人の話をとりあえず聞くときの話
人の話にはとりあえずなんでも「はい」と言って聞きなさい。という意見には半分賛成で半分反対だ。なぜなら「はい」と返事をする=あなたの意見に賛同しますという意思表示になってしまうからだ。
僕は人の言うことを聞かないどころか話自体をシャットアウトしてしまう人間だった。今も感情に反応してしまうとそうなってしまうのだけど、「とりあえず聞いて参考にする」ほうがいいなと思うようになった。
人の話を無視したり跳ね返すのは「選択肢をひとつしか持てない」ということだ。
ネジという問題があったとしてプラスドライバーしか持っていない人とドライバーセットを持っている人では対処できる数が違う。意見を聞くというのはマイナスドライバーや違う大きさのものを手に入れるということ。
今持っているもので無理やり対処できることもあるだろうけど、それにこだわった挙句何倍もの時間がかかったり、ネジ穴をなめてしまったりする事態もありうる。だから選択肢はたくさん持っておくにこしたことはない。
ブラック企業にしか勤めたことがない人がホワイトな会社を探す考えにさえも辿り着けなかったり、学校と家が社会の全てだと思っている人が学校でいじめられて自殺してしまったり、選ぶことすらできないとその先が間違った道であってもそちらに誘導されてしまうのだ。
ただ、なんでもはいそうですねと「同意」するのは違うと思う。「理解はできても同意はできない」という場面は数え切れないほどあるはずだからだ。そこで頷くことはすなわち嘘つきだ。
話を聞くことと嘘をつくことは違う。
だから僕はそういう時「理解はできるけど、今の僕にはその感覚はわからないので一旦受け取って考えてみます」と答えるようにしている。
もはや理解できていなくてもいい。脳みそは忘れるけれど「なくなる」わけではなくて何かきっかけさえあれば神経が繋がって思いだす。それを閃きという。そしてそうやって複数のことが繋がって自分のものとして定着することが本当の「理解した」という状態らしい。
「わかる日がくるかもしれないし、来ないかもしれませんが参考にさせていただきます。ありがとうございます。」今のところこれが一番誠実な回答だと思っている。
小学校の卒業式で30代の先生が話す教訓が生徒に理解できる確率はかなり低いと思う。その時は理解も同意もできないだろう。やがて大学を卒業したぐらいに何かの出来事でぼんやりと思いだして理解して、先生の歳に追いついた時にやっと同意に変わるかもしれない。そこにはタイムラグがある。
その問題にぶち当たった時にあの頃の話が救いの道になってくれたりする。だけど聞いてさえいなかったらその道を見つけるためにさらなる苦労を伴うだろう。
わからなくてもいい。同意しなくてもいい。とりあえず聞いて選択肢をもらっておくこと。これはとてもおすすめだ。使える時が来たらありがたいし、来なくても損はしない。
余計なことで落ち込みすぎたり必要以上に不安に怯えたりしないように、たくさんの話を聞いて価値観を知っていきたい。
読んでくれてありがとうございます:-D
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