お金は稼げる上に、まだ見ぬ屋台の宣伝も出来るし、協力者や応援してくれる人も見つかるかもしれいない!
ちょうど誰も応募者がいない2ヶ月間があるので、管理人であるアーティストが自分で喫茶店を開くことになっていて、その期間で毎週2日間だけ僕もカレーを出すことになりました。

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▲出店する「PUNTO PRECOG」

そんな話が進んでいく中で、基本的に町内でのみ活動をしてきた僕が、位置で言うと隣の隣の隣町の別府でカレーを振舞うという行為を、どうやって玖珠町の観光に結びつけるのかという壁にぶつかりました。

これまで、簡単ではあるけど毎日の日報や月終わりの月報を提出していく中で、なんとなく行政っぽいニュアンスは掴めていたので、思い切って「これは催事です」と、それらしく説明をしてみました。

すると、僕が所属してた商工観光振興課の課長さんは、そもそも僕の活動にとても理解を持ってくれていたこともあってか、「なるほど…上手いな、これは催事だね」と、すぐに承認をしてくれました。

その後も、色々と業務の範疇を超えてそうなことを申請しまくる僕に「俺が判子捺すだけで、井上くんが自由に動けるなら、そんなのいくらでも捺す」と、凄まじい漢気発言をしてくれて、おかげで随分と活動にも幅を出すことができました。

正直、この課長さんや受け入れ担当課の方の理解がなければ、今の僕はなかったように思います。
課長さんその節はどうもありがとうござまいました!


出稼ぎをする

許可が下りたあとは、趣味レベルだったカレー作りをお客さんからお金を出してもらうレベルまで上げるために、レシピ開発に取り掛かりました。
これまでは、市販のカレールーを一部使っていたけど、完全にスパイスのみに切り替えて、スパイスの調達・調合をして、理想の味を追求していきました。(この辺りで自分は一体何をしているんだ?と疑問が頭を何度も過ぎります)

無事にカレーのレシピも完成して、最初の営業日を迎えます。
父が営む実家の居酒屋でバイトの経験はあったものの、飲食店の営業はハッキリ言って未知数。めちゃくちゃ心配していたけど、心配していたことは大体現実になりました

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▲お世話になった「PUNTO PRECOG」

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▲小さなお店でお客さんとの距離が近い

一応、下に書いてあるスケジュールで動こうと思っていたけど、実際は全然この通りにはできなくて、営業日の日・月曜日は、基本ワンオペの文字通り死に物狂いで、1日1日を乗り越えていました。途中の一時CLOSEなんて、初日しかできなくて、その後は11:00〜21:00までノンストップで営業をしていました。
別府が本当に地獄なんだと、比喩ではなく感じ取った2ヶ月間でした。

        理想のスケジュール(これでも結構ハード)

【前日】
17:00 仕込み(カレー・ドリンク)
20:00 別府へ移動
22:00 仕込み終了

【当日】
09:00 掃除
09:30 仕込み(カレー・サラダ・ドリンク・お米)
11:00 OPEN
16:00 一時CLOSE
17:00 再度OPEN
21:00 CLOSE
23:00 片付け・仕込み
25:00 仕込み終了

時期も6・7月だったので外に出れば灼熱という感じで、体力的には本当に地獄でしたが、関わってくれる人たちがびっくりするぐらい温かくて、そこはかなりの原動力になりました。

別府にどっぷり浸かったことのある人だったら、分かると思うのですが、隣人の距離感がとても近くて、でも心地良いという不思議な感覚があります。

夜な夜なカレーを保管するために大きな冷蔵庫を貸してくれる人や、その冷蔵庫があるお店が遠いと知るやいなや自分の店に保管しなさいと言ってくれる隣のおでん屋さんや、普通に無料で宿泊させてくれる人、地域のアーティストを集めてほぼ毎週晩ご飯を振舞う人(ちゃっかり僕も食べてる)、あとは別府の権化みたいなライスボール山本さん。

言い出したら切りがないくらい、たった2ヶ月間で本当にたくさんの経験というか、暮らしまるごとを見せてくれた別府でした。

営業の方はというと、とても順調で週2日間しか営業していないのに、リピーターが出現するまでに好評だったのは、単純にうれしかったです。
当初の目的通り、資金集めと仲間集め、そして玖珠町のPRをしっかり全うして2ヶ月間の催事は無事に終わりました。

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▲提供していたカレー(テイクアウトVer.)

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▲「KUSU NO MONO」のオーダー会同時開催


まだまだ出稼ぎ

目標の金額には調達出来ていたのですが、別府での営業を聞きつけた人からまたまたオファーを受けます。

今度は竹田市で開催されている「TAKETA ART CULTURE」という、アートイベントの会期中に会場となっている、スペースのキッチンを利用しての営業になりました。

おじいさんが住んでいた古民家を改修して作られたスペースで、普段は日替わりで店主が交代しながら運営をしている、別府のPUNTの日替わりVer.みたいなお店でした。

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▲営業した「café & gallery Grandpa」

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▲家具や什器がお洒落で格好良い

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▲メタリックなテーブルと合わせて作ったカレー

竹田では2週間の週末のみの4日間の営業だったのに、毎週末台風が襲来するというピンポイントな災害に見舞われたけど、別府で培ったサバイブ力でなんとか乗り切ることができました。

このあと、別府・竹田の営業が噂となって、続々と出店をお願いされる状況になります。
ここまで読んでいる人は、うっすらとお気づきかも知れませんが、僕は基本的に頼まれたら断れないし断らない性格なので、こちらも次々と快諾していきます。

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▲地元のお祭りにも出店

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▲「TODAKA WOOD STUDIO」で提供した木の器カレー

途中から「カレー屋になるの?」とみんなに言われながらも、色々な人と関わって、本当にたくさんの人に応援してもらってなんとか資金調達ができました。

そして、この頃からこうした動きや、人との関わりで、自分自身も「ハブ(繋ぎ目)」として、もっと何かできないのか?と考えていくようになります。

とはいえ、これで、いよいよやっとYATAI UNITの制作に取り掛かれます。
前回に書いていたようにチーム結成まではトントン拍子でしたが、制作では一瞬暗礁に乗り上げかけます…

一体どうやってYATAI UNITが誕生したのか、なるべく丁寧に思い出しながら次回の04:YATAI UNIT PROJECT(制作編)に続きを書きます。

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