強制は楽しさを奪う。
もう数年前になるのだけどウルフルズのライブを観にいった時の話。
その日は大阪のなんばHatchという1500人規模のライブハウスでの公演だった。僕にとってはとてつもなく大きな箱(ライブハウス)であり、音楽番組主催のオーディションで優勝した時に1度だけ立ったことがある思い入れのある場所でもある。
ウルフルズにしたらそんな小さなとこじゃチケット取れないよ!という場所であるが、奇跡的にチケットが取れ観にいくことができた。
ウルフルズの曲は有名どころしか知らなかったのだけど、ちょうどその頃トータス松本さんのブログを読んで胸を打たれ、曲を聴き涙を流し、またブログを読んで…読みつくしてしまったりしていた時期で、いいタイミングで見ることができた。
1曲目は「いい女」という僕でも知っている曲だったけれど、そこからは初心者にはわからない曲がつづいた。それでもさすがウルフルズ。帰った後にあの曲が聴きたいと検索してしまったりした。いいライブを観た後はまた聴きたくなる。
だけど、少しだけ冷めてしまった部分があった。
途中、女性のファンの方が「男性の方しゃがんでください!!!顔が見えない!!!少しでいいからしゃがんで!!!!」となんども声を張り上げる場面があったのだ。
ウルフルズ側はスルー。そしてもちろん会場もしゃがむ人は誰もいなかった。その少しの間だけライブを楽しむ熱が冷めてしまった。
ライブの楽しみ方について言及する気は無い。じっくり聴きたい人もいれば、騒ぎたい人もいる。僕は煽られてない場面で隣で歌われるのはとても嫌だけど、歌うのが楽しいという人もいる。日本では静かに聴くものだけど、海外ではバラードでも歓声が上がる。
いろんな人がいるから、ひとつの正解に押し込もうとした時点で歪むに決まっている。ライブマナーや楽しみ方論は語りだせば終わりがない。
今回の論点はそこではなくて、「僕はなぜその時冷めてしまったのだろう」というところなのである。「顔が見たい」という気持ちは僕にもわかる。めっちゃわかる。好きなアーティストの表情がモニターじゃなくて肉眼で観れた時はうれしいし、チケットの席番号も気になる。「顔じゃなくて音楽聴けよ」とは思っていない。
例えばトランプで遊ぶ時間があったとして、大富豪をしたい人も、トランプタワーをしたい人もいていいと思う。「タワー崩れるから静かにして!」とか「タワーとか地味だからやめろよw」なんて大声で言ったらしらけるのではないだろうか。
それぞれできる範囲で自由に楽しんでるのがいいのであって、何かを強制してしまった時点で楽しさはなくなってしまう。
つまり顔がみたいならなんとか前に行くなり、自分のいる場所で見えるように、席が決まってたらモニターをみたり、双眼鏡を持っていくなりして「その場で最大限自分ができる楽しみ方」を見つければいいのだ。
あの時冷めてしまったのは、僕はライブを楽しんでいたのに、誰かの「顔を見たい」に無理やり付き合わされそうになったからなのだろう。
そんなことを書いていたら、自分のことでも反省点が出てきた。
物作りやステージに立つことをしていると、感想をもらえることが大きな力になる。さらに誰かの感想が誰かに届いて、口コミとして広がっていく。
逆にないと必要とされてないのかなと不安になってしまうし、人気ないのかなあと思われてしまう。だから感想を言うことを少し強制してしまっていたかもなあと思い返した。
フォロワーが100人いたらいいねを押してくれるのは1人いればいい方らしい。つまり反応するのは1%、さらに行動まで行く人はその1%の中から数%に絞られる。
自分も含め明らかに「伝えること不足」だとは思うし、伝えることのよさはこれからも伝えていこうと思うし、ルールや「こういうお店にしたい」というような方針は必要だ。でも強制はいかんよなあと反省。
ただ僕は「伝える」をやって、その素敵さを広めていくだけでいい。楽しさを奪っちゃダメだ。
心の弱さが邪魔をして、求めにいってしまいがちだけど、求めるなら素直に「今苦しいからたすけて」って言えばいいんだよな。
楽しみ方は人それぞれ。
当たり前のようでむずかしい。
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この記事は10/9いっぱいの公開です。
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