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藤堂豪の草野球読本6 チーム作り

6.チーム作り=組織作り=コンセプトメイク ~私の暗闘1~

 
 草野球チームを作りたい、そう思ってメンバーを集める。ここまでは比較的容易に出来ます。インターネット・Webアプリや交流制SNSを通じで仲間を集めればゼロベースからでも人は集まります。それが野球の魅力とも言えるでしょう。ただ、元野球部仲間などの仲間内で始めない限り、独りでこの辺りをやるとすると、相当な根気が必要です。まず貴方がどんな人なのか、そしてどんなチームにしたいのかを明確にしなければならないからです。
 例えば昨今多くみられるユーチューバー草野球チーム。参加されている方の中には私も1打席だけ対戦して手も足も出なかった140キロ以上の球を投げる投手もいましたが、基本、皆滅茶苦茶野球が上手いです。当然そうした野球が上手な仲間で集まると、目指すは全国制覇、高松宮杯優勝、等壮大なものになるでしょう。また、そうした強い野球に動機付けされてメンバー入りを志す仲間も自然と増える事でしょう。それは前述のような大会成績やチームプロフィールを表示したWebサイトが存在し、それらを見てこのチーム面白そうだな、と思う人が多いからです。
 現在私の在籍している土曜日チームも、そうした大会成績やプロフィールなどを見て応募してチームに入った、と言うメンバーは数人います。彼らが友達を呼び、若手の主軸として活躍をしています。要は一人誰かを連れてくれば、その後ろには何人か必ず仲間が居て、その仲間が呼び寄せられたら更にその仲間の輪が広がる、そうした構造は自然と出来上がります。現在はその若手が中心となってチームを再形成しています。私は最早老兵状態で、いつこのチームを有終の美を飾って引退するか、そればかりを考えています。

そこに至る経緯として・・・

私も実は草野球チームの監督・代表を務めました。私の場合、人としての根が一匹狼。一人で考え一人で立ち上げました。当時流行っていたアメーバピグとミクシィだけで集めました。最初に来たメンバー複数人をコアメンバーとして、とりあえず練習から開始。何しろお互い顔も名前も知らない人同士で始めましたので。そこから更にミクシィで募集を掛けて、何人か入退部を繰り返し、半年くらいした時、漸くチームの骨子が出来上がり、メンバーが友達や後輩を連れて来る、と言った流れで試合がある程度安定的に出来るだけの頭数を毎週揃えられるようになりました。
 最初は練習や試合が出来て良かった、位の欲求レベルですが、人間は欲深です。当然そこから大会に出よう、とかもっと沢山練習をしよう、とか、それぞれの野球レベルや欲求レベル、価値観が一気に入り混じる。そこを束ねるのが代表。強いリーダーシップと共に大人ならではの気づかい、心遣いが必要になる。更にそこから永続性と言う話になる。これはある意味、会社組織の中でチームビルドをするよりも遥かに難しいです。例えば会社であれば、まずは大前提として雇用関係があり、そこには給料と言う対価がある。草野球にはこれが無い。大前提としては趣味の集まりです。その為、往々にして声の大きな人間に右へ倣え、が日本人の特徴であるように、自分の主義主張を言うのは割と関係性が馴染んでから、になり各人の欲求レベルがとても判りづらい、と言う点にあります。
 これが例えば最初から大会で優勝する、その為に強いチームを作るから少なくとも大学野球経験者、高校野球経験者でないとダメ、とシャットアウトしているチームは別です。事実そうした形でメンバー集めを行い、グングン強くなるチームも沢山あります。

 私の場合、飽く迄趣味の集まりからスタートしました。当然皆仕事を抱えています。そして休みが合うメンバーだけが参加する、これが基本です。レベルも拘りが無く、取り敢えず野球が好き、と言う事だけで集めました。年齢層も私が当時32歳、一番上で50歳手前。一番若くて21歳。年齢層も万遍無く揃えました。そうして集まったメンバーとユニフォームを作り、練習を重ね、概ね半年後には初試合、そこから数試合年間に行って翌年からリーグ戦参加。ここまでは割とトントン拍子に進みました。そして春季・秋季とある地元のリーグ戦に参加。前年にある程度チームワークを固めたお陰でそれなりに勝ち進み、春季リーグ戦は上位3位。そこからクライマックスシリーズよろしくトーナメントがあったがここは敗退。しかしながら、作って1年でここまでやれる、と言う事に代表である私は確かな手ごたえを感じていました。何より勝つ喜びをまずはみんなで分かち合う。これが出来始めているだけでも上出来。この先、判らないけれども、自分自身がプレイヤーとして経験した、関東草野球の特別部やストロングリーグの1部など、もしかしたら参加出来る位にチームも力を付けるかもしれない。そうなったら嬉しいな、程度には実際に感じていた。
 春季リーグのお疲れ様会で飲み会を開き、二次会のカラオケ、とお決まりの流れの中で期待の若手二人が揃ってChemistryを歌っている姿を眺めながら、あぁ、1年間苦労した甲斐があった、本当にいいチームにこれからなっていくのだろうなぁ、と思った。

 秋季リーグ戦までの間、活動頻度を減らしつつ時々メンバーの集まり具合がいい時にもう一つ参加していたGBNリーグの試合を消化。これはマイナースタートだったが、2位で終了し、次はメジャー3部スタート、とGBN本部から連絡がきた。秋季リーグ、と思っていた夏場。メンバーに呼び出されて指定された居酒屋に。そこにはある程度の中心メンバーが集まっており、そこで今後のチームについて、代表としてどう思っているのか、と聞かれた。そこで酒も入り酔いが回ってしまった私はついつい口を滑らせて、今迄黙っていた本音を伝えたが、これが不味かった。私としてはなんやかや、勝つチームを目指したい。勝ってこそ野球は楽しいスポーツであり、負けて得るものは勿論あるが、それは少ない。貴重な時間を皆割いて来るのだから楽しんで毎回終わりたい。そうすれば翌週、翌々週の試合もまた楽しい気持ちで臨める。と話をした。が、これが良くなかった。チームのメンバーからは、それは勝ちに拘る野球になるのか、そうならば俺らはしたくない、と言う意見が大半だった。その後も喧々諤々、方向性をどうすればいいのかと言う話になって終電近く迄話し合いそれで終わったがこれが後々に大きな溝を作る事になった。
 その後秋季リーグ戦が開始され、チームはなんだかんだスルスルッと勝ち上がっていった。気付けば8勝1敗1引き分けでリーグを1位通過。しかしメンバーは皆楽しそうでは無かった。特に顕著だったのが道具の管理。基本分担して行うようにしていたが、誰も道具を持ちたがらなかった。仕方ないので私の車に全部積んで毎回試合に赴いていたが、どうしてなのか、と一度試合後にメンバーを集めて聞いたら、リーグ戦が終わってクライマックスも終わったら、ちょっと活動は見合わせたい、と言う意見のメンバーがあの飲み会でのメンバー全員だった。それに呼応されるように、他のメンバーも、じゃぁ、そういう事ならば・・・と言う事になり、取り敢えず最終戦まではみんなで頑張りましょう、としてその場は終わった。荷物に関しても、そんな状況なので出来れば持ち帰りたくないが、代表の藤堂さんが苦労されているなら・・・と言う事で一旦分担制には戻った。それを聞いて私の表情は一気に曇った。そんなに勝つ事を考える事がダメなのか、否、それを意識した瞬間に楽しくないのだろうな、この辞めたいと言ったメンバー達は・・・と。

※ 写真は私が代表を務めた草野球チームの集合写真です。

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