見出し画像

英語の語源について語るなら

寄宿舎では、その日の講義のうちにあった術語だけを、希臘拉甸ギリシャラテンの語原を調べて、赤インキでペエジの縁に注して置く。教場の外での為事は殆どそれ切である。人が術語が覚えにくくて困るというと、僕は可笑しくてたまらない。何故語原を調べずに、器械的に覚えようとするのだと云いたくなる。

森鴎外『ヰタ・セクスアリス』

皆さんは、語源を調べるのは好きでしょうか。私は好きです。書店で英語関連の書棚を覗いてみると「語源で覚える~」みたいなシリーズの本がたくさん並んでいます。もちろん覚えやすいという実利的な面もありますが、やはり、それをおもしろいと感じる人が多いから売れるのでしょう。

しかし、実際にこれらの本を開いてみると、言語学的にはあやしい「語源」がたくさん書かれています。もちろん、あくまで「語彙を増やす」ためだけに活用するなら、語源の正確さはそれほど重要ではないかもしれません。歴史の勉強で西暦をゴロ合わせで覚えるのと同じようなものでしょう。しかし、おもしろいと思った語源説をだれか他人に伝えるとなると、話は別です。

ここでは、あくまでも「他人に英語の語源について語りたい人」が他人に語る前に抑えておくべきと思われる項目と、参考になる書籍を紹介していきます。もちろん、他人に話すつもりはなくても、言語学的な根拠を持った「語源」についての調べ方、考え方を勉強したい人には参考になるかと思います。

一方で、「語源を使って英語を覚えるなら、これくらいは知っておけ」という意図ではないことを再度強調しておきます。自分で勉強する分にはどの程度の記述を信用するかは自分次第です。覚えられさえすればその語源が正確かどうかは関係ないという方もいらっしゃるでしょう。また、ここで挙げたことをすべて完璧にマスターしてからでないと語ってはいけないとまでは言いません(そうなると私にも何も言えないことになってしまいます)。同時並行的に、それぞれ軽く手を出してみて、自分がどの位置にいるか客観視できるようになるだけでも大きな意義があるでしょう。


そもそも「語源」とは

一口に「語源」と言っても、どこまで遡れば、それが「語源」と言えるのか、というのは厄介な問題です。例えば、この「厄介」、一説には「家居やかい」の転で、もともとは単に「家に居ること」を意味し、そこから「他人の家に寄食すること」「他人の面倒になること」「迷惑をかけること」のように意味が変化したとされます。「やか」というのは、あえて漢字で書けば「屋処」「宅」で、さらに「家」を表すヤと、場所を意味するカ(「すみ」「かくれ」)に分けることができます。ヤもカもイ(ヰ)も記紀、万葉集の時代まで遡れますから、「語源」としては十分納得感を得られるものではないでしょうか(本当に「厄介」が「家居」の転なのか、という問題はあるにせよ)。

一方で「テンプラ」ではどうでしょうか。「天麩羅」と漢字表記されることもありますが、この語の由来についてはポルトガル語の tempero とする説が有力のようです。「調味料」を意味するこのポルトガル語はさらにラテン語の temperāre 「混ぜ合わせる、調合する」に遡り、辞書を引くとこの動詞も tempus「時、時間」の派生語であることがわかります。とはいえ、「テンプラ」の語源はラテン語で「時」を意味する tempus だと言われても、あまりピンと来ないのではないでしょうか。多くの場合、「テンプラ」の語源はポルトガル語の tempero に由来する、という説明で十分とされるでしょう。日常的にも「外来語」という表現はよく使われますが、こういった他言語から語を取り入れる現象を「借用」と言います。また、この例でもわかる通り、「借用」された語は元の言語での本来の語義とはずれて使われることが珍しくありません。

もう一例、「哲学」についても触れておきましょう。これは、philosophy の訳語として西周にしあまねが作った漢語とされます。「哲」も「学」も元をただせば当然中国から輸入した文字、つまり漢語ですが、それを組み合わせることで、日本で新たに作られた和製漢語と言えます。西欧の概念を日本語にいち早く取り入れる必要性を感じた明治期の人々は、こういった多くの漢語による「翻訳借用」を行いました。漢語だからといってすべてが中国語(中国古典)に由来するわけでもない、ということです。

これと似たようなことは英語についても言うことができます。

例えば、英語の lord「主人」は古英語の hlāford, hlāfweard に由来しますが、元々は hlāf「パン」の weard「保管者」という意味でした。これが、時代を経るごとに、つまり親から子へ、子から孫へと代々受け継がれる過程で、発音が変化していき、意味も少しずつずれていき、今の lord という語になりました。つまり、この語は少なくとも古英語の時代からある英語の本来語と言えるでしょう。

特にアメリカの大学では「卒業式」のことを commencement と言うことがあります。これはフランス語からの借入語ですが、commencer「始める」という動詞の語幹と名詞をつくる -ment という語尾からなる語で、もともとは「始まり、開始」を意味します。英語においても借用時の意味は「開始」で、のちに「学士号、修士号を授与されることが、修士課程、博士課程の入り口」であるという考えから発展して「卒業式」の語義が生じたようですが、元のフランス語 commencement にこの意味はありません。

英語の economy, astrology はそれぞれラテン語の oeconomia, astrologia を経由して、ギリシア語の οἰκονομία [oi̯.ko.no.mí.aː]「家政学」、ἀστρολογία [as.tro.lo.ɡí.aː]「天文学」まで遡れる語ですが、これらの語と同じ構成要素をもつ ecology はというと、ここから想定される *οἰκολογία という語は古典期のギリシア語にはなく、ギリシア語由来の要素を組み合わせて19世紀に新しく作られた語です(直接にはドイツ語で作られた Ökologie の翻訳借用)。近現代の科学の著しい発展に伴い、新しい概念、新しい用語が必要になるに応じて、ヨーロッパの学者たちは、ラテン語ギリシア語の要素を自由に組み合わせて新しい語を次々と作り出しました(なお現代ギリシア語では οικολογία [i.ko.loˈʝi.a] という形で逆輸入されています)。

ひとくちに「語源」と言っても、その言語の内部で古い時代から脈々と受け継がれてきた本来語、他言語との接触により借用された外来語、また、外来語の要素をもとに原語にはない新語の創造と、様々なパターンがあり、これらは厳密には区別して語られるべきものでもあり、また複雑に絡み合うものでもあります。このことは頭に入れておきましょう。

英語の語源を語るために勉強すべきこと

ここでは、英語の語源について他人に語りたい人、あるいは言語学的に正確な語源説を自分で調べたり、あるいはその説が穏当であるのかどうかを判断する術を知りたい人むけに、勉強すべき分野とその分野で初めに読むのにオススメの書籍を紹介していきます。

おおまかには「外国語としては英語のみを勉強している人」「言語学については詳しくない人」を想定して、この順番でなら進んでいきやすいだろうという順で並べていますが、必ずしもこの順でなければならないわけではありません。また、一つの項目を完璧にしてからでないと次の項目に進んではいけないというものでもありません。特に語学については、根本的に時間がかかるものなので、同時並行的に、あるいは大学等の講義で履修できるタイミングなど、ご自身のタイミングで始めるのでよいと思います。(逆に言うと、時間がかかる分、早めに始めておいた方がよいかもしれません)

なにはともあれまずは英語

本末転倒に聞こえるかもしれませんが、英語の語源について調べるならば、やはり英語の文献が量も多く、参考にもなるので、英語そのものの勉強は欠かせません。この記事では、英語の文献については特に言及しませんが、日本語で書かれた文献でも、言語学系の文献は、英語が読めることは当然視されていることが多いので、語源の話はそれとして、英語の勉強は続けましょう。英語が苦手だとしても、フランス語や他のロマンス語(イタリア語やスペイン語など)が得意であれば、そちらを足掛かりに進めても構いませんが、少数派だと思いますので、英語が第一外国語であるという前提で進めます。

英語そのものの勉強については、今更ここで話すこともないので、特に文献は紹介しません。

英語史

さて、ここからが専門的な勉強になります。英語を習得するためだけであれば「英語史」の勉強は必要ありません。英語母語話者でも普通は知らないことだからです(われわれ日本語話者が日本語史について古文で習う以上のことは知らないように)。しかし、英語の「語源」を調べるとなると、当たり前のように「古英語」や「中英語」といった時代区分の概念が出てきます。

英語史については、次の書籍が比較的新しく、初学者でも読みやすいでしょう。

また、読みやすい新書としては例えば次のような本があります。

「英語史」の体系的な教科書としては次の教科書が比較的評判が良いようです。

やや限定的な話になりますが、綴りの変遷史としては、一冊目にあげた本の著者である堀田先生による次の訳書も読んでおいて損はないかもしれません。正書法が確立するまでは綴りが一定ではなかったこと、そこには色々な要因が影響していることなどを知っておくことは「語源」を調べる際にも有用です。

より専門的な知識については、上にあげた各書の参考文献を辿っていくなどすればよいと思いますが、「語源」を調べるためだけであれば概論的な基礎知識でも十分役に立ちます。

イギリス史

さて、英語史の本をいくつか読むと、意外と「歴史的な記述」が多いことに気づくと思います。当たり前の話ですが、言語というものは、民族の移動や接触、戦争や統治体制(の変化)など多くの歴史的・社会的事象の影響を受けて変化していきます。先ほど言及した「古英語」「中英語」「近代英語」といった概念も(分け方には多少のゆれがあるとはいえ)基本的にはそういった歴史的なイベントを参照点としています。具体的に言えば、ノルマン人の征服(ノルマン・コンクエスト)、英仏百年戦争、宗教改革、産業革命などなどです。

イギリス史の本もたくさんありますが、比較的簡便にまとまっているものとして、次のものを上げます。たくさんあるので、自分にあったものを選ぶので構いません。あるいは、世界史の教科書で、イギリスに関連するところだけを読むのでも概略をつかむには十分です。

また、中英語期にあたる英仏百年戦争については次の本が読みやすくておすすめです。

フランス史

英語史、イギリス史を勉強すると、フランスとの関わりが多いことに気づきます。また、上にあげた英仏百年戦争の本をよむと、そもそも「イギリス」「フランス」という現代の視点からみた境界が、はじめから自明であったわけではないことがわかります。「英語の歴史」「イギリスの歴史」は「フランスの歴史」そして「フランス語の歴史」と切っても切れない関係にあります。

フランスの歴史としては、以下の書籍が簡便にまとまっていて比較的読みやすいでしょう。

こちらもイギリス史同様、様々な本が出ていますので自分にあったものを選んで構いませんし、最初は世界史の教科書でフランスが関係する記述だけを拾い読みするのでもいいと思います。

また、さきほどの『英仏百年戦争』と同じ著者の次の王朝史シリーズも読みやすく、全体の流れをなんとなく把握するのによいかもしれません。

フランス語

英語の歴史はフランス語の歴史ともつながっているという話をしましたが、フランス語の歴史を勉強するには、やはり、現代フランス語の知識がないと始まりませんから、是非ともフランス語を勉強しましょう。できれば、中級文法と呼ばれる範囲まで抑えておけると歴史的な話にもついていきやすいのですが、「英語の語源」が目的であれば、まずは初級文法程度の知識でも十分です。

英語の語彙のうち、フランス語起源、ラテン語起源のものをあわせると全体のおよそ6割にあたるという話もあります。フランス語の場合は(英語と異なり)言語そのものがラテン語から時間をかけて変容したものなので、基礎語彙の多くも語源を遡っていけばラテン語にたどり着くのですが、一方でラテン語から大きく離れ「フランス語」になった後も(英語と同じく)教会用語や学術用語として多くの語彙を改めてラテン語から借用しました。もちろん、英語に入ったフランス語は現代のフランス語ではないので、綴りや意味が必ずしも一致するわけではありませんが、一度フランス語を習い始めると、英語と似ている単語がたくさんある(というか英語にフランス語と似た単語がたくさんある)ことにすぐ気づくはずです。

フランス語の勉強方法についても、様々な書籍が出ていますので、ここでは特に挙げません。ご自身に合った本、あるいは大学の講義で指定された教科書で勉強しましょう。

フランス語史

ある程度、フランス語ができるようになったら、フランス語史の勉強です。ラテン語についての知識があった方がよいのですが、そもそもフランス語史の本は選択肢が少なく、そのどれにも最初に簡単なラテン語の説明があるので、フランス語史を勉強する分には、どちらが先でも問題なさそうです。

比較的読みやすいものとしては次の本があります、が入手困難かもしれません。

また、やや古いものとして次の二冊を挙げますが、これらもやはり手に入りくいかもしれません。

読み応えのある翻訳書としては、次の本があります。古くはありますが、歴史的にも評価が高く、また「ロマニスト表記」にも慣れておくことで、のちのちロマンス諸語の歴史を調べることになった時にも役立ちます。

また、通史的なものではありませんが、項目ごとに歴史的な説明を試みている本として、次の本があります(ただ、ところどころ正確性が気になる記述もあります)。

(この記事を書くにあたって、改めて調べたところ、英語史と異なり、版元在庫がないものが多いので、図書館等をうまく活用してください。ここでは、紹介しませんが、読めるのであれば英語やフランス語で書かれた本に直接あたるのも手かもしれません。)

また、ネット上で気軽に読めるフランス語史ものとして、三省堂のウェブサイトに掲載されている「歴史で謎解き!フランス語文法」という連載があります。

古典ラテン語

英語の語源について何かを語ろうとするならラテン語の知識が必要であるというのは、言語学の知識がなくとも、なんとなく想像されることではないでしょうか。さきほど、どちらが先でも構わないと書きましたが、やはりより深いフランス語史(そして英語史)の理解にはラテン語の知識は欠かせません。

古典語については、大学で開講されている場合は迷わず取りましょう。最後まで貫徹できなかったとしても、最初のうちは手取り足取り教えてもらった方が効率がよいと思います。

ただ、ここでもやはり「英語の語源」が目的であるならば、ラテン語そのものの言語運用能力は必須ではありません。(そもそも大学の講義や文法書をやり通すだけでペラペラになれるとは思いませんが)

先生について習う際には指定の教科書で良いと思いますが、ひとりで勉強する場合、あるいは事前に簡単に雰囲気をつかんでおきたいという場合は以下の本が読みやすくておすすめです。

現代英語や現代フランス語と異なり、(古い印欧語の特徴を残した)屈折言語がどういうものだったのか学ぶことで、古フランス語や古英語の屈折体系の理解も深まります。特にフランス語との関係で言えば、ラテン語の名詞は、その主格形(つまり辞書の見出し形)ではなく、対格形がフランス語に引き継がれたということを抑えておくことが重要です。

古典ギリシア語

ラテン語と並んで、多くの学術語彙(の構成要素)にその語源を提供しているのが、古典ギリシア語です。ラテン語と比べて、一層難解とイメージされる方が多いかもしれません(否定はしません)が、ラテン語と併せて学ぶことで、相互に理解が深まる面もありますので、どちらもあわせて勉強することをお勧めします。

とっかかりとしては上であげた『ラテン語のしくみ』と同じシリーズの次の本や:

比較的新しく「初級」に焦点を当てた次の教科書が始めやすいかと思います。

ラテン語とギリシア語をどちらも勉強する際には、次のような本も副読本としてオススメです。(ただしどちらか一方をある程度勉強してからの方が混ざらずに整理できて良いかと思います。)

英語語源の観点からみる古典語の造語法

ギリシア語とラテン語を勉強した上で、英語の語源に関連して抑えておくべきこととして、ラテン語やギリシア語の造語法があります。これは現代英語で造語する際にも影響を与えています。日本語で詳しく書かれている本は少ないのですが、特にギリシア語に関しては、高津こうづ先生の次の本が、やや古くはあるものの、とても詳しく書かれており、今でも参考すべき本として第一級です。

例えば、ラテン語には agricultūra という語があります。いわずもがな英語の agriculture の語源です。この語は ager「土地」 + cultūra「耕すこと」の合成語ですが、単にそのままつなげて *agercultūra とはなりません。どうしてでしょうか。ラテン語の名詞は格(文中の役割)や数(文法数)にあわせて語尾を変化させます。これを曲用といいますが、ager の曲用は次のようになります。

ここで注目すべきは、ager という見出しの形(つまり単数主格)以外は、agr- という形で始まっているということです。この変化しない部分を「語幹」と言いますが、合成語を作る際にはこの「語幹」をもとにします。ラテン語の場合は多くの場合語幹の後ろに -i- を挟んで後ろの語とつなげます(agricultūra  の場合は単数属格形 agrī をそのままつなげたものという解釈もありますが、その場合でも長母音の ī は弱化して短くなります)。単数主格だけが他の曲用形と語幹を共有しない例はラテン語に多くありますが、この点はギリシア語も共通しています。

プラトーンの『饗宴』は、祝宴の参加者たちがそれぞれ恋の神エロースを称える演説をしていくという設定の対話篇ですが、中でも喜劇作家アリストパネースが語る ἀνδρόγυνος [an.dró.ɡy.nos]「男女」の話は印象的です。この語はその意味からもわかる通り、ἀνήρ [a.nɛ̌ːr]「男」と γυνή [ɡy.nɛ̌ː]「女」の2語からなりますが、やはり辞書見出しの形そのままではありません。これら2語は次のように曲用します。

ここでも、単数の主格のみが特殊な形で、それ以外では語幹が共通しているのがわかります。ἀνήρ の語幹は ἀνδρ- です。他方で、γυνή の曲用全体で共通の語幹は γυναικ-* なのですが、ここで採用されているのは単数主格と同じ γυν- の部分です。ギリシア語の複合語では多くの場合、つなぎの母音として -ο- が使われます。したがって、それぞれの語幹を繋いで、ἀνδρ-ό-γυν-ος という形になるわけです。(語末の -ος は名詞や形容詞を作る一般的な語尾の一つです)

*どうやら γυναικ- という形はさらに γυνα- と ικ- という別の要素に別れるようです。γυναικ- の形に由来する語としては gynaecology「婦人科」などがあります。

ここでは名詞の例をあげましたが、ともに屈折語であるラテン語、ギリシア語は名詞や形容詞は多くの曲用を示し、動詞もまた様々な形に活用します。このことが両言語を学習する上での困難となるのですが、英語の語源という観点で抑えておくべきことは、必ずしも辞書の見出し形がそのままの形で派生語や合成語に表れないということです。

また、ギリシア語からラテン語に借用される際に、いくつか抑えておくべき綴り字上の対応関係があります。例えば、ギリシア語の二重母音(字)αι, οι, ει はラテン語に借入される際それぞれ ae, oe, ī になります(最初の二つは英語ではさらに æ, œ と書かれたり、単に e と書かれたりします)。また、子音(字)κ, χ, φ, θ はそれぞれ c, ch, ph, th で転写されます。ギリシア語の名詞はラテン語に入る際に一部例外的な格変化をする語として受け入れられる場合もありますが、最も数の多い、-ος, -η(-α), -ον 型は、ラテン語でも一般的な -us, -a, um 型に変換されます。そういった対応関係は、両言語を学んでいけば自然と身につくことではありますが、英語の語源を辿る上ではある種の常識となるので、意識しておくと良いでしょう。

例:
αἰγίς [ai̯.ɡís] > aegis (> egis)
φοῖνιξ [pʰôi̯.niks] > phoenix (>phenix)
Εὐκλείδης [eu̯.klěː.dɛːs] > Euclīdēs > Euclid

比較言語学(あるいは言語学)

これがある意味本丸です。

英語史も、フランス語史も、比較言語学の考えをおさえておかないと結局のところは理解したことになりません。しかし、特に印欧語についての記述を知る上では、ラテン語とギリシア語が読めないとどうしようもないところがあるので、是非両古典語を学んだ上でチャレンジしてほしいところです。

比較言語学については、やや古くはありますが、上に挙げた『ギリシア語文法』と同じ著者の手になる次の本が今でも最良の入門書でしょう。

より実践的な内容としては、これまた同著者の手になる次の本が良いかとも思うのですが、「英語の語源」に留まるのであれば、そこまでの知識は要らないかなとも思います。

また、ここでは「比較言語学」に絞りましたが、言語学の基礎を勉強せずにいきなり「比較言語学」というのも実際のところむずかしいかもしれません。言語学の基礎的なところ、特に「音声学」「音韻論」といったあたりの概念は押さえておいた方が比較言語学の理解もスムーズに進むと思います。

その他のゲルマン語

ここは私の弱い分野なので、あまり詳しいことは語れませんが、語彙の割合では少ないとはいえ、英語はゲルマン系の言語ですので、他のゲルマン語との比較・対照は語源の知識にもかかわってきます。

日本で一番勉強しやすいのはやはりドイツ語です。また、「語源研究」に関してはドイツでの研究が盛んだったという歴史的な事情もあり、ドイツ語ができると参照できる文献が一気に増えるというのも大きなメリットです。

また、英語との近さで言えばオランダ語、古いゲルマン祖語の特徴を残しているという点ではアイスランド語などを学ぶといいかもしれませんが、ここまでくると「英語の語源」以上の話になってきます。

語源の調べ方

ここまでの勉強がすべて終わっていれば、もはやこちらから説明せずとも、おのずと信頼できる文献の知識もついていそうですが、そうは言っても、すべて身につけるまでは、語源はいっさい調べないというのも無茶な話なので、気になった英語の語源を調べたいとなった時に、参照できる方法の例を紹介します。

上記の勉強を重ねていくうちに、おのずと参照できる方法は増えていくかと思いますが、大切なのはどれかひとつの情報だけを信じるのではなく、複数の情報を並べて検討し、自分なりにどれが妥当なのか考えてみることです。もちろん、はっきりとした答えは出せないかもしれませんが、複数の語源説があり、それを比較できる能力というのが最も身につけるべきものです。

「英語の語源」を日本語で調べるなら、そのものずばり研究社『英語語源辞典』というのがあり信頼の点でも他の追随を許さないのですが、可搬性の面でも、価格の面でも、気軽に手を出せるものではないので、ここでは特に、出先など近くに参照できる文献がない状況でも、パソコンやスマホさえあれば参照できる手段を中心に紹介します。

Wiktionary

まず、スマホでも参照できるネット辞書として最もお手軽かつオススメできるのが、英語版の wiktionary です。私は、自分のiPhoneにアプリと並んでブックマークを置いています。

wiktionary の良いところは多言語辞書だということです。英語の語源を調べていても、語源欄のフランス語や、ラテン語、ギリシア語を選択すれば、そのままその語の項目に飛ぶことができます。いわゆる「語源辞書」ではできない芸当ですので大変便利です。この使い方においては、日本語版はあまり役に立たないので、情報量の面でほぼ英語版一択となります。

ただし、語によっては、やや情報が古かったり、いろんな説がある中でなぜかそこまで有力でない説のみが取り上げられているということもあり、他の語源辞書等の記述との比較は必要です(他の辞書でも同様のことは言えますが)。誰でも編集できる辞典ですから、特に出典が明記されていない記述については疑ってかかるくらいでもいいでしょう。*¹(出典が明記されていても、原典が信用できるかどうかはまた別問題ですが。)

Google: etymology

これはご存知の方も多いかと思いますが、Google で検索する際、検索欄に調べたい語と合わせて etymology と入れた上で検索すると、見やすい形で語源を表示してくれます。ただし、かなり簡便な表示のため、詳しいことは結局より深く調べる必要があります。

Online Etymology Dictionary

上記の Google での検索結果のわりと上の方に、Online Etymology Dictionary での該当語のページも表示されますので、合わせて確認しておくのも良いでしょう。

物書堂辞書アプリ

英語以外の辞書となると、語源については多くの場合中辞典クラス以上にならないと記載がない場合が多く持ち歩くのは現実的ではありませんが、物書堂辞書アプリ内で購入できる下記の辞書は語源の記述があります。

英語:
小学館『ランダムハウス英和大辞典』第2版
研究社『新英和大辞典』第6版
大修館書店『ジーニアス英和大辞典』

フランス語:小学館『ロベール仏和大辞典』

ドイツ語:小学館『独和大辞典』

イタリア語:小学館『伊和中辞典』

スペイン語:小学館『西和中辞典』

そして2023年6月には研究社『羅和辞典』も加わりました。

物書堂辞書アプリは、iOS, iPadOS, MacOS 版があり、一つの AppleID で購入内容を引き継げるので便利ですが、残念ながら Android版、Windows版はありません。どの辞書も有料ですが、紙の辞書よりもずっとお得に購入でき、かつどこでも持ち歩きできますので、Apple製品を持っている方でそれぞれの言語を学習するのであれば迷わず買いましょう。

Dictionnaire Robert Historique

フランス語が読めるのであれば、アプリ版の Dictionnaire Robert Historique もオススメです(こちらも残念ながら iOS のみの様子)。もちろん、引けるのはフランス語の語のみですが、英語の語源を調べる際に、それがフランス語経由であることが明確で、かつ現代フランス語にも対応する語が残っている場合、フランス語側から調べるのも有効な手段です。監修の Alain Rey は惜しくも2020年に亡くなりましたが、最新版は2022年で、最も信頼できるフランス語の語源辞書と言ってよいでしょう。

TLFi Etymologie

また、フランス語の語源について無料で引けるものとしては、フランスのCNRTLが運営している TLFi の Etymologie欄があります。TLFi とは Trésor de la langue française informatisé の略で、1971年から1994年にかけて刊行された全16巻の大辞典を電子化し、それをインターネット上で無料公開しているというものです。

Anglo-Norman Dictionary

英語史、フランス語史を学んだ方であれば、1066年のノルマン・コンクエストによってイギリスにもたらされたフランス語が(現代フランス語ではないのは当然として)当時の中央のフランス語でもく、ノルマン方言であったことはもうわかっていらっしゃると思いますが、この結果イギリスで話されたフランス語の変種を特に「アングロ・ノルマン語」と言います。これについてもネット上で公開されている Anglo-Norman Dictionary で(一部?)検索することができます。ここでは語形の揺れや初出年代も教えてくれます。(しばしばフランス語としての初出とされるものも、実はアングロ・ノルマン語での使用例が挙げられていることがあります)

研究社 羅和辞典

日本で現在最も手に入りやすいラテン語の辞典というと研究社『羅和辞典』ですが、こちらはロゴヴィスタ社がアプリとして提供しており、iOS, iPadOS, Android それぞれで利用可能です。収録語数も語釈も西欧の大型辞書と比べると見劣りしますが、語源を調べるうえで出てきたラテン語を日本語でどこででも調べられるのはとても便利です。
2023/6に上記「物書堂辞書アプリ」でも販売されました。

Logeion

Logeion というシカゴ大学が提供しているギリシア語・ラテン語辞書を横断的に検索できるサービスがあります。

  • Liddell and Scott's Greek-English Lexicon (1940) 希英

  • Lewis and Short's Latin-English Lexicon (1879) 羅英

といった有名な大辞典に加えて、

  • Liddell and Scott's Greek-English Lexicon (1940) 希英 

  • Lewis's Elementary Latin Dictionary (1890) 羅英

  • Bailly 2020 希仏 

  • DGE 希西 

  • Gaffiot 2016 羅仏

  • Pape 希独

といった様々な辞書を引き比べることができます。iOS, iPadOS, Android に対応したアプリもありますが、アプリ内で引ける辞書は限られているため(今後のアップデートで追加される可能性もありますが)、多言語で確認したい場合はWeb版がオススメです。(アプリ内からもそのままWeb版に飛べるようになっています)
※2024/1アップデートの ver. 3 からアプリで参照できる辞書が増えました。とても便利。

OED Online

英語の語源について、信頼できる記述を求めるとしたら、最終的に辿り着くのは、Oxford English Dictionary でしょう。20巻の大部な辞書なので、持ち歩くことはもちろん、個人で所有するのも現実的ではありませんが、こちらも電子化されてオンライン版が公開されており、第3版に収録予定の最新の更新情報を含めて参照可能です。語源欄も常に更新されているようです。有料ですので、契約が必要ですが、大学や研究施設向けの契約プランもありますので、学生であれば自分の所属先が契約しているかどうか確認してみましょう。個人での契約では、年間 £100 です。*²

*¹ *² ラテン語さんからご指摘いただいて加筆修正を行いました。ありがとうございます。

実践編に変えて

以上、紹介した辞書などを使って、私が英語やフランス語の語源を調べるときにどういう手順をとるか実例としてあげようかと思いましたが、すでに長い記事になってきてしまっているので、ここでは割愛します。以前書いた次の記事(の前半部分)が参考になるかもしれません。

語源は「答え」ではない

「語源(学)」のことを英語で etymology と言いますが、これはギリシア語の ἐτυμολογία [e.ty.mo.lo.ɡí.aː] に由来します。この語を分解すると、 ἐτυμ(ο)- + λογ- + -ία となり、 λογ- は「言葉、語ること」、 -ία は抽象名詞を作る語尾なので、-λογία は「~について語ること、~学」という意味あいになります。そして、ἐτυμ(ο)- が何かといえば「真の、本当の、実際の」といった意味で、古代ギリシア人にとって「語源(学)」とはすなわち「言葉の本当の意味(を求めること)」でした。

私たちが語源を知りたいと思う理由も似たようなものかもしれません。私たちは常に「正しい」言葉遣いを求められ、言葉の「誤用」を恐れています。文化庁が行っている「国語に関する世論調査」では、特に近年、かなり意識的に「辞書等で本来の意味とされてきたもの」のような表現を使うようにしていますが、それが一旦報道にのると、このもってまわった言い回しは「正しい用法」と単純化され、それに合わないものは「誤用」とされてしまいます。「誤用」が「新しく生まれた意味」であるならば、「正しい意味」とは「古い意味」「古くからある意味」であり、それを遡っていけば「語源」こそが最も由緒正しき「本来の意味」になるということでしょう。

ところで、英語には nice という語があります。説明するまでもなく「すてきな、素晴らしい;親切な」といった意味の形容詞で、日本語にも「ナイス」という形で入っています。このどこからどうみても肯定的な語の語源は、一見すると不思議なことにラテン語の nescius「無知な、ものを知らない」という形容詞です。この語は古フランス語 nice, niche「単純な、愚鈍な、無知な」という形容詞を経由して、英語でも13世紀頃には使われるようになりました。当初の意味は、そのまま「馬鹿な、無知な」というような意味でしたが、『ジーニアス英和大』の説明に従えば「愚かな→恥しいから内にこもる→気難しい→細かいことにこだわる→手の込んだ心遣い→すてきな」と次々と意味を変え、18世紀には肯定的な用法が支配的になったとのことです。しかしこれも、ウィークリーに言わせれば、「nice の現代の意味「すてきな」を十分に説明することは不可能に近い」(『ことばのロマンス』寺澤・出淵訳, p.168)とのことです。

ここまで極端な例は稀だとしても、言葉の意味は容易に変わってしまう以上、実は語源から現在の意味・用法が説明できるというのも絶対的なものではありません。多くの場合、元の意味と現在の意味が知られているために、逆算的にその間にストーリーを紡ぎ上げることができるに過ぎないのです。「おもしろい語源」というのは、歴史的な事実それ自身が面白いのではなくて、ただ書き手による「隙間の解釈」が面白いだけだということがしばしばあります。

上のリンクは、英語史の項でも著書を紹介した堀田先生のブログの記事ですが、ここで先生は「レトリックとしての語源論法」に気をつけなくてはいけないと述べています。語源というのはそれだけで不思議と説得力を持ち、なんとなく話をいい感じにまとめてくれる魅力すらあります。しかしそれは、あえて言ってしまえば、単なるまやかしでしょう…なんてことを言ってしまうと、語源への興味を醒ましてしまうかもしれません。しかし、自分で他人の語源説を疑えるようになってからが、つまり自分なりに語源説の妥当性をあれこれ吟味できるようになってからこそ、語源を調べる本当の醍醐味が味わえると私は思っています。

この記事に書かれていることを全て学ぶのは大変です。時間もかかります。私とて道半ばです。とはいえ、これらを学んだ人にしか見えない世界があるのもまた事実です。仮に語源そのものに興味がなくなったとしても、学んだことは決して無駄にはならないでしょう。皆さんの語源への興味が、各自の世界を広げていくきっかけとなるなら、同じ語源好きとしてとても嬉しく思います。

また、この記事は一語源好きの書いた、一つの例に過ぎません。皆さんの勉強方法、オススメの語源の調べ方がありましたら、是非(できれば記事にして)教えてください。

おまけ:字源の場合

英語や日本語の語源と同じく、漢字の「字源」についても興味をもたれる方は多く、「語源本」と同様「字源本」も多く刊行されています(中には「漢字の語源」とする本まである)。が、実際には、漢和辞典の字源欄も含め、日本で手に入る本で最新の古文字学の研究成果が反映された書物はほとんどないというのが現状のようです。字源を調べる上での、古文字学の基礎知識を学ぶには、専門書であり内容も簡単ではありませんが、それを差し引いても下記の書籍がオススメです。

また世の中に溢れる字源説と、現代的な古文字学の研究方法の対比の一例として次の記事が参考になるかと思います。

また、漢字の起源と比べれば比較的最近作られた表記でさえ、通説がいかに信用できないか、また検証がいかに大変かを示すものとして、「珈琲」という表記の歴史について検証した、次の田野村 (2021)「音訳語「珈琲」の歴史」が参考になります。

勝手な憶測や巧みに作り上げた逸話の寄せ集めに過ぎないものが語源としてこの国で通用していた時代は、そう古い過去のことではない。そういったたぐいの憶説は、依然として、新聞や教室の授業に跡を絶っていないようである。

ウィークリー『ことばのロマンス』寺澤・出淵訳, p. 10

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?