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藤堂豪の草野球読本


#創作大賞2022

 創作大賞に応募する形で改めて記事として送ります。


1.まず草野球って何?

2.ミニマム490万人というマーケット

3.1日5時間、と言う遊びで得られる価値は?

4.草野球と言う全体的な構造

5.チーム数=リーグ数

6.チーム作り=組織作り=コンセプトメイク ~私の暗闘1~

7.チームの空中分解の果てに ~私の暗闘2~

8.救いを求めて ~私の暗闘・3土曜日まとめ~

9.土日での草野球、と言う事

10.転職と草野球

11.草野球人の私生活って?

12.草野球の野手 ~外野手編~

13.草野球の野手 ~内野手編~

14.草野球の野手 ~捕手編~

15.草野球の野手 ~投手編~

16.草野球プレイヤーとして・イチ社会人として




1.まず草野球って何?

 こちらの数値をご覧ください。私藤堂豪、最近数年間の草野球成績です。

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 打撃成績が年々落ちる一方で、辛うじて2割になっている、と言う感じです。投球の方は、何となく最低限度ラインをキープしている、そんな印象でしょうか。私、藤堂豪は草野球プレイヤーとして約20年以上経験を積み重ねてきました。プレイヤーとしては勿論ですが、自分でチームを立ち上げ、監督業・代表業もしていた事もあります。そんな私の経験と実感、その他草野球あるある等をこの場ではつらつら、書いていきたいと思います。

そもそも草野球って何?

 まず、野球。日本人なら誰でも一応その競技の名前位は知っている事でしょう。競技人口はしかしそれほど多くはありません。Google検索をしたら、頭には730万人とでてきました。思いのほか少ない、と言うのが印象です。更に検索2番目の笹川スポーツ財団、ではもっと少ない数値が出ています。野球人口は年々減少傾向にある、と言うのは本当の話なのですね。じゃあ、なんで2大スポーツだなどと未だに言われているのか、マスコミの影響、と言う大前提を置いておいても、個人的には地域的なものが大きいと思っています。

 例えば私の住む千葉。更にその中でも私の住む地域は有名・一流プロ野球選手・監督を何人も輩出した地域。NPBのフランチャイズ球場も自転車で20分位で行けてしまう地域です。そんな地域で生まれ育った子供は確実に野球に触れます。競技としてやる、やらないに関わらず。事実、私の九歳の息子も少年団にはまだ入っていないが、普通にキャッチボール位は正直普通に出来てしまいます。まずはこの息子の目を通して色々考えていきましょう。

 親父である私。親父の私は超がつくほどの野球バカ。幼い頃からバットとボールは常に家にある、と言う環境。故に息子にとっての野球は日常的なもの、と言う環境が擦り込まれています。
 ある程度身体が動かせる年齢になれば、息子は親父にバッティングセンターに行きたい、とせがむようにあるのもある意味当たり前。で、行くと親父のようには打てない、親父が手取り足取り教えて少しは打てるようになるが、全然満足出来ない。悔しいと感じるようになる。また、ボールが自打球などで当たったりすると痛い。そこで痛みも覚えます。そうした親子関係に限らず、地域の小学校は親父も卒業した小学校で、市民大会、乃至親父が卒業した年には市の代表として県の大会にまで出ている野球強豪校。周りの友達も野球をやり始めているので、サザエさんの中島君ではないが、
「おい、磯野、野球やろーぜ」
が、普通に通用する世界である事を既に知っている。
 息子は今後どうしたいのか、離婚して父親としての距離は当然離れた今、私には判らないものの、こっちの方が使いやすい、と言っていた親父が使っていたグローブをリフォームして渡したら喜んでいたのできっと野球に対する抵抗感は少ないものなのでしょう。
 大人がやる草野球市民大会クラスのグラウンド・公園は普通に一般開放されていて、子供でもバットとボール、グローブさえ持っていけば誰かしらと野球が出来てしまう、そんな環境がちゃんとある。息子の住む家から、歩いて5分の世界。こうした地域は日本にまだまだ他にも存在しています。

 しかし、そうではないケースもあります。

 私の仕事の先輩の例を挙げます。彼はサッカープレイヤー。今もフットサルを年に何度かはしている。けれども、父親は大の巨人ファンで小学一年になった時、地域のリトルリーグに無理矢理入れさせられた、と言う。けれども、小学一年生で硬式ボールを扱うのは至難の業。すぐに痛い、怖い、と恐怖を覚え止めてしまった。地域的に鹿島が隣町で当時の住友金属の実業団チーム(今の鹿島アントラーズ)がすぐ近く、同級生や近隣の仲間にも住金の人は沢山いたから、自然とサッカーを始めるようになり、40を越えた今もフットサルをやっている、と言う話。
 野球しかしない私にしてみたら、野球よりもサッカーの方が遥かに肉弾戦で怪我も多く、痛みも半端じゃないでしょう、と聞くといやいや藤堂、野球のボールの方が滅茶苦茶痛いし怖いって、あんな石みてーなのがすげースピードで飛んでくるんだぜ、との事。
 住金鹿島は社会人野球のせかいでも名門としてかなり有名だが、当時、サッカーのプロ構想も出始めた頃で、実業団チームを構える地域は、NPB以外落ち目が予測され始めていた社会人野球よりは、プロ化して地域活性につながるサッカーを選んだ。そういう地域は沢山あるし、それが今のJリーグにつながっている。彼にも幼いお子さんがいるがお嬢さん。今後どうしていくか、その辺りは判らないが、高校サッカーから海外のプロリーグまで、熱心なサッカーファンなので、お子さんにもきっとそうした情報が当たり前のように擦り込まれていく事でしょう。
 野球と言うスポーツそのものは当然知っている・・・と言う人は世の中には多いが競技として考えた時、また、自分がそれをスポーツ活動として取り組む、と考えた時の温度差はこうした親子関係や地域差からも生まれたりします。そうして子供時分、野球をやり始め、プロ選手を目指したくなるも大半は挫折します。プロ選手はごくごく一握りの世界、と己の実力を知り、諦めます。私も当然その一人。また、野球は怪我の多いスポーツ。代表的なのは肩・肘。そこに限らず指先や腰・膝等多々。そうした怪我によってプレーを諦める、そんな人も沢山います。
 そうした人が日々のレクリエーションとして楽しむのが草野球。幸いにも日本には軟式野球、と言う競技が存在します。海外には殆どない文化です。この軟式野球であれば、硬式野球と異なり硬くなく直撃を喰ったとしても骨の心配は余り無い、そうしたものです。こうした軟式野球ボールを利用して行うスポーツが草野球、です。

次回から、その草野球について、詳しく書いていきます。

2.ミニマム490万人、と言うマーケット

 基本的な草野球の基本的な情報をおさらいしていきます。

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 まず、草野球人口。
 前回、私は正確には判らない、と書きましたがGoogle検索をしたら、約490万人、と言う事でした。まぁ、現実にはもっといると思いますが。この草野球はその大半が大人。要は490万人、草野球、と言う特殊なマーケットが存在する、と考えた方がここは適格です。どんなマーケットなのか、プレイヤー目線でまずはつらつらと書いてみます。

 草野球をやるには実は金が要ります。学生時代から利用してきた道具類も経年劣化するので当然買い替えが必要です。特にグローブは掌になじむ、なじまない、があるので学生時代から利用してきたグローブをそのまま使う、と言う人も多いですが、バットやスパイクはそうはいきません。バットは硬式用のバットをそのまま利用する、と言う人は稀です。何故なら、草野球に来る時点で既に筋肉・体力は少しずつ落ちているからです。

 硬式用のバットは日々革新されている技術により軽量化もかなり進んできていますが、それでも概ね900グラム程度。私が学生の頃は1000グラムが平均的な硬式用バットでした。しかし、軟式用バットは大人用の軽いもので500グラム~重たいと言われているもので、700グラム程度。また、軟式野球用のボールはゴム製なので、布・石・革で出来ている硬式野球ボールと根本的に中身が違います。硬式用のボールは核・芯になる石が中心部にあり、その周りを紐で覆います。円形にぐるぐる巻きにされた紐を革で包んで最後にその革を固定する為に強い糸で縫います。しかし、軟式用のボールは中身が空洞です。今のM球と呼ばれている軟式ボールはゴムの厚さが以前のA球と呼ばれているものより厚身を増していますので、硬式球に近い感覚になっていますが、それでも中身は空洞、素材はゴムです。
 そうなると石みたいに硬い球を打とうとするバットと、ゴム素材の柔らかい球を打つバット、これを分離させなければなりません。何故なら、硬式用バットで軟球を打つと、強いスイングだとボールが割れてしまいプレーが出来なくなるからです。今のM球で割れるシーン、は余りお目にかかった事はありませんが、過去A球の頃は、腕に覚えのある強打者が試合でも硬式用バットをこっそり利用してスイングするとボールが試合中に皹が入り割れて球を交換、と言う事は多々ありました。

 また、段々年齢を重ねると重たいバットをそもそも振りたくなくなります。私は41歳迄、硬式用木製バットでプレーしていましたが、バッティングセンターで時速140kmの球を打ち過ぎて左肩を痛め、そのまま一年程利き腕ではない方の四十肩に悩まされて以降、一般的な軟式用の軽いバットに切り替えました。こうしたバカは稀としても、一般的には学生迄やっていた硬式野球から草野球に切り替わった瞬間、バット軽いな、と思うものです。しかしそう簡単には打てません。何故なら石を打つ打ち方とゴムを打つ打ち方、根本的に違うスイングをしないといけなくて、ここに慣れる迄、それなりに時間を必要とするからです。

 ここに目を付けたのが用具メーカー。技術革新でいいものは沢山出来上がりますが、その分コストもかかる訳で、最上級の金属バットだと1本当たり5万円位は普通にします。サラリーマンの小遣いで5万円、は大金です。更にスパイク。今、普通の靴でも軽量化が進んでサラリーマンの必需品、革靴もアシックスを始めとして、様々なメーカーが軽量で丈夫、見栄えもいい革靴を沢山作っていますが、スパイクの世界も同様。個人的に衝撃的だったのは、アディダスが2010年頃から発売をし始めた「金具埋め込み型超軽量型のスパイク」です。それまでの野球のスパイクとは、革底で底が薄く、金具の突き上げがあり、その為には中敷きをしっかりとしたものを選んで、となっていましたが、サッカースパイクなどでノウハウを高めたアディダスが改めて野球スパイクを作った、そんなテイストで販売されたものです。見た目は本当にサッカースパイクと大差ないもので、金具が埋め込まれている、更に物凄く軽く、底の厚みもあるので突き上げが少ない。これは、体が学生時代よりも弱り始め、普段はサラリーマンとして怪我する事は勿論出来ない草野球プレイヤーにはたまらない代物です。一度使ったら、その軽さと安定さゆえに手離す事が出来なくなる代物です。
 しかし今までは交換出来ていた金具が交換出来なくなる為、金具が削れたら寿命で買い替えなければなりません。軽量化している、と言う事はそれだけ金具も脆くなっている、と言う事でもあります。一年に一度、もしくは一年半に一度、は買い替えなければなりません。これもコストです。大体安価なものでも一足8千円程度はします。高価なものでその倍くらいはします。
 それから、怪我の事で私は指先、と書きました。サラリーマンは、特にパソコンを使うサラリーマンは指先が命です。指先を守るものの一つに、バッティンググローブ、があります。ゴルフグローブとほぼ同じようなものです。私の学生時代の世代くらいまででしょうか、余りバッティンググローブを付けず、素手でスイングしていたのは。このバッティンググローブも実はピンキリで、ホームセンターなどのレクリエーショングッツで売られている安価なものでも概ね両方の手で使うものなら2千円近く、ちゃんとしたスポーツ用品屋で買うとその倍以上はします。ネット販売などでも価格差は大差なく、掌に使うものだから、やっぱり直接ショップで確かめて買う人の方がまだ多いと思います。
 このほかにも、私のように関節が先天的に柔らかく外れやすい人間だと、それを固定する為のサポーターやテーピング、機能性ウェアと呼ばれている衣類関係、更にはそもそもチームでそろえる必要のあるユニフォーム、これも安価なものから高価なものまで、ピンキリであります。今はやはり軽量化が進み、プリント技術の応用も進み、メッシュ素材で柄プリントのTシャツのような着心地がキープできるユニフォームが人気です。これら、当然お金がかかります。
 そうこすると、仮にグローブも購入するとして、平均的なお金のかけ方は、大体画像のような価格になります。飽く迄色々新たにそろえる、新規で購入する、と言う前提ですが、こうしたお金をかける人が毎年入れ替えで存在する、それが草野球の基礎的なマーケットです。 

3.1日5時間、と言う遊びで得られる価値は?

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 次に時間について。草野球は通常のNPBや高校以上の学生・アマチュア野球と違い7回制を採用している所が殆どです。これは小学校・中学校の野球が7回迄だった、と言う事と共にグラウンドの利用時間の分配、が大きく関わっている、と考えるべきです。
 7回を概ね2時間で行う、これが大体のざっくりとした目安として草野球プレイヤーの間では考えられていました。しかし今はその辺りも時短化が進み、自治体並びにその外郭団体が主催の市民大会でも、民間の有志によるリーグ戦でも、概ね1時間45分~1時間半程度が試合の時間、と考えられています。
 大の大人が両チーム合わせて最低でも18人、試合時間だけならこの1時間半前後だが、試合前のウォーミングアップ並びに、試合後のグラウンド整備、また泥だらけになった衣類の着替え、等考えると試合に費やす時間は概ねその倍の3時間、移動の時間を仮に片道1時間と見ると、5時間も体は拘束されます。仮にこれが仕事でメインタスク3時間、移動含め5時間、となると皆さんどうお思いでしょう?人件費換算、工数換算として考えると、結構な金額になる筈です。また、そこで3~5時間の工数を割く訳だから、当然元取る為に何か動いたり、セールスしたり、次のアポイントの確保に向けて動いたりしますよね。しかし、その時間、貴重な休みの日を割いて迄、バットとボールを持ってグラウンドに行き、打てた、守った、投げた、走った、怪我した、これをやるのが草野球です。
 私のように投手をしている人間はある意味退屈しないでしょう。何故なら私が投げなければ試合は始まらないからです。その意味では捕手もそうです。しかし、野手はどうでしょうか?1時間半仮に試合があるとして、その半分を守備、半分を攻撃、と想定したら約45分を守備に費やす事になります。この45分のうち、自ポジションへの飛球は何回あるでしょう?内野手ならまだ多いかも知れないけど、外野手は一度も飛球なし、で終わる事も珍しくはありません。私も外野手、しっかり準備してプレーに臨んでも、飛球や守備機会が一度もなく試合終了、なんて事は珍しくもなんともありません。更に、守備に自信が無ければ、これを、「あっ、ラッキー」と捉えたりもします。
 ただ、突っ立っているだけでラッキー、だなんて普通思うでしょうか?思う訳ありません。サンドイッチマン(お笑いコンビではない)ならそれが仕事です。通行調査員ならそれが仕事ですが、スカウターで通行量を数えます。共に、ジーッとしていなければならず、これはこれで普通に考えたら結構大変な事です。じっとしている事が苦手なら精神的な苦痛も伴う事でしょう。しかし仕事です。対価が発生します。ましてや私みたいな草野球をする人間は基本的にはスポーツが好き、体を動かす事が好きな人間。じっとしているだなんて耐えられません。そのご褒美?的に打撃があります。しかし、これも試合展開や打順によっては、3回の打席は回りません。それが全打席三振で終わると、全くボールに触れずに終わってしまう、なんて事も珍しくありません。そうなると、何の為の休日だったのか、帰りの道すがら、疲れた頭の中で考えてしまう事でしょう。私もそうした経験は何度もあります。こちらは趣味です。仕事ではありません。対価は発生しません。残るのは、精神的な疲労感と実質的な肉体的疲労、そして衣類含めた道具は汚れるので、そうした汚れ物に対する洗浄、洗濯の徒労だけです。車で移動するなら、仲間を駅まで送ってあげたりもしますから、ガソリン代も余分に掛かります。
 書いていて改めて思いました。一体、何が楽しいのでしょうか?

 そこでしか得られない価値、を、求めて人間は行動をします。例えば仕事。これは自分の能力・行動が評価される事で対価、即ち価値を得る事が出来ます。対価は経済活動においては当然お金、そのお金で自分の選択肢を拡げていきます。恋愛、これもそこでしか得られない価値です。恋人と一緒に居る事で気持ちが安らぐ、人間的に成長出来る、生理的な欲求が満たされる。夫婦になっても同様でそこに子供が出来、その子供によってまた自分自身が学ぶ事も沢山あり、子供を唯一無二の存在として愛おしいと感じ、子供を全力で守る、その為に仕事をしてお金を稼ぐ、そして子供や妻・夫の求めるものを購入し・・・。その他、日常の行動一つ一つを紐解くと人間は大体そこでしか得られない価値を求めて行動を起こします。食事だって空腹、と言う生理的欲求を満たし、美味しい、珍しい、美しい、と言う新たな価値を手に入れる為でもあります。芸術に触れる時もそう。その美術・芸術に触れる事でこれまでの自分にはなかった価値を手に入れ、或いは想像し、そこから創造を図り、刺激を手に入れる。漫画やゴシップを含めた読書や映画・テレビ・ゲームだってそうです。

 では、この草野球・・・果たして何を得る事が出来るのでしょう?

 投手や捕手は先程も書いた通り、常に動く。毎時毎球、打者と対峙し、自守備陣の状況を確認し、投手は投球の球種を選択し、捕手は投手のスタミナと打者の様子を考えながら、色々と配分をしていく。とても頭と体、両方使います。そうして1試合投げ抜くと精神・肉体双方疲労しますが、毎回毎回これをやるので、成長・後退両方します。その成長・後退両方を実感しながら、次はどうしよう、と考えます。
 野手はどうか?私は元々外野手です。当然学生時代は打者の動き一挙手一投足見逃さず、この打者のスイングはこうこうこうだから、こっちに打球が来るだろうか、等想定した守備位置取りをして、打球が来た時の連携・判断は勿論の事、自分たちよりも前の人たちの全ての動きを見ながら、どこにどうカバーとして入ればいいのか、そこを想定した動きを常に頭に入れて、常に最速でプレーに対するスタートを切る為の準備を怠らずに外野手としてのプレーに磨きをかける努力をしてきました。補欠でしたけど。
 草野球・・・どうだろうか?緊張感のある試合ならば、今でも勿論そうします。しかし齢43歳、今年で44歳。若い頃に比べたら、頭にインプットされている情報は多いので技量もその分上がる側面はありますが、体は大して動きません。ましてや、外野手は「急」に動く事が多いのです。この「急」は曲者です。歳取るとこの「急」な動きが段々怖くなります。特に寒冷期の試合だと、それで肉離れを起してしまう・・・そうならない為にも、ただ突っ立っているだけでない、ちゃんとした準備と対策を打って守備位置に立ち、守備機会に臨むのが毎回です。
 結局守備で得られる価値とはそうしたもの。それらが毎回ちゃんと出来た、或いはこれは出来ない、と言う確認作業である事が実は多いものです。この確認作業、実は生きていく中では重要な事。体を動かす事に自信をもてるか否か、と言う事になるからです。人間に一番必要なものの一つ、それは体力。この体力に自信がなくなると、人間は何をするにしても楽しめない、或いは自信がない、行動そのものを狭めてしまいます。行動が狭まると自分の得られるかもしれない価値、これも減っていきます。そうした、自分への確認や自信を得る、これが実は5時間掛けて得る、最大の価値なのかも知れません。


4.草野球と言う全体的な構造

定義

 草野球とはどんな構造で成立するものなのか?その構造・組織的な事を書いていきます。
 
 前々回、草野球人口は490万人と書きました。この490万の人はどう散らばって普段どう取り組んでいるのか?まず公のものとしては、公益財団法人全日本軟式野球連盟、と言うものがあります。この連盟が主催するものに天皇賜杯・高松宮賜杯なる全国大会が存在します。ここが実質的な軟式野球の頂点と言えるでしょう。それぞれ60回を超える大会が行われ歴史もあります。この、天皇杯・高松宮杯に出場する為には、全国支部が主催する大会に勝利して、初めて出場する事が出来ます。この全国支部、が前述した自治体の大会、となります。この自治体の大会に出場する資格がある組織はほぼ企業チームになりますが、クラブチームや仲間内で作った草野球チームでも実力さえ伴えば参加可能です。それには野球の実力は勿論だけど、組織体としてちゃんと運営されている事、それには資金余力も当然必要です。また、各々レベル・ランクが存在します。上位クラスの大半は企業チームですが、下位クラスになると有志で組織されたチーム、となります。
 因みに私みたいな中途半端な野球技量しかない人間は、天皇杯などには当然出場した経験はありませんが、こうした上位クラスの企業チームと対戦する自治体の大会には何度も出場しました。更にマウンドに立った経験もあります。
 余談ですが、マウンドでの対戦相手としての経験はまだありませんが、元NPB選手が対戦相手に居てびっくりした、と言う経験もありました。今スターターピッチャーとして所属しているチームは、NPB、オリンピック日本代表選手として伝説の落球プレーをした人が対戦相手に居た、なんて話も聞きました。たまたまその試合に私は別の用事があり出向けませんでしたが・・・
 従って裾野は非常に広い世界、それが草野球と考えていいでしょう。

 また、こうした自治体の大会とは違うリーグ戦・トーナメント戦も数多存在しています。それが民間主催の大会です。この民間主催の大会には様々ありますが、代表的なものは、
・ストロングリーグ
・GBN全国大会
・サンスポ野球大会(サンケイスポーツ主催)
・関東草野球リーグ(日刊スポーツ主催)
・MLBドリームカップ(パチンコのマルハン主催)
・プライドジャパン(サンケイスポーツ後援)
等、多数存在し、それぞれ熱戦を各地で繰り広げられています。

 しかし、ここには地方格差が確実に存在します。人口の大多数が集まる都市部では比較的チームの組織から、リーグへの参加が容易ではありますが、地方に行くと自治体大会のみの出場、或いは有志で集まり、都市部の大会に手弁当で参加する、と言う事も珍しくはありません。具体的には首都圏・近畿・中京圏への集中です。例えば、私が所属しているチームが参加し、過去私も代表として参加していたGBN全国大会、を例に挙げましょう。
 
 登録数を見ると圧倒的に東京都が1386と最も多く、次いで大阪府810となります。逆に少ない所では山形県は0。東北全体でも25チームしかありません。西に目を移すと、島根県も0。四国アイランドリーグ等野球熱が盛んな四国では全部で18チームの登録しかありません。また、このチーム全部がリーグ戦に参加している、と言う訳ではなく、活動休止しているチームも当然あります。
(2022年2月2日の登録データから)
https://www.gbn-sports.com/free_entry.htm

5.チーム数=リーグ数

 例えば私の住む千葉、並びに首都圏には河川敷グラウンドが多数存在しています。江戸川・中川・荒川・多摩川・浅川と言う東京を下流域とした代表的な河川は比較的平坦で流域沿いには河川敷があり、この河川敷は居住圏への河川氾濫緩衝地帯と言う役割をそもそも持っています。他、広大に広がる利根川はその広さから何でも作る事が出来ます。だから利根川流域近隣にも河川敷野球場は存在します。前述のサンスポ野球大会のメイングラウンドは三郷市にあるサンケイグラウンドと呼ばれる場所で、これは江戸川流域に30面ほどの野球場が拡がっています。ほか荒川流域には両岸に足立区・荒川区を始めとした河川敷グラウンドが広大に確保されており、多摩川流域も周辺自治体による公営のグラウンドがそれぞれ存在します。そしてそれに合わせるかのように、少年野球・中学の野球部・草野球チームがそのグラウンドを利用しています。
 こうした河川敷グラウンドに共通している事は居住区域に近い、と言う利点です。少年野球チームは自転車でグラウンド迄行く事が出来るし、大人の草野球チームは駐車場も確保されているので、車で出向く事も出来ます。駐車場には管理者が存在し、そこでの雇用も生まれています。これが同じ関東でも北部や南部の山林が多い地域だとそうはいきません。高低差がある関係で河川は広大ですが、周辺は林に囲まれ、グラウンドを作る事が出来ません。せいぜいバーベキュー会場になる程度で、あとはその流域で釣れる魚を目当てに釣り人がクロカンを乗り付けて釣り糸を垂らしている、そんな感じです。関東平野とも違うので、岩場も多く、グラウンド作りには余り適さない、と言う事もあります。私が仕事で良く行く北関東の河川は殆どがそうです。例えば茨城と栃木の県境にある鬼怒川や小貝川。利根川の両端は比較的平地も多いけど、勾配差があるのか、意外とグラウンド化されていません。埼玉県北の荒川は広過ぎるので野球よりもゴルフ場と化しています。一部野球場も当然ありますが。他、埼玉北西部の入間川は砂利が多くグラウンドになりづらいです。元々秩父の砂利や石が上流には沢山あり、それでセメント工場も多い地域なので、これは地理的な問題かと。
 河川敷グラウンド以外はどうか?と言えば首都圏や都市部の土地の確保が難しく、郊外は土地確保は容易い・・・かと言えばそうとも言えないです。首都圏都市部は案外公営のグラウンドや公園としての整備が進んでおり、管理者もそこで確保されて、肌感覚ですが、埼玉県が最もグラウンドは多い印象です。居住区域は平坦な土地が多いからでしょう。関東の草野球プレイヤーの聖地的な存在の一つに、健保組合が運営している約60面以上もあるグラウンドが大宮と志木の間にあり、そこも冬季オフシーズン以外、毎週末は満杯状態で熱戦が繰り広げられています。その他、千葉・東京・神奈川もまだまだ数が足りているとは言い難いと個人的には思いますが、相当数グラウンドがあり、各自治体が民間のレクリエーション団体に向けて、グラウンドの貸し出し制度を確立させ、運用されています。関東の北部に目をやると、確かにグラウンドはあります。面積で考えても北関東の方が広いのだから。しかし、これを公営として運用している先は思いのほか少なく、民間での運用、例えるなら一つの会社の工場内敷地、と言った形でどちらかと言えば企業内福利厚生施設、としての色彩が強いように見受けられるものは多数存在します。結局コネクションがある先でないとそこでの試合はしづらくなる事でしょう。
 私も草野球チームの代表をしていましたが、メンバーが集まった後に一番頭を抱えるのはこのグラウンド確保です。手続きは自分で調べないと判らないし、今はウェブでかなり出来るようになってきました。昔は抽選会と言うものがあり、これが平日の昼間に行われていました(船橋市)。その為休みを取っていかなければならない、と言う面倒臭さ・煩雑さがありました。そうして面倒な事を色々やっても抽選から漏れたらグラウンドは無く、仕方ないので対戦相手を地道に探すしかないのです。
 先にリーグ戦の話で民間主催のリーグ戦が多々ある、と書きましたがそれはそうした対戦相手の安定的な確保、相互扶助が第一義の目的で大型のリーグだけでなく、地域のチームで集まって行う小規模のリーグも多数存在しています。従って、グラウンドが作れない地域での草野球チーム運営と言うのは、とても困難なものである、とご理解頂くと良いと思います。

 こう考えると、グラウンド数と草野球チームの数はある程度比例し、また、その間を取り持つリーグの数も活発に活動されている地域で行われる、と言う事が多いと判ると考えて遜色ないと言えます。

6.チーム作り=組織作り=コンセプトメイク ~私の暗闘1~

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 草野球チームを作りたい、そう思ってメンバーを集める。ここまでは比較的容易に出来ます。インターネット・Webアプリや交流制SNSを通じで仲間を集めればゼロベースからでも人は集まります。それが野球の魅力とも言えるでしょう。ただ、元野球部仲間などの仲間内で始めない限り、独りでこの辺りをやるとすると、相当な根気が必要です。まず貴方がどんな人なのか、そしてどんなチームにしたいのかを明確にしなければならないからです。
 例えば昨今多くみられるユーチューバー草野球チーム。参加されている方の中には私も1打席だけ対戦して手も足も出なかった140キロ以上の球を投げる投手もいましたが、基本、皆滅茶苦茶野球が上手いです。当然そうした野球が上手な仲間で集まると、目指すは全国制覇、高松宮杯優勝、等壮大なものになるでしょう。また、そうした強い野球に動機付けされてメンバー入りを志す仲間も自然と増える事でしょう。それは前述のような大会成績やチームプロフィールを表示したWebサイトが存在し、それらを見てこのチーム面白そうだな、と思う人が多いからです。
 現在私の在籍している土曜日チームも、そうした大会成績やプロフィールなどを見て応募してチームに入った、と言うメンバーは数人います。彼らが友達を呼び、若手の主軸として活躍をしています。要は一人誰かを連れてくれば、その後ろには何人か必ず仲間が居て、その仲間が呼び寄せられたら更にその仲間の輪が広がる、そうした構造は自然と出来上がります。現在はその若手が中心となってチームを再形成しています。私は最早老兵状態で、いつこのチームを有終の美を飾って引退するか、そればかりを考えています。

そこに至る経緯として・・・

 私も実は草野球チームの監督・代表を務めました。私の場合、根が一匹狼なので一人でチームを立ち上げました。SNSなどを通じてメンバー募集。最初に来たメンバー複数人をコアメンバーとして、とりあえず練習から開始。何しろお互い顔も名前も知らない人同士で始めましたので。そこから更にSNSで募集を掛けて、何人か入退部を繰り返し、半年くらいした時、漸くチームの骨子が出来上がり、メンバーが友達や後輩を連れて来る、と言った流れで試合がある程度安定的に出来るだけの頭数を毎週揃えられるようになりました。
 最初は練習や試合が出来て良かった、位の欲求レベルですが、人間は欲深です。当然そこから大会に出よう、とかもっと沢山練習をしよう、とか、それぞれの野球レベルや欲求レベル、価値観が一気に入り混じる。そこを束ねるのが代表。強いリーダーシップと共に大人ならではの気づかい、心遣いが必要になる。更にそこから永続性と言う話になる。これはある意味、会社組織の中でチームビルドをするよりも遥かに難しいです。例えば会社であれば、まずは大前提として雇用関係があり、そこには給料と言う対価がある。草野球にはこれが無い。大前提としては趣味の集まりです。その為、往々にして声の大きな人間に右へ倣え、が日本人の特徴であるように、自分の主義主張を言うのは割と関係性が馴染んでから、になり各人の欲求レベルがとても判りづらい、と言う点にあります。
 これが例えば最初から大会で優勝する、その為に強いチームを作るから少なくとも大学野球経験者、高校野球経験者でないとダメ、とシャットアウトしているチームは別です。事実そうした形でメンバー集めを行い、グングン強くなるチームも沢山あります。

 私の場合、飽く迄趣味の集まりからスタートしました。当然皆仕事を抱えています。そして休みが合うメンバーだけが参加する、これが基本です。レベルも拘りが無く、取り敢えず野球が好き、と言う事だけで集めました。年齢層も私が当時32歳、一番上で50歳手前。一番若くて21歳。年齢層も万遍無く揃えました。そうして集まったメンバーとユニフォームを作り、練習を重ね、概ね半年後には初試合、そこから数試合年間に行って翌年からリーグ戦参加。ここまでは割とトントン拍子に進みました。そして春季・秋季とある地元のリーグ戦に参加。前年にある程度チームワークを固めたお陰でそれなりに勝ち進み、春季リーグ戦は上位3位。そこからクライマックスシリーズよろしくトーナメントがあったがここは敗退。しかしながら、作って1年でここまでやれる、と言う事に代表である私は確かな手ごたえを感じていました。何より勝つ喜びをまずはみんなで分かち合う。これが出来始めているだけでも上出来。この先、判らないけれども、自分自身がプレイヤーとして経験した、関東草野球の特別部やストロングリーグの1部など、もしかしたら参加出来る位にチームも力を付けるかもしれない。そうなったら嬉しいな、程度には実際に感じていた。
 春季リーグのお疲れ様会で飲み会を開き、二次会のカラオケ、とお決まりの流れの中で期待の若手二人が揃ってChemistryを歌っている姿を眺めながら、あぁ、1年間苦労した甲斐があった、本当にいいチームにこれからなっていくのだろうなぁ、と思った。

 秋季リーグ戦までの間、活動頻度を減らしつつ時々メンバーの集まり具合がいい時にもう一つ参加していたGBNリーグの試合を消化。これはマイナースタートだったが、2位で終了し、次はメジャー3部スタート、とGBN本部から連絡がきた。秋季リーグ、と思っていた夏場。メンバーに呼び出されて指定された居酒屋に。そこにはある程度の中心メンバーが集まっており、そこで今後のチームについて、代表としてどう思っているのか、と聞かれた。そこで酒も入り酔いが回ってしまった私はついつい口を滑らせて、今迄黙っていた本音を伝えたが、これが不味かった。私としてはなんやかや、勝つチームを目指したい。勝ってこそ野球は楽しいスポーツであり、負けて得るものは勿論あるが、それは少ない。貴重な時間を皆割いて来るのだから楽しんで毎回終わりたい。そうすれば翌週、翌々週の試合もまた楽しい気持ちで臨める。と話をした。が、これが良くなかった。チームのメンバーからは、それは勝ちに拘る野球になるのか、そうならば俺らはしたくない、と言う意見が大半だった。その後も喧々諤々、方向性をどうすればいいのかと言う話になって終電近く迄話し合いそれで終わったがこれが後々に大きな溝を作る事になった。
 その後秋季リーグ戦が開始され、チームはなんだかんだスルスルッと勝ち上がっていった。気付けば8勝1敗1引き分けでリーグを1位通過。しかしメンバーは皆楽しそうでは無かった。特に顕著だったのが道具の管理。基本分担して行うようにしていたが、誰も道具を持ちたがらなかった。仕方ないので私の車に全部積んで毎回試合に赴いていたが、どうしてなのか、と一度試合後にメンバーを集めて聞いたら、リーグ戦が終わってクライマックスも終わったら、ちょっと活動は見合わせたい、と言う意見のメンバーがあの飲み会でのメンバー全員だった。それに呼応されるように、他のメンバーも、じゃぁ、そういう事ならば・・・と言う事になり、取り敢えず最終戦まではみんなで頑張りましょう、としてその場は終わった。荷物に関しても、そんな状況なので出来れば持ち帰りたくないが、代表の藤堂さんが苦労されているなら・・・と言う事で一旦分担制には戻った。それを聞いて私の表情は一気に曇った。そんなに勝つ事を考える事がダメなのか、否、それを意識した瞬間に楽しくないのだろうな、この辞めたいと言ったメンバー達は・・・と。
 

7.チームの空中分解の果てに ~私の暗闘2~

 秋季のリーグ戦が終わり、クライマックスシリーズ。11月中旬の鉛色の空。10月に秋の長雨が続き、勝てばダブルヘッダーになった。こういう組み方が一番面倒くさい。理由はメンバーを少しは多く揃えておかないとならないし、しかしチームの負けが決まりそうになったら、全員出場させなければならない。更に11月。メンバーによってはもうオフでしょ?と考える人も少なくない。私自身もそうだ。出来れば気温10度以下の環境で野球をする事はしたくない。怪我の危険があるし、単純に寒い。正規のメンバーでは頭数が足りず、助っ人を数人呼ぶ事になった。結局私含めて11人集まる事になった。しかしそのうち1人はずっと創設時からやってくれいた人だったが野球素人。こういう時は特に出してあげたいけど、勝つ事を優先しなければダブルヘッダーにならないので、スタメンから外さなければならない。物凄く悩んだ。悩んだ末に、やはりスタメンから外す事にはした。なるべく全員出したいから早めにゲームを決めてくれ、何より彼を出してあげたい、と。
 試合開始。投手戦。このリーグ、私と事実上の二枚看板で頑張ってくれた大学生のY君が先発し、零封。しかし味方も点が取れない。じりじりとイニングだけが進む。終盤に相手の自滅から得点を重ねたこちら。終盤になった時、私とベンチに居た野球素人君が私に耳打ちをした。
「監督、すみませんが、1試合目終わったら帰ります」
このタイミングで言うか・・・2試合目はスタメンで出すつもりでいたのに、と思いながらその旨伝えると、いや、いいです、と。私は判った、バット振ってくれと伝えた。そして彼を代打で出してその後守備にも就かせ、変わった所に打球が行く、と言う倣いの通り、打球も捌いてくれた。点差離れていないのでちょっとヒヤヒヤしながらその様子を眺めながら。そして試合終了。チームは勝利。2試合目に向けて一旦小休止。その小休止の間、彼に呼び出され、車の中で話をする事に。結果、彼は今日でチームを辞める、との事。みんな辞めますよとの事。もう何となく判っていた為、特に驚きはしなかった。淡々と彼のチームや野球に対する想い、スタメンで出してくれていたのが急に出して貰えなくなった憤り、その他諸々聞かされても私の頭の中は次の試合の事で頭が一杯。せめてもっと後か先か、で言ってくれたならもっとちゃんと話を聞くのに、と思いながら。試合開始5分前迄彼は私を離さず、私も出来るだけ引き止めようとしたが出来ず。そこからスタメン表を書いて急いで私は試合に臨んだ。
 2試合目は私が先発。これは決めていた事だった。それに1試合目で完投したY君も予め1試合目で帰る予定だったので、人数は助っ人さん含めてギリギリだった。どうせなら勝ちたい。リーグ総合優勝を手にして終わりたい、そうすれば報われる・・・そう思ったが、気温は10度を切った。8度か7度位。本来私はウォーミングアップを入念にしなければ身体は動かない。けれども、5分前迄車の中で縮こまっていたし、チームメイトも散り散りだった。これは不味い・・・と思いながらプレイボール。
 全然ストライクが入らない。指が縮こまり、肩も縮こまる。送りバントの処理すら私は誤る。置きに行くボールは痛打される。相手のミスショットを狙う以外アウトは見込めない。序盤で本来ならノックアウト、だが替えの投手が居ない。2回で5失点。トーナメントでこれはもう致命的。しかも7点差付けばコールドで終わる。せめて、それだけは避けたい。3回のマウンドに登り、1失点。もう後が無い。センターからメンバーであるN君を呼び出し、次の回から投げてくれ、と頼んだ。彼はこのチームでほぼ初めて草野球に触れたが高校までは野球をしていた。大学もサークルで野球をしていた良く動くメンバーだった。時折投手もさせていたし本人も希望していた。しかしまだ不十分だった。野手投げなので、投手としての雰囲気が無い。こういう若手は結構草野球では居る。学生時代、例えば小学校等では投手を経験していたが、その後中学高校に上がり野手に転向させられた経験を持つ人は、草野球では投手をやりたがる。しかし実際はそう甘くはない。幾ら球の速さがあったとしても、コントロールであったり野手との呼吸、変化球の球種、またその曲がり角度等からまずは投手としての経験以前に野球を改めて見て貰いたい、そこから投手としての経験を積ませようと思うタイプだった。また、久々の年間通したシーズンになるので、彼を故障させる訳にはいかないからセンターを守らせていた。この部類の話はまた、別のポジション別の項目で述べる事とする。
 また、このチームを通してマネージャーと付き合う事にもなった。マネージャーもSNS経由でやりたい、と言ってきてくれた女の子だった。高校時代野球部のマネージャーをしていたので、チームの裏方としての役割は良く理解してくれていて、たった1年でこのチームが私設リーグで優勝争いが出来る位になったのは彼女の功績も大きい。しかし二人ともこの年でチームを抜けると何となく意思表示は示していた。
・・・こんな形で使いたくはなかった。投手を希望していたのだから、もっといい場面で投げさせたかったし、何よりもたった1年で抜けるだなんて、折角来年のGBNリーグ戦もあり、彼には1番センターとしての役割、リリーフ投手としての役割、経験を積ませてもっと上手に育てていきたい、そう思っていただけに私は苦渋の選択を迫られた。
彼は何とか1回を零封し、その後相手のミスでこちらも2得点重ね、何とかゲームは続ける事になった。が、グラウンドを借りられる時間にも制限があり、そろそろタイムアップ。終わりの時が迫っていた。次で最終回になる、と主審から伝えられ、守りに就いたがそこで事件が起きた。
相手打者の内野ゴロ。そこで送球が逸れてしまった。ランナー側に送球が逸れて、ファーストとランナーが交錯。その瞬間・・・流血。顔面にバッターランナーとグローブとが交錯した模様で、最初外野から鼻血か?と思ったが口を切ったらしく、白いユニフォームに鮮血。うずくまる両者。プレーは中断。両チーム全員で様々動いて救急車到着。マネージャーさんに頼んで同伴して貰い、何とも閉まらない形でその試合は終了。シーズンも同時に終了した。
 辞めたいと言い出した4・5人のメンバーは、けが人が出た事もあり、将来的な話はせず、取り敢えず事務的な会費未払いの件と、道具を一旦こちらで回収する事、1年間お疲れ様でした、と言う話をしてその場は終了。また、助っ人で来てくれた人も居たし、残りたいと考えているメンバーも居たので、参加しているGBNリーグ戦について、話をしてその場は終了。全員解散となった。
 その後怪我した助っ人さんから夜にメールが来て、口の中を10針以上縫った事、スポーツ保険の加入が大丈夫かどうかこちらも確認する事、もし保険が適応されなかったら私が自腹切るので請求してくれ、と言う事を伝えて終了。
 その助っ人、Sさんは何度かこちらに来た事のある助っ人さんだった。故に人間関係はある程度出来ていた。後日Sさんからは、藤堂さんが自腹切る事は無いのでご安心下さい、とメールが来たがそういう訳にもいかないので・・・と私が食い下がった。しかし、いや、大丈夫となった。その予後暫く連絡のやり取りをし合い、回復を確認出来たので私も溜飲したが、このような怪我人を出すような事だけはもう二度としたくない、と心に誓った。辞めたいと言ったメンバーは試合当日或いは数日に掛けてそれぞれメールを私に送った。正式に辞める旨、ユニフォームを返却したいという人も居れば、辞めたい旨伝えてそれだけの人、マネージャーに貸したアディダスの上着だけは返して欲しい旨マネージャー並びに彼氏のN君に伝えたが、返ってこなかった事など、あれやこれやあり、そのまま年末。その間にもメンバー募集を草野球3番地と言う掲示板サイトに書いたりしたが応募は無く、人数が少ないまま年を越してしまい愈々GBN3部で戦わなければならなかった。しかし、最早空中分解から本格的な分解をしてしまったこのチームでどうやってリーグ戦を戦えばいいのか、皆目私には見当もつかないまま、残ったメンバーを軸にオーダーを考え、また、他チームの代表と連絡をし合いながら、来年のリーグ戦を出来る限りいい形で戦えるような段取りを考えていた。

 そうして春になりGBN開始。足りないメンバーは毎回どこかしらの伝手を経由して、何とか揃えた。草野球3番地掲示板にも毎回助っ人募集をして、そこで単発的に来てくれた助っ人も毎回いた。2戦こなして、もう私も限界を迎えていた。このまま固定メンバーがたった4人しかいない状態で、チームなど続けられる訳もない。どこか他のまとまった人数の居る所と合併した方がいいのか、とか、そもそもチームをもう解散させるか、とか、色々考え始めていた。毎週3番地と当時あった野球SNSと言うmaxi仕立てのSNSばかり眺めて、何かいいチームは無いか、思案を巡らせていた。そこで野球SNS経由で、助っ人募集とあったので、私自身が助っ人に出向いた。そこは監督とプレイヤーが完全に分かれていて、監督さん中心に毎週土曜日、葛飾地区や埼玉東部で試合をしている、と言うチームだった。助っ人で試合参加しながら、もしかしてこのチームなら・・・そう、私の第六感が働いた。

 


8.救いを求めて ~私の暗闘・3土曜日まとめ~

 試合をしながら、このチームなら、と思った。メンバーは実力にばらつきがありながらも、監督さんがチームを束ねている。その統率力に私は賭ける事にした。助っ人参加の試合が終了。私も2回だけ投げて取り敢えず抑えた。終了後の後始末をしている時に監督さんからまた次も来てくれ、と言われたので二つ返事ではい、行きます、と私は答えた。そこで監督さんを呼び出し、今の自分の事情を話した。そうして、2週後に控えたGBNの試合を良かったら観に来て欲しい、とも頼んだ。監督さんは行けたら行くとだけ答えた。

 そうして2週後のGBN。参加している日曜チームメンバーと投手などほぼ助っ人だけで試合に臨む事になり、何とか勝利を収めた。試合の最中に監督さんが来てくれて、バックネット裏から試合を眺めていた。試合終了後、監督さんからは、
「うん、良いチームだな」
とだけ言われた。翌週のそちらのチームの試合にまた私自身が参加する旨伝えてその場は終了。そうして、その試合に参加した後、監督さんと二人でファミレスに。そこでこれまでの事情を全部伝えて、こちらのGBNの残りの試合、メンバーを貸して欲しいと言う事とその見返りにこちらのメンバー数人をそちらに差し出すので使って欲しいと言う交換条件を提示。監督さんも同意してくれた。

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 このチームの課題は全体的な実力不足。チームの歴史としては20年以上あるが、主力メンバーは何度か入れ替えている。草野球では必ずやってくる寄る年波と言う問題があるからだ。しかし監督さんはまだまだやれる、と考えているようで、チームを運営して行く事の大変さ、やり続ける事の素晴らしさ等色々お話しして頂いた。その一つ一つ、大いに共感出来る事があり、私としてはパートナーとして組めるお相手として申し分ない、また、チームを上手に解体させるにはこうした形が一番いい、自分自身もまだまだプレイヤーとしてやれるだろうから、残りの草野球キャリアをこの監督さんに捧げる覚悟をそこで決める事にした。当然、勝つ野球が私はしたい。弱者として勝てる方法は色々知っている。そうしたノウハウを可能な限り伝えて行って、自分のキャリアを終わらせる事が出来たらそれがいいや、と思ったから。
 残すは私を信じて着いて来てくれたメンバーにどうこの事を話しようか、色々悩んだ。悩んだ末に、ありのまま話をして、そこで動機付けされたメンバー4人をこちらのチームにそのまま引き入れる事にした。活動の主体はその瞬間、私のチームでは無く、そちらのチームに移行させる事になった。私自身も。しかしGBNの試合は残っている。しかも、最後の相手は元々私が土曜日、プレイヤーとして参加していて千葉の私設リーグではやはり優勝したチームと毎年必ず試合を組む、勝手知ったる相手だった。グラウンドは監督さんが用意してくれた草加の工業団地内にある野球場だった。私のチームメンバーと、監督さんのチームメンバー、半々で構成された私のチームの最終戦。結果は惨敗だったが、最後まで私は試合を楽しむ事が出来たし、参加してくれたこちらのメンバー、あちらのメンバー皆それぞれ一生懸命に試合に集中してくれた。私は感謝の気持ちしかもう、無かった。これで、一旦自分のチームはお終い、今後はこの新たな土曜日チーム、TJSと言うチームに専念しよう、と心に決めた瞬間でもあった。

 ・・・以上が私のチームで起きた事です。もう10年も前の話になるので、記憶の引き出しをこじ開けながら、色々綴ってみましたが、私にもいけない所は沢山あった、と今は振り返る事が出来ます。やはり悔やまれるのは、呼び出されて行った飲み会。その席でチームの方向性を決める時、私も頑固になってしまった。これが一番いけなかったと思っています。もしここでメンバーに迎合する形を私が大人として取っていたならば、また全然違った形で私は草野球キャリアを積む事になったかも知れませんし、今も代表を務めていたかも知れません。勿論たらればの話ですから、もし私自身がそのままチームの監督を務めていたとすればどうなったか、と言う事は極力考えないようにしています。
 2年の間、活動して取り敢えず勝ち越したのは事実。リーグ戦は4つに参加。22勝9敗。トーナメントは弱く1勝2敗。その他練習試合は何試合したか記憶にありませんが、3勝5敗位だったように思えます。当初中々勝てなくて初勝利迄が遠かったのは何となく記憶にある所です。

 この先、私は今に至るまでこのTJSと言うチームのメンバーとしてやってきました。この間に、このTJSではストロングリーグジャパンカップ出場1回。ストロングリーグ1部・2部・GBN1部・2部にそれぞれ出場し、ストロングリーグの1部・2部では何勝したか判りませんが勝利投手にもなっています。特にプレイヤーとして大車輪したのはこの監督さんが他界した翌年、年齢で言うと39歳の時でした。私以外に20歳台の若手と2枚看板を組み、ストロングリーグ・練習試合通して年間で8勝3敗、防御率3点前半台の数値になりました。二人だけでトータル15勝重ね、チームとしてもかなり飛躍した年になりますが、その後私の実力は下降線の一途をたどり今年は1勝1敗、防御率こそ3点台前半をキープ出来ましたが、投球回数もチームの中では少なく、先発よりも中継ぎでの登板が多かったです。また、土日連続で草野球をやる私に、元の妻は実際余りいい顔はせず、それが元、と言う訳ではありませんが、結果として離婚しています。家族サービスはしているつもりでしたが、草野球に費やす時間をより家族に向けている事が出来たら、また違った人生を今は歩んでいるかも知れません。これもたらればなので、実際の所、どうなのか私は考えないように努めています。これを考えだしたら、自分が代表をやるチームの云々よりも、色々と悲しい気持ちになり過ぎてしまうので。
 しかし私は取り敢えず良かったと思っています。それは自分を信じてくれたチームメイトが最後迄残ってくれたこと。昨年本当にチーム創設の頃から一緒にやっていたメンバーがとうとう引退をしました。彼の住む地域は茨城の神栖。神栖から毎週のように、東京の葛飾や埼玉東部に通ってプレーを共にしてきました。しかし彼にも子供が出来て、都心部のコロナ禍の影響を一番気にしなければならない立場になった為、おいそれと都心部に足を運ぶことが出来なくなり、恐らくは奥様の引き止めもあり彼自身辞める、と言ってきました。彼が残る限りは続けるつもりで私はいましたが、彼が辞めた以上、もう10年近くこのTJSに対して、自分のチームメンバーを面倒見てくれた責任・恩義は終わったので、私自身ももう、その恩義の気持ちだけでやるのは却ってダメだと思い、前任の監督さんの後を継いだ現在の監督さんに、春先一杯で私はチームを去る事を伝え、今に至っています。良い時も悪い時もありました。また、元々バラバラだったメンバーの実力が、こちらが入れた4人(うち安定的に来てくれたのは私以外に2人)がキッカケになり底上げが始まり、更に今の主力メンバーとなっている若手2人が来てくれた事で、戦力が格段と向上し、それまでストロングリーグの2部ですら勝てなかったチームが、1部で勝ち、優勝戦線に加わり、ジャパンカップに出場、最後トーナメント、負けはしましたが、実力派チームとしてストロングリーグにも、GBNリーグにも認知されるチームに育ちました。若手メンバーがそこから徐々に入り、私は既に年寄り、野手レギュラーの座からも今年とうとう追われる事になり、チームに迷惑はかけられないとも考えるようになっていました。
 2022年、彼らがどんな戦いをするのか、少なくともGBNの1部リーグでも上位戦線に加わる事が出来るだけの実力はもうあるので、存分に戦って欲しい、そう思っています。

9.土日での草野球、と言う事

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 先の暗闘・・・は、私の32歳から34歳までの自分のチームを作った時の事を書きました。24歳で草野球を始めてからの極々一部の歴史に過ぎません。
 私は現在(2022年1月)44歳。土日で草野球をしています。若い頃からの習慣のようなもので、そうしないと何となく体が重たく感じてしまうのです。その理由をちょっと考えてみました。どうやら小学校の頃の動き方にこれがあるようです。少年野球。これは日曜日のみ。土曜までは学校でしたし、学校は午前のみで午後は部活のバスケットボールでした。だから、土日で身体を動かすという習慣は小学校の時に身に付けたものと考えられます。子供の頃に身に着いた習慣って、大人になってもそのまま生きるものなのですね。
 ここでもう1つ考えなければならない事があります。それは仕事。私は幸いな事に土日休みだから土日で草野球が出来ます。この、土日休みが確保出来るか否か、についても草野球の経験を積めるかどうか、丸っきり変わってきます。あと、良く話で聞いていましたし、実際に試合する所をよく見るのは平日水曜日。これは不動産業界や理美容業界の休日が水曜になる事が多い事が恐らくキッカケでは無かろうかと思います。
何でこんな事を前置きしたかと言えば、まずこの土日で草野球をすると言う事について考えてみたいからです。

 私は32歳で結婚をしました。その時に子供も出来て、家族の事を第一に考えなければならなくなりました。しかし前述の通り、自分が立ち上げたチームの事や、息子が生まれる直前に来た東日本大震災、それによる生活環境の激変、仕事も激変するなど、様々な事を考えなければならない時期でもありましたそこで元妻と約束事をしました。試合の時以外は全部の時間を家族に充てると言う約束。元妻は自営業で土日が書き入れ時なので、子供の面倒は出来るだけ見ていて欲しい。午後から仕事なのでそれまでの間に家に戻ってきて欲しい、と言う事でそこは守ろうと努力をしました。リーグ戦の割り当てで稀に午後試合をする事はありましたが、なるべく午前中に済ませました。日曜日に関しては、午後に行う試合は断って息子の面倒を見るという事に充てました。まだ、私は融通が利いた方だと思います。他のメンバーさんや草野球プレイヤーを見ると、結婚を機に、子供が居ようが居まいが辞めてしまう人は多く、またそれが当然でもあると私も思っています。今の世の中、奥方が専業主婦でも無い限り、共働きが殆どなので子供を育てるのも共同作業、これが当たり前です。私の場合、幸か不幸か、元妻の実家が自営業で妻も自営業。特に元妻自体の仕事は自分の都合で何とでもしようと思えば出来る予約制の技能職なので、息子を常に目の届く所に置いておく事は最悪出来る。元の義父も基本的には自宅兼店舗の自宅側に居るので、私が居なくても息子の安全は確保出来る。しかし流石にそれは不味いので、頼る時には頼りはするが基本的には私たちの息子なのだから、二人のどちらかが面倒を見るのが当たり前、と言う感じで過ごしていました。
けれども私自身も平日は物凄く忙しい。終電で帰る事が常態化していて、朝も7時過ぎには自宅を出る生活。息を抜ける瞬間などありゃしない。だからせめてもの娯楽が欲しいので草野球をやる自由くらいは欲しい、と思ってそれを具現化していました。暫く日曜日の活動が出来なかったのですが、段々息子も大きくなり、日曜日のチームの再編成等諸々あり、30代後半の頃より、日曜日も改めてチームに所属し直し、土日連戦の環境に再び身を置く事にしました。日曜側で身を置いたチームは江東区の自治体主催リーグで1部に所属するチーム。そこでレギュラー・半レギュラー・補欠と言うような状態でした。対戦相手は錚々たるチームで、企業チームが大半。IT企業で言えばデータセンタービルが沢山あり、物流企業であれば巨大倉庫が沢山あるのが江東区。また、港・中央・千代田・新宿・渋谷の東京の代表的な5区へのベッドタウンでもあり、基礎的な人口も多い割りに面数の多いグラウンドを持てるだけの面積を有しているので、草野球は活発。それまでに野手として経験していた関東草野球特別部(今の1部)とかとはまた違う緊張感があり、それなりに楽しみました。それを支えてくれたのは間違いなく元妻であり、元お義父さんです。この二人には感謝してもし切れない位貴重な経験もさせて貰いました。
例えば小岩に住んでいた時には出られなかった墨東5区大会に出場出来たり、元々外野手なのに、なぜかセカンドに廻されてそこで初めてセカンドの動きを覚えたり、そんな草野球の最上位クラスなのに、ライトゴロでバッターを刺したり。怪我も多かったです。代表的な怪我は有鉤骨鉤突起骨折。巨人原監督も現役時代になったと言われている指の骨折です。それ以来、指巻をして打席に立つのが当たり前になり、色々学びました。
また、この30代半ば~40代に関しては特に土日で私は連投する事は珍しくありませんでした。江東区上位のチームでは投げる事はほぼ無かったのですが、元々仲良かった関東草野球リーグに出ていた仲間とやっていた時は本当に土日連投をしていました。サラッと書いていますが、実はこれ大変な事です。身体のメンテナンスをちゃんとやらないと、すぐにパフォーマンスがガタっと落ちます。グラウンド上のパフォーマンスに限らず、仕事、日常生活にも支障を来たします。
 特に営業マンとして外を出歩く仕事がメインだった私は、月曜日・火曜日が一番しんどかった。全身筋肉痛で歩かなければならない事と、バックも当時は16インチのノートパソコンを入れていたので兎に角重たい。肩掛けバックだったので、これも地味に響く。出来れば動きたくないな、と思いつつも、仕事はこなさなければならないので、ちゃんと行って・・・と。何よりも一番しんどかったのは、朝起きる時と通勤でした。今のように、コロナ禍で通勤電車がそれなりに空いていると言う事は皆無でしたので、乗車率300%近い満員電車にぎゅうぎゅうになりながら、電車に乗って都内に通わなければならず、これが一番億劫でした。普通に足をハイヒールで踏まれたり、苛立つ他の乗客に喧嘩を吹っ掛けられたり、そんなのは日常茶飯事でした。当然座席に座れる訳もなく、また座ったら座ったで、今度は立ち上がる時が全身筋肉痛なので辛い。それでも週末が来ると草野球にワクワクしてしまう。そんな毎日は私にとってとても幸せな時間でした。しかし、幸せの時間も終わりは来ました。
・・・会社を辞める事に。


10.転職と草野球

 長年、10年程勤め上げた会社を突然、でもありませんが半ばクビ同然に辞める事になりました。理由は辞める1年前位から突然給料の遅配が始まり、営業の責任者で少人数とは言え、実質ナンバー3・2の私は責任を取らされる形に。とはいえ、売上は挙げていたし、給料を払えない程売上が少ない、だなんて事は皆無でした。会社の金の使い方の問題だと今も思っていますが、当時はまだ建設不況で、建設業界に密接な関りのあるこの会社もその煽りは大いに受けていました。書き出せば限は無い位に色々事情はありましたが、兎に角無理無体な理由で銭を作らなければならない状況に追い込まれ、それが出来なくて私は会社を辞める事に。
 そこからの転職活動は大変でした。30代後半にもなると転職も簡単には出来ません。何とか滑り込んだ会社がインフラ企業にセールスプロジェクトチームを送り込む大手企業でしたがそこは契約社員。とは言え通常の正社員よりは確かに給料は良かったし、残業代もちゃんと支払われるだけ支払われていたのですが、いかんせん契約社員。課長職級の役割でしたが、それでも契約社員。この、契約社員と言うのが本当に嫌でした。
 理由は言わずもがな、妻子抱えている身だし、先の見えない割に糞みたいに忙しい。やる事は沢山あるけど、徒労感ばかりが強く、半年その仕事は続けたけど辞めました。これも今思えば正解だったのか、不正解だったのか、皆目見当はつきませんが、その後色々苦労して今の仕事に落ち着いたのは2年半後。その間、家にお金が無いと言う状態だけは避けたかったので兎に角出来る仕事は何でもこなしました。その間も実は草野球だけは辞めませんでした。辞められる訳がありません。息の抜きドコロがそこしかないので。  
 私は結婚してからは酒もギャンブルも女遊びもほぼしなくなっていました。何故かスパっと止める事が出来ました。若い頃は毎晩酒を飲み、それこそ社会人として若手であった頃は何人遊び相手がいたのか、覚えていませんが兎に角よく遊んでいました。朝迄その日に知り合った人と遊んだ後に草野球、とかもザラでした。よく「病気」にならなかったな、と今振り返ると思います。ただ、アホみたいに仕事もするので、それで帳消し位の感覚だったのかも知れません。ただ、余りにも寝ないので過労でぶっ倒れたのが27歳の頃でしたが、それがキッカケだったのかも知れません。元々遊び人だったそんな私を元妻は理解してくれていたのか、どうなのか今となっては知る由はありませんが、草野球に行く事だけは許してくれるようになっていました。とても有り難かったです。
 江東区のチームを監督と喧嘩して辞めたとほぼ同時期に、関草の仲間が俺らも40になるからそろそろチームを再結成するか、と言う事となり、私もそこに呼ばれるように。これには伏線があります。実は彼らの地元の足立区で自治体主催の連盟リーグに2年参加していました。前述の元々の仲間、と言うのがそれです。そこで最下部から2年連続優勝を重ね、これじゃ物足りないから久々に関草に行くか、となりました。この久々に、と言うのも伏線があります。この仲間と言うのは、関東草野球リーグで共に20代後半~30代に掛けて戦った掛け替えのない仲間であり、当時はあった関東草野球特別部(1部の更に上)に参戦したり、ストロングリーグのトーナメント、エアロックカップで関東の部で準決勝迄勝ち上がる等、所謂歴戦の雄、としてその名を残すチームでもありました。しかしチームは自然消滅的に一旦解散し、暫くまともな連絡すら取っていない状態だったのです。それが30代後半~40歳にみんななるタイミングで復活し、足立区の連盟に参戦、そこで2年連続下部リーグながらも優勝しました。
 その優勝していた間、私はエース投手としてリーグ戦を戦い抜きました。その時は私がスターターでもう一人、30代前半ながら派遣会社で社長を務める速球派、N君がリリーフに廻ってと言う流れでした。その時の流れは遅い球を打たせて取る、相手のミスショットを狙うような投球にする、時々気の抜けたシェイクに近い気の抜けたボールややイーファスト等を放る。キャッチャーの返球の方が投手の球よりも速い、お相手がその術中にはまるとランナーは貯まる。そこで私を含めたオッサンが踏ん張る。その繰り返しをしていくうちにお相手が根負けをする、と言う草野球らしい草野球試合で勝ち上がっていった経緯がありました。その上で40になるのだから、と関東草野球リーグ5部に参戦。この足立区のリーグ戦を戦い抜いている間、私はずっと転職活動をしていました。働きながら。
 当時はまだ転職に対する世間の風当たりは強い時期でした。今でこそ転職に対する世間の考え方は変わったと思いますが、転職活動をするだなんて・・・と言うのが一般的だったと思います。それこそ転職するだけで離婚の気持ち的な理由にはなりえる、と言う感じでした。そんな中、仕事が上手く行かず兎に角毎日転職サイトを眺め、履歴書を送り、仕事の後に面接に行って、と言う事を繰り返す夫の私に対して、元妻はどんな気持ちでいたのだろうか?それを考えると筆が全く進まない位に頭擡げます。そんな状態から更に関草に参加、となると普通ならもうブチ切れて勝手にしろ、となる所ですが、元妻はそんな状態でも我慢してくれていました。
 彼女が我慢出来た背景には、自分自身が実家で自営業、生活基盤も実家側には古くからの家なのでしっかりしていて、経済的な不安は少なかった、と言うのはとても大きいと思います。更に自分で稼ぐのは稼ぐので可処分所得も下手したら、家族分で金を使う私よりも遥かに多い。私の小遣いなど、実質的には月4万もあればいい方でした。家計のやりくりは私がしていましたが、元妻がこれを読んだら怒るかも知れないけど、本当に私が自由に使えるお金は4~5万位しか毎月無くて、あとは家族の為、と言うお金に割り振りをしていました。贅沢させてあげられなくてごめん、と毎月思いながら。それでも元妻の経済観念からすると、まだまだ余裕、何となれば実家に戻れば幾らでも自由に使える金はある、と言うのが本当の所だったと思います。
 これが元妻が普通の勤め人であったり、実家が関東ではない、遠くにある人であったなら、決してこうはならなかったと思います。もう、私のようなやり繰りしか出来ない男には三行半を叩き付けて離婚、実家に帰らさせて頂きます、となるのが普通です。
 ただ、元妻側の家庭の事情も折からの失われた三十年の間に環境はガラッと変わりました。残念ながら元妻側の実家稼業はその環境変化に特に対応する事はせず、そのまま商いをしています。実質は財産を切り崩しながら生活をする、と言う事が常態化しているように私には映りました。とは言えそれにしても都心から30分の場所に広大な敷地で工場も持っていたので(マンションに替えましたが)その財産だけでももう十二分に商売しなくとも生きていける、と言う実情があります。
 後に離婚した際、扶養控除の関係から子供の養育の手続きをしていた際、私よりも遥かに多くの納税をしている事が判りました。正直、ビックリしました。私も今は同年代の平均的な年収くらいはありますので、普通に所帯を養えるレベルになっていますが、それを遥かに超える額を納税していると言う事はそれだけ財産を保有している、と言う事に他なりません。
 そんな転職活動と普通の勤務、その二重生活を繰り返しながらの下部とは言えリーグ戦2連覇。土曜日も38歳の時がピークだったように、この頃が草野球選手としてもほぼピークだったと考えるべき所です。これで仕事が安定していたら、もっとやっていたかも、とは思いたい・・・けどやはりたらればですね(汗)

 そうして関東草野球リーグに40歳で参加。私は二番手・三番手投手と言う役割と野手メイン。投手は全部で3人。関東草野球リーグはご存じの方も多いと思いますが、日刊スポーツ主催で関東だけで下部リーグ迄合わせると7部位迄あり、年間10試合のリーグ戦を戦い抜かなければなりません。5部は下っ端ではあるものの、毎年立ち上がりのチームも同じリーグで対戦相手となる事もあり、地味に戦いづらいクラスだと思います。因みにエース投手は先に記載した歴戦の雄。それこそこのチームメンバーが皆関東草野球リーグ特別部でやっていた頃のダブルエースの一人でした。年齢は我々よりも5歳くらいだったか、下なので身体もまだ動くし何より投球術が素晴らしい。球も速く重い。打ちづらい。変化球は5種類位投げる筈。彼を中心としたチーム構築で、見事、第25回関東草野球リーグ5部、総合優勝をしました。私は1試合だけ投げました。たまたまその投げた試合の時に取材の山崎さんが来られて、私を取り上げて下さりましたが、私は40歳不惑のエース、ではありません。しかし、クライマックスシリーズの時にも不惑のエースの私がどこまで・・・と言うような事が書かれていたりして、何ともむず痒い気持ちになっていました。最後、西武ドームのマウンドに立ち1回を3人で抑えた事が、今では草野球の中での一番の思い出となっています。

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 余談ですが、その西武ドームの2週間前、クライマックスシリーズの最終戦で、私は肩の靭帯を何本か切りました。2週で治せるか、自信は無かったのですが、そこで生まれて初めてペインクリニックに4回ほど通い、痛み止めをひたすら打ちまくりました。その昔、飲み過ぎで胃に穴を開けた事のあったボルタレンを改めて毎日飲み、下痢に苦しみ下痢からくる高熱、34度にも満たない低体温や嘔吐、あとはそんな状態でも今の仕事で遠方に出向かねばならず、毎日200km近く運転する長時間労働、そんな最悪な状態で迎えた西武ドームでの決勝戦でした。あの試合、打球が来なかった事だけが唯一の救いです。あれで守っていたレフトに飛球されたら、もうゲームはその瞬間終わっていたと思います。投げられない事がばれたら集中的に狙われるのは間違いないですから。

 試合前にウォーミングアップをする際、西武ドームの観客席を走ってみましたが、走るだけで肩にズンズン痛みが響きました。元妻と子供を連れて車で西武ドームに向かう際にも、ボルタレンとロキソニンをダブルで飲んで、その副作用からか、眠気と胃の痛みがダブルで襲いました。運転している間はまだ良かったのですが、西所沢駅近くの開かずの踏切に当たってしまった時は、もうその苦痛がマックスに達して頭の中がおかしくなりそうでした。
 それでも西武ドーム、プロスタの魔術なのでしょうか、モチベーションは上がりまくり、マウンドに立った瞬間、球速は下手したら70キロ台、60キロ台でしょうか、通常放る3種類の変化球もストレートしかほぼ放れない筈なのに、カーブも、ツーシームも、イーファストも全部使って1対0の緊張した場面でリリーフに立ち、打者を3人で抑えました。もう1イニング、行きたかったなぁ。
 投げ終わって翌日から3日間、また激し過ぎる痛みに苛まれ、実際に靭帯が治った、痛みが治まった、と感じたのは翌年の2月位まで待たなければならない程の状態でした。

 大の大人、否普通のおっさんが、ここ迄して取り組む草野球って一体何なのでしょうね。

11.草野球人の私生活って?

 あれこれ思い出話を交えた様々な事を書きましたが、ここからはやや体系的な話に移りたいと思います。まずは私生活。繰り返し書いていますが、私は普段、普通のサラリーマンです。月~金で働き、土日で草野球。では、その月~金の過ごし方について。これは、恐らくダイエットとか、フィジカルを気にするミドルの人にも少しは参考になる事かも知れません。

其壱 生活の主体を草野球と考える

 もう、この其一の時点で世の奥様方は何を抜かすんだボケ、と思うかも知れません。が、私のような草野球馬鹿はそう考えていました。と言うのは、一週間の中で一番身体を動かすのは草野球をしている時です。ウォーミングアップから始まり、キャッチボール、トスバッティング、やれるときはシートノック、そこからの試合。野手から投手、と言う私の流れで行くと、特にライトを守る事が多かった私はカバーリングで相当走ります。恐らくライトは野手の中で一番ダラダラと走るポジションではないでしょうか。1球毎にスタートを切るのは当たり前だし、内野ゴロの度にファーストや方向によってはセカンドのカバーに走る。また、外野に飛球があった際にも、特にセンターの飛球は必ずカバーに走る。勿論自分の所に飛球された時にも動きます。兎に角ライトはカバーが多く、試合を常に見続けなければなりません。集中力も使います。草野球の時間が概ね1時間45分~2時間と換算すると、そのうち守備に費やす時間を半分としても、約1時間。これがサッカーやバスケットボールのように連続性のあるものではなく、とぎれとぎれ、でやってきます。集中力は、野球をしていない人の想像を遥かに上回る位削がれます。更に私はリリーフ投手。試合最中に肩を改めて作り直します。投球練習だけで概ね20~30球は投げます。そのままマウンドに立つ事もあれば、試合展開からマウンドには立たない事もあります。そこは監督の裁量次第です。故に一番動くのは草野球をしている時。その事を踏まえて、生活の主体を考えなければなりません。

 そのために、準備は概ね月曜から始まります。土日で野球をすると、翌月曜日は筋肉痛だらけの身体になりますが、サラリーマンです。甘い事は抜かせません。普通に仕事をします。そして仕事が終わると、真っ先に整体に駆け込みます。今はコロナ禍で在宅勤務も増えたので、元々通っていた都内の整体に月曜日は通えなくなり、日曜日試合終了後に行くようになりましたが、通常は月曜日の夜、まずはメンテの為に整体に行きます。そうしてメンテが終わり、自宅に戻るとジョギングの準備をします。ジョギングは疲労回復の為に行うのです。全体のバランスを整える為に行います。大体5~6キロ。草野球プレイヤーでこれだけ走れば十二分過ぎる位に十二分ですが、私は投手もするので、多少の走り込みは必要です。
 火曜日~金曜日は、その時の仕事量に合わせてコントロールをします。仕事量が少なければ、走り込みを長くするし、仕事量が多い時は全く走らず、今は便利なものでYoutubeにエクササイズ動画が沢山あるので、それを見よう見まねでやっています。また、荷重負荷を掛けるトレーニングも最低限、行います。本当は自宅にダンベルを置きたいのですが、住宅事情からそうもいかず、ゴムチューブ1本、腹筋ローラー1つ、あとはハンドグリップ。この3つで何とか賄います。そうして、この3つとエクササイズ動画を駆使しながら、火曜日~金曜日迄はトレーニングを1日1~3時間程行います。が、金曜日は出来るだけ避けるようにしています。何故なら、翌日試合だから。40を超えると、トレーニング中の怪我、なんて悲しい事も実際にあります。
 私はジョギング中に2回、足を怪我しました。1度は足首の捻挫。整体に見せたら下手したら折れてると思うから暫く固定しろ、と言われるくらいの捻挫。ヒビ位は軽く入っていた事でしょう。あともう1回は、ふくらはぎを釣ってしまう、と言うアクシデント。これも地味に嫌だ。更に靴の合う、合わないがありますが、足にしょっちゅう肉刺が出来ます。これも地味に嫌。地味に嫌どころか、本当に頭を抱えます。何故なら今は車主体で動きますが、営業の外勤中心だった頃は、徒歩。歩く度に肉刺が疼きました。不動産営業をやっていた頃は新橋の右から左まで、飛び回っていましたので本当に沢山歩いていました。歳を重ねた今、この肉刺は本当に私を一番憂鬱にさせる厄介な奴です。毎回絆創膏を指に貼って、足首のサポーターを巻いて、それでジョギングに臨むのです。準備だけでゆうに30分は掛かります。これを仕事終わりの疲れた脳みその中でやらなければならないのは、本当に憂鬱な気分になります。しかし、やらないと44歳(2022年1月現在)の私、肥ります。だから走ります。
 試合直前にそんな怪我の恐れがある事は出来ません。だから、動かすとしても軽くバットを振る位で、金曜日に身体を激しく動かす、と言う事は致しません。表にまとめるとこんな感じです。
 また、食に就いても考えなければなりません。所謂5大栄養素をバランスよく摂取し、アスリートとして必要な不足分を補う。これが基本ですが、メタボを気にしなければならないお年頃でもあり、私の場合遺伝的に尿酸値が高い為、この尿酸値も気にしなければなりません。だから細胞点数の高い食べ物は意識的に避けるようにしています。そこで表にまとめるとこんな感じです。

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其弐 仕事は出来るだけ早く終わらせる事

 これが無理な問題。難題。私は所謂中間管理職的なポジションに今はあります。一番仕事量も多い役割です。そうなると、サビ残は当たり前になります。ただ、私の場合はまだ恵まれています。フレックス勤務なので、時間の融通が利きます。これは大きい。更に今の私の役割は開発業務。店舗開発を始め、事業の開発、リサーチを中心とした仕事です。他、協業先との打ち合わせや協業先をそもそも開拓する、と言う役割とチームのマネジメント、と言う役割があります。やらなければならない事がかなり膨大です。レポートを仕上げる仕事一つ取っても、強烈な時間が掛かるし、文献を調べたり或いは実地調査をしたり、協業先や関係各社からヒアリングを行ったり、それを体系的数値に変換させて、そこから割り出される結論が果たして正か誤か、その検証と実際にそうして開業や開発したあれこれが正しかったのかどうなのか、その検証をまたレポートし、実現象に対して、また違う数値をあてはめなければならなければ、そのあてはめの為の学術をその場で学んで、それを取り込むにはどうした理屈が必要か、肉付けをした上で数値として変換させる。その比較材料はこれこれこうで、と言う事もまた学ばねばならない。更にそれを如何にそのレポートを手にする人に判り易く言葉を変換させて伝えるか、等々。
ずっと勉強、ずっと実地、ずっと検証、ずっと開拓・・・この繰り返しです。これを早く終わらせる、だなんて、偏差値60の大学を出ている癖に、偏差値45しかない私には土台無茶な話で、学生の頃もっと勉強しておけばよかった、と今更になって強烈な後悔を日々しています。だから、新たな何かに取り組まなければならない時は如何にルーティンワーク化出来るか、まずそこを考えます。どうすれば楽出来るのか?(と言っても果てしなく楽などは出来ない訳ですが)その上で仕事の目標時間を定め、一日に行うタスクの絶対量を決める。その絶対量は出来るだけ多めに設定します。そうしないと、少な目に設定した時に追加の仕事が発生するとまたやり直し、となるからありとあらゆる可能性を最初に考えておいて、その可能性の幅をかなり緩く持ち、その上で到達点を高いハードルに設定すると、ゴールは判り易い。この仕事の癖をつけた事で、上記のような面倒臭いあれやこれやもかなり体系化させ、タスクの割り振りとマネジメントの割り振り、これが素早く出来るようになり、今は夜の20時以降はなるべく仕事はしない、と言う習慣が出来上がりました。勿論、月末月初や期末などはそれでも夜中まで、とか明け方近く迄仕事をする事も珍しくはありませんが。

其参 家族との時間を大切に
 
 これはとどのつまり、果たせなかった私を反面教師として考えて欲しい、と言う事です。私はアホなので、家族との時間を犠牲にしても仕事をしていました。草野球をしていました。これは父親としてダメです。絶対ダメです。世の草野球プレイヤーの皆さまに声を大にして言いたいのは奥様とお子さんの事を第一に考えなければなりません。常に感謝の気持ちを持ち、私たちは彼女ら、彼らに支えられている事で、草野球をする事が出来る、フィールドに立つ事が出来る、これを忘れたら絶対にダメです。
 具体的にはどうすればいいのか。出来るだけフィールドに奥様を連れて行きましょう。正直、これが一番です。私の元妻に対してはこれが出来なかった。出来るだけフィールドに連れていく事で、旦那がどんな人間関係を外で構築して、どんな役割なのか、奥様はつぶさに観察しています。別に目立たないポジションであったっていいのです。試合に出続ける限り、旦那は打席に立ちます。主役になれます。そして来てくれた女房子供の為、だとかなんだとかを考えながら旦那は一発スタンドにぶち込んでやろう、と必ず考えます。そうしてヒットを打ったりなんだり。それを素直に奥様方は喜んであげて下さい。アホな旦那はその分家族サービスをしよう、と出来ないなりにも努力をします。私にはこれが足りなかった。元妻は土日仕事をする人間なので、連れていく事がそもそも出来なかった。唯一連れて行ったのは西武ドームでの試合だけ。
 また、次に大事なのは、草野球の時間を楽しみましょう。これも凄く大事。これは子供に対して、言える事です。私の場合、土日で確かにやっていました。楽しいからです。しかし、その楽しさには裏があり、憂さ晴らしだったり、義務役割だったり、前述の監督さんに対する恩義であったり、義理の人間関係であったり。だから、本気で楽しめていたか、と言えば常にそうしたモヤモヤがまずは頭にはあり、全くではない迄も楽しめなかった。心の底から楽しい、と言える時間は本当に少ししかなかった。これはダメです。どんなにハイクラスなシーンで試合をしていようが、そこでメンバーとして試合に出ていようが、楽しいと感じられた事は本当に極僅かでした。そうなるとどうなるのか、子供はそうした親父の姿を見ています。野球ってつまらない、大変そうだ、そう感じてしまうでしょう。事実、私の息子はそう感じているようです。更に、先に述べた通り、私は試合前にも準備を沢山します。テーピングを身体に貼り付ける事とか、色々。ハッキリ言って糞面倒です。そうした姿を子供はつぶさにみています。親父が楽しくて楽しくてたまらない、と言う顔をしているならどうか、子供も楽しいと自然と感じるものだと思います。そうすると、子供は興味を示し、自然とグラウンドに来るようにもなります。親父が苦しそうに野球をやる姿を、喜ぶ子供はいません。いるとしたら、天然のサディストです。

 其四 メンテナンスは本当に大切

 この章のまとめにしますが、こうした様々なメンテナンスは本当に大切です。このどれか一つでも疎かにすると、そのどこからか、綻びが生じて何よりも好きな草野球が出来なくなります。或いは私のように二者択一を迫られたりもします。普段、普通のおっさんとしての取り囲まれている環境は、大抵は仕事、家族、友人関係、この3つだと思います。友人関係を仮に草野球と置き換えると、仕事と家族、この2つが大切です。勿論、草野球以外にも友人関係はあるでしょう。私にもあります。しかし、一番大切なのは仕事であり、家族です。この2つが社会人としての我々を支えてくれている、そう考えるべきポイントだと思います。だとしたら、それをメンテナンスすればいい。この章ではそのメンテナンスの事例とこうしたらいいのではなかろうか、と言うような提案染みた事を少し書いてみました。ご参考になれば幸いです。
 
 次もまた体系染みた事は書きますが、ここからは草野球としての野球、と言う事を考えていきたいと思います。


12.草野球の野手 ~外野手編~

 長年私は外野手としてプレーをして来ました。学生時代から草野球迄、まずポジションどこが出来るか、と聞かれたら外野手、と答えていました。外野手をやるに当たり、個人的に思う重要なポイントから述べていきたいと思います。また、判り易く箇条書きで要点はまとめます。

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其壱 目・集中力 ~ラブストーリーは突然に~

 本来の野球では外野手をするに当たり何よりも大切なのは脚力です。足の速さは勿論ですが、それよりもスタートダッシュ。これが一番大事。スタートさえちゃんと切れたら、足は多少遅くても草野球なら大丈夫。しかし、そのスタートダッシュを維持する為に必要なものは目の力や集中力です。その為、草野球に於いて一番重要なものは、目であり集中力です。先にも述べました通り、草野球の試合は概ね1時間45分~2時間位。半分が仮に守備としたら、1時間。この1時間の集中力を維持させなければなりません。しかし、ずっと、と言う事では無く、スタート&ストップが繰り返されます。更にストップの時間の方が圧倒的に長いので、この時間を上手に潰せる人がそもそも草野球の外野には向いています。よく野球を余りやった事の無い人を何も考えずに外野に廻る事がありますが、実は余りよろしくはありません。一番いいのはその人の仕事を聞いてみましょう。以下の表は私が20ウン年間で見出した職種による傾向です。

内容 内野・投手 外野・捕手
営業・経営・経営幹部 不向き 向いている
裏方仕事 不向き 向いている
事務・IT技能・専門職 向いている 不向き・本人の球歴次第
ガテン系・医療関係 向いている 不向き
農業・漁業・畜産業 向いている 向いている
生産現場等 向いている 不向き
※私藤堂の主観です。
職種で向き・不向きを書きましたが、これも訳があります。まず、営業や経営幹部職などの人が外野に向いている理由は、全体を見渡す能力がそもそも高いからです。特に経営幹部や管理職に就いている人は、常に見渡さなければなりません。トータルでモノを見る事が出来る立ち位置に居るといいので、外野や捕手が向いています。逆に事務職や専門職は内野、と書いていますがこれも理由は明確です。事務職の人や専門職の人、また生産現場で働く人など、何等かの仕事に強く集中しなければならない人は、内野の方が実は向いています。私が監督をしたチームでも、野球素人だった人に職業を聞いて本人の運動能力と合わせてセカンドを守らせました。外野は無理だと判断したのです。また、ガテン系の人は、球歴次第だと思いますが、これもガテン系の中で親方をしているなら捕手とかの方が向いているし、職人であれば、内野の方が向いている、と一次判断はするといいでしょう。最もマルチなのは農・漁業や医療現場の人。大抵頼めばなんでもやってくれます。
 実は外野程向き不向きがはっきりしているポジションは他のスポーツと比較しても珍しいです。例えばバスケットボールなら、身長で向き不向きは明確になりますが背が低くてもセンターポジションをこなす人はいますし、サッカーやラグビー、アメフトに関して、万遍無くスキルが求められる臨機応変さが大切です。役割についてそれぞれポジション別であるとは思いますが。
 しかし野球の場合、ポジションそのものが専門的なスキルを高く有しないとそもそも出来ないので、例えば子供の頃に外野手になったらその人は高い確率でずっと外野をやる事になります。野球は出来ても捕手は出来ない、と言う人は私を含めてゴマンといます。私のように、外野手から投手に転向した人間は、内野の投内連携や挟殺プレーが苦手だったりもします。
以上を踏まえて改めて論に戻りますが、外野手はスタート&ストップを繰り返します。その間に大切なのは集中する事。私もよく、本当によく経験しますが、ラブストーリーは突然、では無く飛球は突然やってきます。その為、可能な限り守備に就く時は集中している事が大切です。その為、この突然に起こる事故のようなものに素早く対処出来る臨機応変さが求められますが、野球スキルがそもそもない人にそれを求めるのは無理です。だから、特性から判断して事故の影響を限りなく少なく見積もれるようにするには、職種からの判断がまずは一番平易だと私は思います。

 また、集中力のもう一つの要素がカバーリング。カバーリングはある種の特殊技能です。しかし、この特殊技能に対する呑み込みの早さ、遅さは職種によって異なるようです。営業職などをやる人は、大体要点を理解して自分なりに工夫をする。技能職の人は、なんでそうなのか、納得する迄やらない、それは違うのではないか、等の持論を持ってくる。指示をされた事に対して職務を全うする仕事をしている人は取り敢えず言われた通りにやる、とか。そう言う見方です。カバーリングはただ単にカバーに入るだけの単純な動きですが、ここに潜むのは退屈、です。魔の退屈、と呼んでいいでしょう。この退屈に耐えるには、自分でそれを楽しまないと無理です。営業マンの仕事も延々飛び込み営業をするような、或いは投資銀行や経営コンサルティングのような、常に緊張感と新規を獲りにいかなければならない、と言う仕事でなければ、実は案外退屈なものです。しかしお客さんの前ではシャキッとしなければならないのでメリハリをつける事が習慣化されています。だから、この退屈さに耐えられる特性がある人は外野手に向いています。
また、足の項目でも書きますが、集中力の根源となるのは目。これも大切で遠くを見渡せる目が無いと、外野手は務まりません。コンマ何秒の世界で、打球を判断し、次の瞬間にはその飛球位置に到達する動きをしていなければならないし、到達していないといけないです。それには目。何より目。これが追い付かないと、外野そのものが務まりません。だから、経営者・経営幹部でミドルエイジの皆さまは目がいいか、悪いか、ここも外野手として務まるか否か、の判断材料としたらいいでしょう。乱視気味、と言う人はまず向いていません。私も昨年2021年、愈々ヒットポイントが見えなくなりました。これまでは何とか見えていたので打者が打った瞬間の角度を見てすぐに判断出来ていたのですがとうとう昨年の後半から、見えなくなりました。外野手としての寿命を迎えた、と考えています。全くと言うわけではありませんが、逆光の状態や白砂のグラウンドでユニフォームが白地、とかバットが白い、とか、元々赤緑の色弱である私は、様々な視神経の落ち込みに拍車がかかっているようです。

其弐 脚力

一番センターぴの。私ら世代であれば誰でも知っている理想の一番バッターであり、外野手。バントすればホームランになる、ナムコスターズの一番バッターです。守備範囲も滅茶苦茶広く、レフトフライもライトフライも取りに行ってしまいます。外野手のまさに理想形です。極端に脚が速い。実在する人物としたら誰でしょうか。皆さんの想像にお任せします。外野手に於いて大切なのは足。これはまごうことなき事実です。私も長年外野手を務めましたが、今年、2021年に愈々土曜日チームを諦めた大きな理由は、足が動かなくなった事です。金本元阪神監督も、山本昌元選手も現役時代に口を揃えて言っています。走れなくなったら現役を辞める、と。本当、そうなのだと思います。元々私も草野球の中では瞬足巧打タイプでした。長らく一番打者を務め、出塁率は常に5割超え、盗塁もほぼ2塁までは確実に決める。そんなタイプでした。その後脚力がやや落ちて6番打者になり、その分選球眼を磨き、打率は年間通して3割以上をキープ、勝負強さと言うものを身に付けました。そしてキャリアの後半は九番打者。なんでも出来るタイプ。一番打者に確実につなげる役割。それら総て足があるから出来た事でした。しかし、足がないとこれが出来ず、監督さんにも、俺足遅いからライパチで、と伝えていました。まぁ、少年野球の頃から九番センター・ライトだったので、また子供の頃に戻ってキャリアを終える感じでしょうか。
外野手に求められるもう一つの大きな特徴としては打撃センスが挙げられます。守備にもこれは大きな影響を及ぼします。長打の主軸を張る選手が外野手をやる場合は打撃に集中させたいので、守備機会やカバーリングが出来るだけ少ないレフトを。先頭打者等でチームをけん引する役割や勢いに乗せる役割を担う人はセンターを。裏方に回り、人のフォローが出来る人はライト、九番打者など、いぶし銀の働きをする人が向いているとされています。私は最後の裏方に回る事が多い仕事をしていますし、トータルで物事を考える役割を担う事が多いので、やはりライト、センターが向いている、となります。その土台は、野球に於いては足です。否、仕事に於いても足かも知れません。足であり、腰が軽い事。変な意味では無く、下半身が元気だと、動く気力も違いますので判断能力も変わってきます。外野手は暇な分色々と考える事が多いです。特にメンタル的要素で言えば打撃。一打席一打席が一番試合で集中するシーンにもなり得ますが、これが納得のいかない結果になると、守備にも響きます。イチロー氏のように、切り替えのスイッチ、ルーティンを決めていくのも実際一つの大切な要素だと思いますが草野球でそこまでやる人は少ないと思います。せめて気持ちの切り替え位はどこかでしておかないと、守っていても打撃の事ばかり考えて守備が手に着かない、足が動かない、集中力を欠いてしまう、等起こり得ます。
また、足でもう一つ大切なのは継続。これは味方投手が連打されたりした時にやたら、狙われる事があります。スタート&ストップがかなり激しく繰り返されるのです。私もライトを守っていて、5連続飛球、1試合で13守備機会と言う事もありました。しかも5回で時間切れ。そのうち1つライトゴロ、2つはライトフライでした。もう、こうなると常に打球が来る印象になります。相手打者が味方投手の球威に押されて、流し打ちしか意識しなくなった結果、ライトにばかり打球が飛ぶ、と言う事になった試合でした。これはかなりしんどいです。いつ来るか判らない。来たら来たで際どい当たりが繰り返される。前にも後ろにも。そうなると、スタート&ストップ、スタート&ストップの繰り返しで息着く暇もありません。しかも外野手は内野手よりも走行距離が長いので、回復にも時間が必要です。長距離を素早くぴのみたいに走れたらいいのですが、生憎こちらは生身。しかも当時ですら、50メートルは7秒台後半でしたので、もう鈍足でした。1年間分の打球を一遍に捌いたような心地になりました。
ここまで極端な例はまず無い迄もこうした事にも耐えられるだけの脚力は常に大切で、その脚力に自信が無い時は遠慮なく内野に廻して貰いましょう。特に誰もがカバーしてくれるセカンド辺りが一番いいです。外野手を経験すれば、セカンドもある程度は守れます。私が江東一部でセカンドに廻された理由も多分ここにあります。ライトとしてはちょっと物足りないけど、稼働・移動範囲のベースがそもそも広いので、多少後ろに廻って守ればセカンドもこなせる、と判断したのでしょう。実際、江東一部のリーグ戦で何試合もセカンドをこなしました。とはいえ、セカンドはセカンドで大変なポジションです。考える事が多過ぎるからです。それはまた後程内野の項目で。

其参 肩・送球

 最後に外野手の醍醐味、送球。イチロー氏、マリナーズデビューイヤーのレーザービームは20年近く経った今、Youtubeで見ても芸術と言える完成度の高さです。外野手なら誰でも一度はあれを目指すものだと思います。捕球から送球迄の速さ、ステップの位置、スローイングの角度、サードへの到達地点の正確性。タッチ位置迄読んで投げています。また、同じくイチロー氏の外野から的確にストライクを投げ込むマリナーズCMもとても有名ですね。あれを支えるのは言わずもがな、下半身の強さと脚力、そして捕球から送球迄の切り返しの速さです。下半身は前の項で述べた通り。次は送球です。
 これは、慣れとしか草野球に於いては言い様が無い点はままありますが、修正する事は可能です。今、土日・双方の若手数名にこの辺りの事を時間の許す限り伝えて教えています。内野・外野双方の選手です。特に外野手を守る子は私の後継者です。肩がよろしくなく、スローイングも送球位置が高かったので、これを修正しなければなりませんでした。元々捕手をメインにやっている子なので、グラブ捌きはいいのですが、そこからの握り返し・スローイング位置の修正が課題でした。その為、例えばレフト・ライトどちらかのポジションに就いてイニング前のキャッチボールの時、まずはポンポンとボールをこっちがすぐに投げてすぐに返させるようにしました。ゴロ・フライ・ハーフバウンド全部。すぐに投げろ、と言いながら。厳しい場所にはそういう時は放りません。身の回り1メートル範囲にしか投げません。簡単です。簡単な事を反復練習で身に付けさせる。これが一番です。
 また、スローイングに関しては、可能な限り褒めるようにしました。肩が良くなったな、と。実際は見始めた一昨年と昨年、多少の球速は上がったようですが、外野からの返球、と言う意味では大差ありません。元々放る位置が高い、所謂投点が高く肩の稼働範囲が大きいので、そこにグラブを持って行かせるようなコントロールで通常のキャッチボールをしたり、イニング前のキャッチボールをしたり、と工夫をしました。次の彼の課題は、捕手が出来る位に強い下半身の重心を乗せる形で強い球を放らせる事。今の私がそうなのですが、下半身が弱くなり、上体がぶれ始めているので、幾ら強い球を送球出来ても、既に捕球位置が遠かったり遅かったり、で刺す事などはとてもでは無いですが出来ません。しかしこの子はまだ今年27歳になるばかり。まだまだこれからです。下半身の動かし方を改めてマスターさせて、足の運びさえちゃんと出来ていれば、送球はいいものに外野手の場合はなるケースが大半ですから、そこを体感させたいな、と思っています。
 よく、草野球仲間で話題になる事の一つに、捕球位置の話があります。右投げを例にすると、右足を前に出して投げるのが速いのか、左足を前にして投げるのが速いのか。実はこれには明確な答えはありません。平野謙氏のように、右足が前の方が速い、と言う人もいますし、基本は左足だ、と言う人も多くいます。私は左足を可能な限り前に出して5ステップ以内で投げるようにしていますが、これは捕球体制が正面に入れた時、を前提にしています。左足を前にする理由は送球の速さもさることながら、ゴロならトンネルを防ぐ為。フライなら勢いをつける為、と言う理由からです。
 最初私は闇雲にやっていて、何となく右足を前にしてゴロは捌け、フライは左足だ、と教わっていた通りの事をしていたら、大学の時、4年間一緒にライトを守り、私に一度もレギュラーを渡さなかった元日大藤沢の同級生(甲子園ボーイ)が、左を前にしろ、と色々教えてくれたのが私の今の基礎となっています。外野手の送球は勢いが大事です。その勢いをつけるステップは人それぞれ異なっていいと思っていますが、握り返しのポイントだけは、確実に慣れだと私は思っています。その為に日々やる事は、休んでいる時にもボールを上に投げる、落ちてきてキャッチしたらまたすぐに投げ返す。正確性を求めながらこれを繰り返すだけでも、十二分に、送球は良くなると思います。
 地肩が強ければ勿論それに越した事はありませんが、地肩が強くなくとも、ある程度いい送球は出来るようになります。私がそうです。投手では球速100キロ以下、遠投も正直、60メートル位迄しかいかない人間ですが、それでもライトゴロを通算で10回以上はしていますし、惜しかったライトゴロを合わせると20回以上。本塁刺殺やその制止も何回もやっています。送球・地肩の強さは勿論あれば越した事は無いが、然程重要では無い、と断言出来ます。勿論、あればそれに越した事は無いし、羨ましいですが。

其四 まとめ

 外野手に必要な要素をつらつらと書いてみました。こうやって書き出してみると色々とあるようですね。大切なのは、下半身の強さ、それから集中力、最後に肩の強さだと思います。下半身は走力は勿論、粘る事の出来る足腰の強さ、この二つのうちどちらが重要かと言えば私は草野球に於いては後者だと思っています。何故なら、存外球際の強さ、と言う事がモノを言う世界だと経験的に学んだからです。
 その球際の例を2つ程申し上げると、先に書いた関東草野球リーグで優勝した時の事。その2週間前に私は肩をやっていますが、そのやったシーンと言うのは、私はライトを守っていました。ランナーが溜まっている場面でライト前に飛球。ライナー性の当たりからワンバウンドをしたのでジャンプして捕球、その後返球をして進塁を止めました。が、このワンプレーで肩をダメにしたのです。軟式野球のあるあるですが、直前で球が跳ねて軌道が変わったのです。ランナーが溜まる場面だと大体バックホームを狙ってやや前目に意識をするし、そこでライナー性の当たりが来ると当然前に詰めます。硬式球なら、まだそのまま跳ねずに真っ直ぐに捕球出来るのですが、軟式球はそうはいきません。グラウンドの状況にもよりますし、特に外野だと未整備状態でプレーする事も珍しくなく、打球の軌道が一気に変わります。その変わった飛球に対しても素早く対応しなければならなく、これは下半身の粘り強さと反射神経がモノを言います。何とか私は進塁を止める事が出来ましたが、これが軌道が変わった事で頭を越される事も軟式野球では何ら珍しい話では無く、また仕方ないよね、で通常の試合なら済む話ですが、西武ドームが掛かった決勝戦。そうも言っていられません。身体を壊してでも止めなければならず、止めましたが返球をした瞬間、グキッと嫌な音が肩から聞こえました。その後大丈夫かどうか、確かめる為にベンチに戻ってキャッチボールをしてみましたが、どうも様子がおかしい。そのまま試合に出続けましたが、全然良くならない。寧ろどんどん肩が上がらなくなり医者に診せたら靭帯断裂・・・
 これがもし、私の下半身に粘りがあったなら、ジャンプした瞬間に投げるのではなく、着地した瞬間に踏み込んでバックホームが出来た事でしょう。しかし、もう齢40で下半身の粘りは弱くなっている感が否めなかった事と、その試合は10月の終わり頃で寒く身体も動きづらくなっている夕方だった為、瞬間的にジャンプしながら地肩だけを使ってセカンドのカットマンに送球しました。幸いその様を見たサードランナーコーチャーが2塁から3塁、また本塁を狙うランナーに対して制止したので失点目は免れましたが、もしも着地してからの送球であった場合、サードコーチャーは腕を回した事でしょう。そこでバックホーム、本塁での勝負となって刺殺出来たものと思われます。
 それ以外にもあります。特に冬場ですが、下半身の粘りが無いと、大きな怪我につながります。土曜チーム、TJSのトーナメント戦でしたが、右中間に飛球した打球を止める為に追い掛けて捕球した瞬間、太腿がプチッと音を立ててその場から私は動けなくなった事がありました。太腿の肉離れです。これも球際プレーで、粘り強さに欠いた為に起きた出来事でした。その後1ヶ月はまともに動けなくなりました。
 こうした球際の強さは草野球に於いて本当に大切。何故なら怪我をしない、防ぐ為に必要な要素だからです。だから走力も勿論大切ですが、それよりも球際の強さを維持する為の粘り強さ、走力とは違う筋力が大切な要素だと思います。
 あと最後に最近本当に実感しているのは眼です。眼が見えないと話にならない。TJSでレギュラーを追われるキッカケになったのはこの眼です。これまでは眼鏡を掛けていてもインパクトの瞬間、大体どこに飛球するか全部見えていました。また、打者のスイングの軌道から、この打者に対する守備取りはこの辺り、等守備位置の微修正も行っておりましたが、この眼が全く使い物にならないと、インパクトの瞬間が見えず、飛球して初動の判断、コンマ何秒の世界ですが、それが遅れます。そうなると、極端に言えば右に飛んだ打球に対して左に走ったり、正面後ろの打球を前、と判断したり、と守備どころの話では無くなります。草野球グラウンドの多くは後ろがツーツー状態、抜けたらホームランです。フェンスが無いグラウンドが多いのです。その為、こうした凡ミスをした瞬間プレーが止まり、一同なんだよ・・・となりモチベーションが削がれます。
 つまり、外野手に必要なフィジカルスキルは、下半身と眼、この2つが大きな要素だと私は考えております。

13.草野球の野手 ~内野手編~

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 これは、私は内野手経験が浅いので、どこまで書ききれるか、また誤った話もあるかもしれない、と言う自信の無さも多少はありますが、一応監督も経験した身。頑張って書いていきます。間違えだよ、と言うご意見、ぜひ教えて下さい。

其壱 ポジションによって全然違う内野の動き

 外野手編で向き・不向きについて書いていきました。改めてコピーを。

 同じ内野手でも、4つポジションがあります。それをくどくど書くととんでもない量になるので概略だけ。ファーストは特に背丈と左投げ。この辺はセオリー通りだと思います。的は出来るだけデカい方がいいに決まっています。しかし、それより大切なのは捕球能力。実はこれが一番だと思います。際どい送球を確実に捕球する事が出来る能力、これがファーストでは一番大切なポイントで、あとは投手を励ます事が出来る能力。私の土日チーム、双方実はファーストの方は大きいです。が、捕球能力がちょっと・・・とは思いたくなくとも思ってしまう事はあります。勿論、年齢的な要素、そこから来る視神経の衰え、特に共に大病を患って後、それでもやり続けるのだから、根本的には偉大な人生の先輩だと思っています。
プレーだけで見たら、どうして・・・と思う事も実際ありますが、チームに対する貢献度や経験から来る技量、実際に特に土曜日の方は、怪我を最小限に食い止める事の出来るファーストの捌き方、をちゃんとやっているので、エラーになっても怪我はしない。プレーを中断しない、と言う点に於いてはどの方よりも秀でていると思っています。ファーストは動きが少ないと言われるようですが、実際はとても難しく、大変なポジションです。バッターランナーと交錯してしまうシーンが実際、多々あるからですし、それは大怪我につながります。実際、私が監督を務めたチームの優勝決定戦でもそれは起きましたし、2021年末、土曜チームの最終戦でも、いつもやっているファーストの方が降りて変わったチームの主軸を打つバッターに慣れさせる為にファーストをやらせたら、ランナーと交錯し左手の複雑骨折。何とも言えない形でシーズンを終了したのが2021年でした。これが、いつもの方がファーストをしていたら、或いは投手として私が投げてそもそもそういう当たりを打たせないようにして試合を〆ていたら・・・と色々考えさせられました。私はもうプレイヤーでしかないので選手起用については口出しは出来ない立場でしたが、強引にでも俺に投げさせろ、もうゲームは決まっているし時間も残りわずかなんだから、と言えばよかった、と後悔が募ります。
セカンドも然りです。私は内野手の守備機会の中では一番多かったのはセカンドです。簡単だから?いいや全然違います。セカンドは滅茶苦茶頭を使いますし、身体も使います。走る距離は外野手より少ないですが、ステップを動かすのはずっと。特に元々外野手で交錯プレーに慣れていない私には、二塁盗塁時のタッチプレーが苦手です。ベースを跨ぐように、昨今は走者妨害にならないようにそれもしなければなりませんが、兎に角ベースを跨ぐように入り、ベース手前でランナーにタッチする体制を即座に作らなければならず、これが苦手。低い体勢のまま入るのが理想ですが、元々低く構える事を習慣にしなかった外野手がこれをやろうとすると、もう大変です。上体はぶれるし、足は大きなステップ。ワンバウンド送球を捕球するにしても、大きく捕球してしまうので小刻みなキャッチングがしづらい傾向にあります。ただ、利点はあります。動きが大きいので、フライやゴロでも際どい打球に追いつきやすい事です。これは大きな利点と言っていいでしょう。追いつきさえすれば、仮に刺せなくとも抜けたら一点を防ぐ事がそこで出来る可能性が増えます。
 ショート。野手の一番の花形です。私は2回しか試合で守った事が無いので判らない事の方が多過ぎるので避けますが、頭もよく使える人だと投手としてのショートストップマンは有難いと思っています。例えばセカンドへの牽制、草野球では大半のチームはショートが出します。それに守備範囲が一番広いとされているのもショートです。フィジカルエリートでないとある程度のレベルでは務まりませんし、外野からのバックホーム等、中継プレーにショートの役割は欠かせません。最近ではショートの人がレフトフライを捌くとか、左側の三角ゾーンのフライを捕球出来るのもショート以外にはいません。セカンドはやや前面にどうしてもスタートが遅くなり、三角ゾーンにフライが落ちてしまう事がままありますが、ショートはやや後方に守るので、三角ゾーンに手が届きやすい利点があります。また、レフトゾーンに勝負所で打球が飛ぶ事は多いので、前述の中継を始め、際どいシーンには必ずと言っていい程ショートが絡んできますので兎に角内野で一番注目されるのはショートですね。すみません、細かい事は書けません。

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 サード。これも花形ですね。投手目線として考えると、サードが一番厚いと私としてはとても組み立てがし易いと思っています。理由は私の投球スタイルにあります。私はインコースを主体としたピッチングスタイルです。その為、打者を詰まらせて打ち取る事が多いのです。そうなると、一番飛球するのはサード。サードの実力があると、一気に私の防御率は上がります。サードは縦動き、横動き、どちらが重要なのか、恐らく両方大切だと思いますが、そのプレースタイルによって全然違うようですね。私としては縦動きが速いと有難いです。何故なら打球が詰まるから前目に打球が転がるケースが多い為です。また、捕球から送球迄のスピードも速いと有難いです。

其弐 スローイング

 日曜チームで今教えている若い子はサードとセカンド。恐らく今年はセカンドの方が多いかも、と言う子なのですが、彼はややイップス気味でした。彼に教え込んでいるのは、捕球から送球迄のスピード、ステップ、切り替えしです。彼の特徴は動きは横に広いので本来セカンドやショートタイプ。チーム事情からサードを守って貰っていましたが、悪送球がやや多かった。その度に投手である私が一瞬ムッとしてしまうので、余計びびってしまう。今はムッとはしないよう努力していますが、一度それがあるとどうしても人間心理上縮こまってしまう。だから、彼を直す事、これは半分は私の責任。彼の動きをつぶさに観察してみました。
 そこで共通項を見出しました。彼が暴投してしまう時は決まって、身体から腕が離れている時でした。その理由は言わずもがな、焦りから。厳しい捕球態勢になってしまって焦るのでグラブから利き手に球を切り替えた瞬間に投げようとする。そうすると、厳しい態勢である時の大半は身体の近くにグラブが行っていないので、身体から遠い位置からのスローイングになり、地肩や腕の強さだけでスローイングをしなければならない。コントロールが通常よりつかない。暴投する、と言う流れです。その為、まず彼に短い時間で教え込んだのは、捕球態勢の確認。股割り、所謂うんこ座りで正面に対座して、球を転がす。間で転がった球を捕る。その時に肩を股に入れるようにして捕らせる。これだけです。これをまずは延々、一体藤堂さんいつまでこれやるのですか?と本人に聞かれる迄やる。これは捕球態勢の癖をもう一度つけさせる為の訓練です。
 その次にやるのが、緩く転がった球を掬い上げる。その時に胸に持っていく事を忘れさせずに。ステップの位置はこの時はどこでもいい。よく、左足を前にとか、正面に、とかあるけどそこまで覚えさせない。次に同じ動きの中でグラブを右肩に持っていくように動かす。この時、実際の右肩では無く、右胸です。グラブを右胸に当てる。そして投球方向に身体を向ける。そこ迄は投げなくていい、と言う事を教え込みます。所謂タッピングと言う奴です。
 焦ってしまう原因は色々あれど、焦るのはまず仕方がない、と言うのが前提です。何故なら草野球です。やれて当たり前のプロや社会人野球とは違います。必死の動きをする学生野球とも違います。まず、焦ったとしても安心させる、これが一番大事で、タッピングはそのテクニックのうちの一つです。また、内野手のスローイングの基本中の基本、でもあります。要は、基本のおさらい、と言う事なのですが、それを闇雲に言ってしまうのは指導をする上で今や絶対にNGです。昔の根性論とはまるで違うからです。私たちの頃迄はパワハラ染みた根性論が当たり前でしたが、今の若い子には絶対通用しません。ここまで上半身の動きを試合終了後の約15分で教え込みました。この動きをまずは繰り返しなさい、と。そのうえで今度はキャッチング。出来るだけ正面に入る、と言う事をよく言われるし、勿論大事なポイントなのですが、残りの5分程度で、本人のステップに合わせた捕球ステップの確認を伝えてまずは終了。人間、一遍に色々な事を教えても身に付かないので、3つの事を面白可笑しく教える、特に草野球みたいなアマチュアの中のアマチュアでは、これでも沢山の事を教えている部類に入ります。何故なら通常は本業がそれぞれある訳で、彼も一流企業に勤める立派なエリートです。そういう人でも真剣に悩み、真剣に取り組もうとする、これこそ草野球のいい所だと私は思っています。
 今年のシーズン、彼のスローイングが良くなってくれる事を大いにエース投手しては期待をしております。

其参 連携プレー&まとめ

 これも内野手の中では大切な要素。特に外野手からの返球。イチロー氏のようなレーザービームは殆どの外野手は投げられないです。中継に頼るのが一番正確で、一番プレーを止めません。結果ミスが少なくなり、失点も減ります。そうなると重要なのが連携プレー。中継位置です。これは各人の野球観やチーム事情によってまるで異なります。例えば私がライトからバックホームをする際の中継はファーストに捕球して貰いたい。しかし、土日双方のファーストを守る人について、身体は大きくとも中継やスローイングは弱いです。そうなるとセカンドに中継して貰わなければなりませんが、セカンドも弱かったりします。そうなると、特に土曜日チームは、ショートが後ろから回り込んで中継に入り、バックホームをする、と言うセオリーは全く無視した中継をやったりもしています。特にホームから一番遠い、右中間に抜けた打球は時間もあるので、ショートも回り込む事が出来て、肩が良く、身体も大きなショートに私も球を投げる事も珍しくありません。野球本来としては有り得ない事です。
 また、挟殺プレー。これも重要です。2・3人の野手に挟まれてランナーがアウトになればいいのですが、そうでない場合は、サブである外野手も駆り出される可能性がありますし、ダイヤモンドの中心に居る投手も挟殺プレーに加わります。挟殺の基本は投げたら投げた側の方向に野手も向かう事。この繰り返しです。内野を長くやると当然この動きが出来るようになります。それは接触・交錯プレーが日常だからです。外野手はそうはいきません。この辺り、餅は餅屋。内野に任せるべきだと私は思っています。
 それからディレードスチールプレー。これもチームの事情によってやり方が変わってくると思います。セカンドが動く人ならセカンドに任せる事が多いですし、ショートが動くならショート。日々の球廻しの段階でこれは訓練を重ねる事で、上手にもなりますし、トリックプレーがし易くもなりますね。
 あとはサインプレー。牽制に対するサインプレーは勿論の事、前進体制を敷くのか、後ろに守るのか、等捕手の裁量で決められる事と、内野手の第六感で判断する部分。双方あると思います。これもまたチーム事情によって大きく異なる事だと思われます。

 色々書いてみましたが、内野は特にチーム事情に左右される事が多い事が、私も書いてみながらよく判りました。私が監督をしていた頃は、基本的には捕球優先。スローイングは後回し、兎に角打球を追え、と伝えていました。何故ならスローイングはミスの比率をグッと上げるからです。草野球は特に、圧倒的なフィジカルの差が無ければ、ミスが少ない方が勝ちます。点取りゲームなので、得点を多く得た方が勝ちます。だから、ミスする位なら、投げなくていい、と伝えていました。勝負をかける時だけ、集中して投げられるようにしてください、と。その為にキャッチボールから意識して、相手の胸元目掛けてちゃんと投げられるようにしましょう、と。
 それを意識して出来ていれば、スローイングのミスもかなり減らせる可能性が高くなり、結果失点につながらずに済みます。その為、特に内野手に求められるスキルは正確なスローイング。そこには肩の強さや球の速さは然程必要とせず、ちゃんと相手の胸元に投げられるコントロールであり、このコントロールを維持する為に必要なキャッチング能力。捕球態勢から自分の身体にグラブを持っていき、的確に投げたい方向に目掛けて投げる事の出来る技術だと思います。ここがしっかりしていれば、焦る必要は無くなるし、落ち着いたプレーが出来るようになると思います。筋力よりも技術、しかもその技術は野球をやる人間なら誰もが学んだであろう基礎的な技術、そこを草野球人としてはおさらいをして、もう一度身体に思い出させる、しみこませる、この2つだと思います。


14.草野球の野手 ~捕手編~

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 そろそろ個別ポジションに対する体系的な話は残り半分となりました。次は捕手です。20ウン年間、草野球で投手を務めました。その間様々な捕手とバッテリーを組みました。その経験則の話がメインになります。まず、捕手の適正。これは向き・不向きの表。もうコピーしなくていいと思いますが、まず大原則として草野球の場合は経験者か否か、と言う点です。理由は怪我をするから。捕手が一番プレイ中の怪我が多いポジションです。その為、経験者に捕手を任せる事以外はまず難しいと考えるべきです。

其壱 性格

・内向的、外向的、強気、慎重。
・縦・横・手前・奥また4分類。
・ドッシリ構える、内股気味なのか、片膝を立てる、立てない。

 書き出したら全部4分類でした。それによって投手としての組み立てを考え直します。当然キャッチングの基礎的な技量の問題もあります。真に勝ちたい試合ではフレミングが出来る、と言う事は絶対条件になりますが、年に何試合もそんな試合はある訳ではありません。時には調整登板に付き合わせる事もあります。私の場合、球速は遅く、変化球の種類は草野球投手の中では多い部類に入るので、その変化球に対応出来るかどうか、がポイントになります。例えば、嫌なのは浮き上がるカーブに捕手が腰を浮かせてしまう事。これをやられるとまずストライクもボールと判定されてしまい、カーブが使えなくなります。他にも様々、細かい事は書きだしたら限が無いのですが、それは一旦置いておきます。

 捕手をされる方にも様々なタイプがいらっしゃいます。そこでなるべく試合前のコミュニケーションでヒアリングしたいのが、捕手として誰がNPB選手の中では好きだったか。捕手をされる方の大半は何らかの哲学があります。それが正しいのか、間違えているのか、は然程重要ではありませんが、傾向や本人の特性を確かめる上で、このNPB選手の中では誰が好きな捕手なのか、は結構大きなその哲学を知る上でのファクターと考えられます。
例えば、若い頃一番多かったのは、城島選手が好き、と言う人。これは多かったです。コーナーワークは勿論、カーブの組み立て、アウトローの使い方、強肩強打でチームの主軸を張りたい、そういったタイプです。そして捕手が投手を引っ張る、大まかに言うとそうした哲学です。そのほか、古田選手が好きな人。これは思慮深く考えるタイプに多いように思えます。フレミングを自分で勉強し、投手の良さを最大限引き出しつつ、コーナーワークよりも球種、配給の組み立て、全体の流れを考えていくタイプに多いような気がします。そのほか、谷繁選手が好きな人、阿部選手が好きな人、代表的な平成のキャッチャーはやはりこの4分類になるのでしょうか。各々哲学があります。私の場合、そもそも球速が遅く、コントロールもいまいち。捕手の上手さに頼らざる得ないので、彼らの哲学をよく理解してなるべく彼らの言う事に従うように、と考えています。マウンドで捕手にヘコヘコする投手も珍しいかも知れませんが、私はそうしたタイプです。
 また、私個人的に有難いのは強肩である事。クイックも時にはやりますが、特にここ最近はサイド・アンダーへ転向してからはクイックがそもそも出来づらくなりました。その為、強肩である事は私にとって必須条件になりますが最近はそうでもない、とも考え直すようになりました。当然走られる頻度は増えますが、その分抑えればいい、そう考え直すようにもなりました。
 私と長くバッテリーを組んでいる人は、土日双方1人ずつ。いずれも彼らが10代の頃からバッテリーを組んでいます。今やそれぞれのチームの主軸として、或いはリーグを代表する捕手の一人として、見事に育ってくれています。その捕手を育成する、と言う事を考えていきたいと思います。

其弐 育成

 捕手を育成する。何を偉そうにと思うかもしれませんが本当にその気持ちでやっていました。まず土曜日の捕手。この子は彼が20歳、私が34歳の時からバッテリーを組んでいました。高校を卒業し、某インフラ企業に就職する為に上京して草野球を始めた、と言う草野球で言うなら現役バリバリだった子です。
 彼は最初、アウトロー信者でアウトローしか構えませんでした。球種は当時から3種類
ありましたが、(ストレート・カーブ・ツーシーム)このうち特にツーシームの精度が当時の私はまだ良くなく、今よりも狙った所に投げられませんでした。その為、アウトローでツーシームを要求されると、物凄く構えた場所から遠くに外れたボールになる事の方が多かったです。そんな状況もあり、私はアウトローに投げるのを嫌っていました。それ以上に嫌っていた理由は、私はインコースを主体に当時は組み立てをしていくと「乗れる」投手でした。球速は今と然程大差ないですが、球威は当時まだありました。その為、遅い球ながらもインコースで詰まらせてサードゴロに抑える、と言うシーンは多々あり、またそれを軸にしながら配球を考える、と言うタイプの投手でした。更に言うなら、球速が無い投手に対して捕手は躱す事を一番に考えがちですが、当時の私はそうした逃げの姿勢が嫌いでした。だから、俺を信じろ、インコースを要求しろ、それで打たれたら俺の責任だ、自信を持て、とずっと言い続けていました。それに対してこの土曜日の子は、いや、藤堂さんの球では抑えられない・・・とクドクド言い始めたので、(他界した)監督が抑えられないような投手をマウンドに登らせるか?そんな甘い人ではないぞ、あの人だって捕手出身なんだ、周りをもっと信じなさい・・・とクドクドを一蹴しました。
 それでも長年染みついた事を変えるのは容易な事ではありません。何度も何度もこのやり取りをマウンドや、平時の雑談などで繰り返して、漸くインコースを彼も要求するようになり、それでバッターが打ち取られる姿を見て、初めて信じるようになりました。
 あと、彼は所謂鉄砲肩に近いタイプで座ってセカンドに送球し盗塁阻止をする事が多々ありました。勿論それそのものは素晴らしい事ですし、そこに頼る事も多々ありましたが、余りそれはやり過ぎるな、とも伝えていました。座りながら送球して刺すのは本当に凄い事ですが、その分選手としてのダメージも大きいです。やはり捕球から2秒以内に立って送球する、この基本をやらないと選手寿命は延びないです。若い頃の彼はそれでも言う事を聞かずに座り投げを繰り返していましたが、段々刺せなくなって来ている事を自覚するようになってからは、ちゃんと立って投げるようになりました。
 あとはキャッチング。既にフレミングの技法が知れ渡っている時代背景だったので、当然彼もフレミングをマネするようになっていましたが、いまいちでした。強引に動かす癖があり、この強引に動かす事でストライクがボールになってしまったり、ストライクを取って欲しいボール球はそのままボール判定される事も良くあったので、マウンド上で何度も下手に動かすなーーーと怒鳴った事もありました。彼は元々器用なのでその辺りはかなり早く吸収し、一応のフレミングが出来るようになっています。今はチームの主軸として、またリーグ内でも鉄砲肩として代表的な捕手の一人に数えられるようになり、また、元々は線も細い子でしたが、貫禄も出て、恐らく今が一番いい状態なのではないか、と思えるような立派な捕手になりました。未だに座り投げをする癖は治らないですけど、リードも投手の特性を良く観察しアウトロー一辺倒のリードはもうしなくなりましたし、段々大人になったのか、審判さんとのコミュニケーションも大人のコミュニケーションが取れるようになりました。今は彼を一番私は信頼しているし、殆ど彼のリードに首を振る事は無く、キャッチングでケチを付ける事もなくなりました。
 
 日曜日の子。この子は彼が16歳で野球部を辞めた時からバッテリーを組み始めました。同世代チームメイトのお子さん(血はつながっていない)で、それでも親子鷹として、親父さんが4番、この子が3番若しくは5番と言う打順で連打するシーンを何度も見ていましたが、とても気持ちのいい感じでした。この子もまた土曜日の子以上に鉄砲肩。足立のリーグ戦でその名はすぐに知れ渡る事にもなり、盗塁企画率は恐らく相当低かったものと思われます。しかし彼は母親に性格が似ているのかどうなのか、判らないけどとても頭に血が昇り易い性格なので、マウンドでは強気な私ですら委縮してしまうタイプ。気に入らない球を投げるとそもそも捕らないし、厭々捕って私の倍近く速い球で返球してきたりしていました。性格のコントロールがまだ若すぎるから当然難しい所はありました。その割にリードは結構慎重派で、やはりインコースは投げない。フラッシングも本当ならインハイを要求したいのだろうな、と言う意図が伝わってきても、真っ直ぐ立ち上がるだけで決してインハイにはリクエストしない。また、コーナーワークが当然出来ないので、基本は真ん中主体。それはそれでいいし、私も真ん中に構えて貰える方がどこに球が飛んでも捕ってくれる可能性があがるので、余り文句は言いませんでした。しかし、慎重派過ぎるので、打ち込まれた時や、投手の球の勢いがない、と判断すると途端に委縮してしまう。捕手が自信なさそうな顔をするとマウンドのこちらも途端に不安になります。だから彼に要求したのは平常心。感情の波は判るし、性格だから仕方の無い事。だからこそ、特に怒りや不安は表に出すと周り全体に伝わってしまって、扇の要たる捕手としての役割が、本当にただの壁になってしまう。しかも物言う厄介な壁になるから平常心を出来るだけキープしてくれ、腹は立つだろうけど、と。
 その後関東草野球5部で優勝捕手となり、チームを分割、若手だけのチームとして同じチーム名でのし上がり、今は関東草野球2部リーグチームの代表兼選手。年に2回か3回私ともバッテリーを組むが、リードも成熟し、キャッチングも上手、肩も強く感情の波はかなり大人しくなりながらも強気のリードに意識を向ける事が出来るような、いい捕手になっています。まだ彼も25歳。伸びシロはまだまだあります。ただ、打撃不振に陥ると、途端にリードにも響くので、仕方の無い事ではあるけど、そこは頑張って乗り越えて欲しいなとよく思います。

 この2人が座るチームで対決させた事もありました。もうそういう練習試合はキャッチャーとしてどっちが凄いのか、注目はそこに集まりますし、盗塁は出来ません。お互い肩が強過ぎるので。けれどもそういう試合もまた楽しいのが草野球の醍醐味でもあります。

其参 まとめ

本当に私の主観で書いていますが、捕手に投手として要求する事は、
・ボールをストライクにする技術
・投手の球を嫌がらないで捕って欲しい
・肩はそこそこでいいが、正確性は求めたい
・審判と喧嘩しそうになるのは投手。捕手はそれを抑えたりなだめたりして欲しい

大体これくらいです。
リードに関して、本来私は捕手任せなのですが、それでも違うと首を振る事も稀にあります。その時の引き出しを考える頭脳を少しは欲しいと思っています。一昨年前、関東草野球の試合で、1球投げるのに5回首を振って審判がボーク、と言いかけた事がありました。勿論首を振る私も悪いのですが、余りにもこの辺りの呼吸が整わないと、その後の野手のリズムも狂います。その試合は泥試合となって、結局は勝ちましたが、とんでもない泥試合。更にその後にボーク云々の判定が出たりもして、その説明に私は納得がいかず試合後に審判に嚙みついて監督まで出て来て取り押さえらえるという乱闘寸前になった事もありました。35度以上の超真夏日。審判もそもそも殺気立っているし、泥試合を投げ抜いた私もかなり殺気立っている。殴り掛かる寸前まで審判と喧嘩してしまいました。
あとは止めて欲しいと思う事の一つに、バッターに文句を言う捕手。これは止めて欲しい。ストライクボールの判定に納得がいかず、思わずえっ、と声が出てしまう。これはままあります。特に公式の審判が付いている試合だと尚更です。その際、思わず出た声に対して、うるせーボケ、と言う捕手は意外と多いです。これはよろしくない。えっと驚く対象は捕手でなく審判です。そうなると、打者としての私は何を考えるか、バットを下に振り回すふりをして砂を掛けたくなります。インターフェアを狙ってミット目掛けてバットを振り回したくもなります。手首へし折ったろか、と。少なくとも学生時代に新東京1部の下位チームの一員として弱者の兵法を体現していた私は、それ位は平気で思い出してやりたくなります。偶然掛かってしまう時は一旦タイムを取ってちゃんと謝りますし勿論そんな反則、今の世の中ではしませんが・・・
勿論、勝負事なのでそうした駆け引きも含めて、なのですが、打者としての喧嘩の対象は違います。少なくとも捕手に対する比率は草野球では低いです。更に、勝負事なので、本当に投手対打者は喧嘩みたいなものです。しかし、本当に草野球で喧嘩をしでかしたら、お互いの社会生活が文字通り終わってしまいます。だから捕手は最後の砦です。我々草野球プレイヤーは捕手によって護られている、そう感謝しながら草野球を愉しむ、これが一番だろうな、と思います。


15.草野球の野手 ~投手編~

 漸く今の自分のメインポジションです。これまで沢山書いている通り、私は超軟投派です。球速差は恐らく30キロ程ですが、そもそもが遅いので、遅い球が更に遅くなります。稀に速球を投げますが、それ程多くは投げられません。その為、生き残る為の工夫は沢山やります。まずそんな私の持論から。

其壱 価値観

 私の投球フォームは4種類程あります。まずこれ自体が一般的な投手と全く違う所です。その訳ですが、私はそもそも外野手であり、バッティングピッチャーを長くやっていたからです。学生時代、試合で投手を務めた事はありません。ただ、ダラダラと投げ続ける能力・スタミナだけはあります。それで草野球に入ってから投手をやるようになりました。
そんな私の持論は、兎に角アウトを獲る事。兎に角失点しない事。勝つ事。この3つだけ。本当にそれだけ。野球は点獲りゲームなので、勝てばいい。その為の手段は選びません。綺麗に勝とうが、派手に勝とうが、泥試合で勝とうが、関係ありません。勝ちは勝ち、負けは負け。その責任の半分は投手にある、と考えています。最後にもう一つ考えるのは、これは当たり前の話ですが投手が投げなければ試合がそもそも始まらない、と言う事。
その意味で、投手に向いている人は飛び込み営業や新規開拓・開発の仕事をしている人だと私は思っています。飛び込み営業は自分がドアノックしないと話が始まりません。あと、こちらから投げ掛けないと新規開拓や新規で何かを作り出す時には仕事になりません。これは度胸が必要です。所謂、ビジネス書とかで古い考え、として批判されるKKD、勘と経験と度胸が一番求められる職種です。投手も一緒だと思います。試合は投手が投げて打者が打つから成立します。その、最後の最後に求められるのはKKDです。
勿論、そこに至る迄のプロセスはあります。ビジネスの世界で言うならば、数値。或いは数値から導き出せる確率論。そして数値を算出するに当たって適切且つ最適で必要な論拠であり、論理・技法・考え方。その上で仮説立てて実行に至る迄のプロセスを明確にした上で行動を起こす事で、成功のプロセスを考察する事が出来るようになります。例えば新規開拓営業一つ取っても、相手のニーズを如何にキャッチして、そのニーズに応えて仕事を得られるのか、それをKKDで語るのではなく、こうした論理付けによって明確に捉えて事例を作る。そしてその拡大再生産を行う事で確保出来る仕事量は増え、個人だけでなく部署・或いは会社としての成長もより見込めるようになる・・・ウンヌンカンヌン。
 投球もスタートの意味では一緒です。KKDは最後の最後に必要ではあれど、そこに至る経緯・プロセスは前述の確率論からの話とほぼ一緒です。また、同時に己の売っている商品を信じないと自信は生まれません。その為に己の売る商品やサービスをまずは信じないといけない。これは飛び込み営業や新規開拓・開発をやる上でかなり重要な事で、まずはここを考えないと自信を持って見ず知らずの相手にモノを売る事はまず出来ません。これを野球に例えるなら、バックを信じろ、と言う事です。投げている時、投手は野手に背中を向けていますが、野手を信じないと投球に移れません。打たれたらカバーしてくれよ、と言う事です。そこで信じて自信を持って投げる事で、力のこもった球を投げる事が出来て結果として打者を抑える事が出来るようになります。逆も然りで野手は野手で、投手は打ち取ってくれる、と信じないといいスタートを切る事は出来ません。
 以上が私の根本的な価値観であり、持論です。

其弐 スタイル

 長年草野球投手を務めた中で、投手程面白くて考えさせられるポジションは無い、と実感していますが、年代別での投手スタイルを次に書いてみたいと思います。

20代。
 これは前半・後半に分かれます。前半はまず導入期と考えるべきでしょう。学生野球や社会人野球の延長上で草野球人としてのキャリアをスタート。大抵はそのフィジカルの高さから投手を任される事が多いと思います。当然チーム内ではスター選手になり得ます。そのまま引退する子、チームを去る子、長続きする子、それぞれ居ると思います。引退で一番多いのは、過去の怪我の再発と結婚や野球に飽きた。仕事が忙しくなった等。チームを去る子はよりレベルの高いステージに行きたい、と思ってチームを鞍替えする子。これは本当に多いと思います。そして長続きする子。これも多いと思います。それぞれの特性に合わせた形でまずは人として接していく、これが一番大切だと思います。
 また、フィジカルが優れているのでどうしてもそこに頼りがちになりますが、使い方はよくよく考えるべきです。怪我をしてしまって学生野球を引退した子達も沢山います。投手としての能力を高く有しているけど、彼らは怪我の恐怖と戦わなければなりません。だから、無理矢理投げさせるような事はたとえ能力が高くともさせてはなりません。飽く迄、その若い子が自分から投げたい、と言うようになる迄、親父世代の我々は我慢です。多分、段々我々が投げているのを見てじれったくなってくるでしょうから、その機を我々は見逃さない事です。もういいから俺に投げさせろ、と言うのを待つのが一番いいです。
 ただ、彼らの場合で気を付けなければならないのは、コントロールと捕手との呼吸です。コントロールは特に硬式球から軟式球に変わるので、思うようにコントロールがつけられない事はままあります。それで自信を失って投手へのモチベーションが下がってしまう人も割と多いように思えます。これが20代後半になると若干変わります。段々思うように身体が動かなくなる、その第一歩を味わうのが概ね20代後半から30代だからです。ただ、年齢を重ね社会人経験を重ねる事によって大人になり、対処法も身に付けます。所謂技術でカバーする、と言うやつです。また、人の話も良く聞くようにもなります。土曜日チームでも、日曜日チームでも若い子が段々大人になっていく様を沢山見ました。

 30代の場合。

 30代の10年間、どれだけ私は投げたか判りませんが、多分20年以上の草野球キャリアの中で、一番投げた時期だったんじゃないでしょうか。土日連投は当たり前でしたし、土日で3試合投げる、とかもザラにありました。ここで一番考えなければならないのは、身体の衰えから来るメンテナンスです。衰えを自覚した上で適切な対処を打つ、これが一番30代では求められるスキルです。

 投手としての技術面ではどうか?この30代の頃に私は球種が2つ増えました。ツーシームとカットボール。20代の頃はまだツーシームと言う球は一般的でなかったのもありましたが、(シュートと言う扱いでした)打者の手元で揺らぐツーシームをマスターする事で、投手寿命はかなり伸びたと思っています。変化球を改めてマスターし始めるのも、大抵この30代からでは無かろうか、と思います。理由はストレートの切れや速さだけでは段々打ち取れなくなり、工夫するようになるからです。また、捕手とのコミュニケーションも取り易くなるし、考えやすくなるのもこの30代。社会性を身に付けるからです。即ち、30代の投手が一番草野球としては強い、と思います。パワープレーもまだ出来るし、テクニカル要素も身に付けられる。発展途上でもあるので、研究も怠らない。更に身体も動くので筋トレもちゃんとやる。そしてコミュニケ―ションスキルも格段と上がるので、チームの中心人物になり易いです。また、私もそうですが、所謂キャリアハイもこの時期に叩き出す投手は多いと思います。

40代の場合。

 これが私の現在地。これから40代の後半に差し掛かるのでまだ判らない事もありますが、間違いなく様々な事が衰え始めているようで、この衰えにどこまで対処出来るか、が課題だと思っています。また、草野球そのものを引退する、と言う事も考え始めています。投手としてはまだ、もう少し続けられるかも知れませんけど、そこもレベルを選びますね。それでもしれっと球種を増やしたり、技術面でカバー出来る部分はかなりカバーするようにもなっている訳で、そこがハマると昨年も殆ど打たれずに1試合完投したり、完封した試合は結構ありました。ただ、打たれる時は派手に打たれてボロ負け、これも増えました。実際、私はツーシームの進化版として、右打者の足元に食い込むシュート回転のツーシームを開発しました。これまではどちらかと言えば、右でも左でも打者の外側に逃げるツーシームでしたが、打者の内側に食い込む変化を意図的にさせる事が出来るようになったのはこの2年位です。ただ、インコースを捌くのが上手なスラッガータイプにこれは通用しません。丁度いいホームランポイントにもなる為で、これを昨年は2回被弾されました。丁度バットの先に当たってそのままレフトにスタンドイン、と言う感じです。

 メンテナンス方法も変わりました。先に書いた私のウイークリーのトレーニング方法。これも40代になってから編み出したもので、30代の頃は、ただひたすら走るだけでした。ひたすら、36歳頃まではほぼ毎日10キロ以上走っていました。そこでトレーニングが出来ない状況になってから一気に激肥りして、42歳で離婚騒動があった時から、改めてダイエットをし始めて、ダイエットをする中でルーティンワークを編み出して今に至っています。これはただ、諸刃の剣です。これを書いている今の私(2022年1月)が正にその刃に引っ掻かれています。年齢と共に関節の衰えが明らかに激しくなり、思うようなトレーニングそのものがしづらくなる、と言う現象です。今迄は例えば10キロ走っても疲れはするけど平気、だったのが、走っている最中に膝が痛くなる、足が攣る、だとかそういう事が起き始めたり、自重・負荷荷重のトレーニングをしている最中に、ピストン運動を繰り返すその関節がゴキッと言い始めてしまったり。このゴキッは怪しい前兆なので、すぐにやめなければなりません。更に仕事も改めてマネジメント職になったり、出世する事で忙しくなったりで、そもそもトレーニングそのものをするだけの余裕が無くなったり、と。本当に加齢による衰えはあるのだ、と自覚のある所です。チームのメンバーとしてこうした人間を考える場合、考え方としては幾通りもありますが、代表的な例を挙げますと、メインの公式戦やリーグ戦はなるべく出さない。或いは出すとしても早い段階で交代して貰う。勿論若手の出番を奪う訳にはいかないからです。向き・不向きで言うならばスターターがいいでしょう。試合を作る事は年の功で出来ますから。2回とか3回迄投げさせて結果がどうであれば降板させる。遅い球から速い球にスイッチした方が速い球はより速く映るので相手打者も打ちづらくなります。年寄りの立場から言うと、後から交代要員として出る方が辛いので、先にさっさと終わらせてくれた方が満足度は高いです。
 練習試合や公式戦の中でもランクを落とす大会などは主軸として働いて貰うが、それも早い段階で交代して貰う。理由は言わずもがな、スタミナ面です。勿論、まだまだやれる自信はあれど、やはり歳喰ってフルで投げる、これはしんどいものです。翌日・翌々日位迄筋肉痛を始め、関節のありとあらゆる箇所は痛くなるものです。こうした、プレイヤーとしての扱い方で働いて貰う方法が1つ。
 もう1つは最早プレイヤーとしてはちょっと出にして、コーチング役にするとか、監督として現場を見て貰うとか、裏方に回って貰う為に、幾つか花道は必要ですが、そうした役割をコーチ兼任選手みたいな立場でやって貰う事。

 以上、年代別のスタイルを書いてみましたが、投手と言うポジションは全体で考えると、その彼自身のキャリア・スキル・生き方・価値観等全部がチームにも影響を及ぼします。言わずもがな、ゲームは投手が投げないとスタートしないからです。周りはその彼に対してどの様に考えていけばいいのか、その触りみたいな事をここではまとめてみました。

其参 投手と言う人種・性格

 最後に投手と言う人種・性格について、ちょっとだけ。

 投手は投手でも様々なタイプがいます。代表的な性格タイプはお山の大将ですが、草野球でお山の大将としてやっていける人は実はそんなに多くないです。また、そうしたお山の大将としてチームを引っ張れるのであれば、そのチームは確実に強いでしょう。江東区1部でやっている時がそうでした。エース君は元常総学院のエースピッチャー。当然お山の大将でした。彼が上手に機能すれば、たとえ相手が佐川急便のような強豪であっても、いい試合はしていました。全体の能力もそこで引き出されても居ました。
 しかし、草野球で比較的長く投手を務められる人は、余りお山の大将と言うタイプではないケースが私の身の回りには多く、どちらかと言えば所謂「陽キャ」であり、コミュニケーションスキルの高い、明るく気遣いも出来る人が多い印象でした。そうした性格的な要素も、やはりチームの中で花形として機能する大切な要素です。私のように「陰キャ」でコミュニケーションスキルがお世辞にも高いとは言えないような人間は、本来性格的には投手に余り向いていないです。それでも、最初に書いていますが、投手で一番大事なのは、KKD。勘と経験と度胸。要は開き直る事が出来るかどうか、です。ピンチになった時に開き直って俺の球を打ってみろ!と叫ぶ事が出来るかどうか、です。後は野手を信じられるかどうか、です。

16.草野球プレイヤーとして・イチ社会人として

 分岐点と言う事について。プレイヤーとしての分岐点をこの作品の最後に考えてみたいと思います。バッター云々についてはまた別の機会があれば書きたいと思います。理由は打順はそれぞれの哲学が違うからです。それぞれの考え方があっていいと思います。それぞれに分岐点はあると思いますが、一番は辞め時、引き際。数値として統計がある訳ではないので何とも言い難いですが、肌感覚では20代後半から30代が一番の辞め時だと思います。理由は、この年代は結婚や奥方の出産とか、新たに家族を持つようになるからです。また、お仕事も出世するとか、転職をするとか、そうした人生としての端境期に差し当たるからでもあります。また、そうした端境期を迎えると人間は成長します。
例えば戸建てを買えば35年ローンが待っています。子供が出来たら家族サービスもしなければなりません。仕事であれば管理職に出世して、それまでは土日休みだったのが、土日も仕事とか、接待が多くなったとか、部下教育に時間を割かなければならなくなった、とか。或いはかつての私のように実質会社のナンバー3とか2の立場になってガリガリ仕事をしなければならなくなった、とかそもそも起業した、とか。そうなると飽く迄余暇である草野球はどうしても後回しになります。そこで辞める、となる訳です。それら人生の選択を絶対否定してはなりません。一般的なサラリーマンであれば、何よりも家族を持ち、伴侶となる人の人生の責任を一手に引き受け、子供を作り、その周辺迄を含む家族関係の構築・維持をしていく事が何よりも大切な事であり、その為には仕事に邁進し、社会活動の中に身を置き社会の一員となる事は最大の人生のイベントであり、大切な事だからです。

例えばかつて土曜日チームで私と二枚看板を組んでいたY君と言う子がいました。今ショートを守るH君とは三遊間を締めてくれていましたし、いい投手でもありました。他界した監督さんの最後の教え子みたいな感じで、ストロングリーグのジャパンカップ決勝戦も一緒に戦った私にとっては掛け替えのない仲間です。
彼はプレーで気に入らない事があると、ベンチの中でぶつくさ文句ばかり言い、ミスした私とか、他の人間に対しても良く当たり散らしていました。その度に雰囲気も悪くなり、ミスした側はしかし文句も言えないのであぁ、すまんな、としかなりませんでした。一生懸命にやっている子ではあったので幾ら私に悪態をつこうが、私は別に彼を悪者と思った事は一度もありませんでした。結果も残していましたし。しかし仕事の関係もあり、土曜日のスケジュールが空けられなくもなって、結果チームを一旦辞めました。
その後、数年経ち彼も年齢を重ね伴侶を見つけた事で大人になり、久々に来てくれた時にはもう、そうした以前のような毒を吐いたり当たり散らすような事はしなくなりました。年齢を重ねる事で、社会人経験も共に重ね、相手の事を考えるようになり自分の過去に行った事が実は愚かだった、と気付く事は誰にでもありますが、草野球でも同じ事はままあります。恐らく、サラリーマンとしての仕事でも同じでは無いでしょうか?
若い頃はガンガン行けると思って、また、周囲に対して何で出来ないんだこんな簡単な事、と思う事は多々・・・。自分の身の回りを冷静になって眺めてみて、歩調を合わせる事を自分がしていなかった、と気付きながら、後輩や部下を持つようになり、初めて彼らに物事を教えたり、伝えたりする事で、そう思う自分は子供だった、と気付くような事。それを妥協と取るか、或いは大人になると取るか、それはそれぞれに取り組む内容によって異なると思いますが、私は妥協とは取らないです。何故なら大人として物事を考え、そこから可能性の最大限を考え出す方が、実は遥かに大変で遥かに苦労が多く、若い子のそうした情熱にも耐えられ、答えを導き出すエネルギーの方が、こちらはより高いモチベーションを保たなければならないですし、常に先に立っていないといけないので、大変だからです。こうした事に初めて、今の大多数のサラリーマンが気付くのが概ね20代後半~30代前半ではないでしょうか。
 草野球に於ける身体の動かし方も同じようなもので、この20代後半に差し掛かる、一番脂の乗ったプレイヤーに如何に人生の先輩として物事を伝えられるかどうか、で彼らの今後が変わってくるように思えます。特に投手は一匹狼になりがちだし、前述のY君のように、最終的には孤立してしまう事もままありました。私も孤立した経験があるので判ります。私は自分で解決していく術をずっと模索しましたが、それとて上手く行ったかどうか、今では判りません。多分上手く行っていないと思っていますが、そうなると不幸です。折角楽しんでやれる筈の草野球も楽しみでは無くなり、義務役割になってしまいます。そんな義務役割のレクリエーションに参加したいと思うでしょうか?大多数の人は思わないと思います。そうして辞めてしまう人もそれなりの数で居ると私は思っています。
 だから、引き際、辞め時と言うのはその後の人生設計にもそれなりに影響をしてくるものだと個人的には考えています。今は人生100年時代。本当に100歳迄生きる人がどれ位の数になるのか、皆目見当はつきませんが、そう考えると残り70年間をどう良く生きられるようにするのか、その為の今のこの30ウン年の中の端境期、はそれなりに大切なターニングポイントになるとおもわれます。

 そこで継続する、と言う選択肢を選んだ場合はどうなのか?

私も歳喰ってよく判りましたが、なんやかやそれなりにやってきた、と言う自負やプライドはあります。そこを若者の正論だけで逆撫でされるような事になると、人間関係そのものを切りたくなります。自分のキャリアを全否定されるような心地になるからです。それはよろしくないし悲しい最後です。事実土曜日チームはどうもその気配を察知したので自分から辞めます、と伝えました。10年近くやったからもういいでしょう、死んだ人への義理や恩義はもう十二分に自分の中で果たした、と思っているので、そうやって自分で納得させないと、余りにも悲し過ぎますから。この10年近く、俺は何をやってきたんだ、と。こうして歳喰ってもプレイヤーで居る事の面倒臭さを今自分でも体験してみて、あぁ、このまま続けたら老害と呼ばれるようになるんだ、と今ヒシヒシと実感しています。
そんな老害になるのは自分では嫌ですからね。
これも一つの引き際です。この引き際をまた伸ばしてしまうと、今度は還暦野球を目指そうとか、そうした明後日の方向に物事を考えてしまうようになると思います。実際、葛飾区とか、江戸川区の河川敷で試合をしていると、横でこうした還暦野球の大会があり、そこで熱戦が繰り広げられても居ます。私も、江東一部だった頃の仲間から、40歳以上のリーグが江東区ではあるからそこに参加しないか、と言う事で1年だけ一緒にプレーをした事もありました。もう、歴戦の猛者揃いではあるものの、こうなると実力や働きだけの問題では全くなく、人間関係とか、そうしたものの方が明らかにモノを言う世界。そもそも人間関係が希薄な所からの呼び出しで参加していた私はやや冷や飯を喰わされてしまい、面倒臭くなり1年でスパッと抜けたりもしました。だから、個人的には歳が行って迄今は野球を続けようとは考えてはいませんが、日曜チームに関しては、引き続き投手として求められる限りは続けようと考えています。育ててあげたい若い子も何人かいるし、私の後釜としてエースピッチャーを張れる子も2人は居るから、彼らに伝えられる事は総て伝えて、後々の彼らの草野球人生が実りあるものにしていけたらそれがいいのかな、とも考えています。そうして私が倒れても彼らが投げて、打って、今目指している市民大会の上部リーグに参戦出来る位のチーム状況になってくれたら、私は満足です。

おわりに

人間、どんな世界でも、社会でも、環境でも引き際と言うモノが確実に存在し、その引き際に向かってどう過ごしていけばより満足した終わりを迎える事が出来て、次のステージに向かっていけるのか、常に考えながら過ごしていくものなのかも知れませんね。これを書く中で改めてそんな事を考えさせられました。
また、この草野球コラムは元々2015年頃から私は構想として書いていたものでしたが、一度書き溜めたSDカードが全部メモリ消去と言う憂き目に遭ってしまって、2020年頃から書き直したものでもありました。メモリ消去されたので、当時書いたものが全く思い出せない中で、再構築をした訳ですが、草野球について、体系的なデータとか、数値的な裏付けとかは本当に希薄です。冒頭に書いたチーム数とかも、本当に1つ1つを色々なサイトから引っ張って調べたものでもあります。特に都市部・首都圏や関西圏の数値的な要素はある程度見出す事は出来ても、地方に至っては残念ながらそうしたものを調べる事は、普段サラリーマンをやりながらだと本当に難しく、まとまった時間の確保が出来ないとまず出来ない代物だと書きながら思い知らされた事は多々ありました。その為、地域によっての誤差などは過分にあると思っています。もしも、そうした地方の草野球事情などに明るい方がおられましたら、メッセージ等でお教え下さりましたら、色々とコミュニケーションを重ねさせて頂きたいとも考えております。
私は本当の草野球馬鹿としてこの20年を過ごしてきました。その私自身の一つの区切りとして、どれほどの人がお読みくださるのか、皆目見当もつきませんが、もしもこうした散文をご一読くださって、あぁ、そんな世界もあるのね、位に感じて下さりましたら、書き手として幸いだと考えております。最後までお読み下さりました事、心より御礼申し上げるとともに、これからも、特に草野球に取り組んでいる皆さまは、一緒に週末の楽しみを堪能出来ましたら幸いです。どうも、有難う御座いました。


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