泣いている人が一番悲しいわけじゃない。
「泣いている人が、常に一番悲しいわけじゃない。」
という言葉を見て確かになあと思わずにはいられなかった。
こころにも防御力や回避力があると思う。
お前はこんなこともできなくて無能だな。
と嫌味な上司に言われたり
あいつキモくない?
とクラスメイトにわざと聞こえるように陰口を言われたり
直接的じゃなくてもふとしたことが引っかかったり
人と人との間には痛みを伴うことがたくさんある。
相手の攻撃力が10だとして、9のダメージを受ける人も、3のダメージを受ける人もいる。つまり防御力が1の人も7の人もいるということだ。
という単純な考え方もできるのだけど僕は「回避力」も存在すると思っている。
防御力は4だけど3避けることができて合計7ダメージ防ぐことができる。
回避力が限りなく0に近い人のことを「不器用」なんて呼ぶのかもしれない。
そしてダメージが3の人と9の人、泣いているのが9の人とは限らないのだ。
「僕の方ががんばってるのに、なんで適当にやってるアイツが評価されるんだ!」ということがあると僕はすごく不満を感じていた。
今考えるとその人は僕と違う努力を確実にしていたと思うし、僕が不満を言ってる間に生産的なことをしていたのだから完全に嫉妬だったのだけど。
事例はさまざまであっても、努力の量と評価は比例しないという現実は確かに存在する。
差をつけているのは「アピール力」だけだったりする。
仕事でとてもいい成果を出したけど誰にも言わずにいる人よりも、ちょっとした成果でも周りの人がそれを知っている人の方が評価されやすい。
そのミュージシャンが大好きでたまらなくて、毎回ライブに足を運んだり、CDを全部買っているけど何も言わない人よりも、
ライブは5回に1回、CDも持っているのは1枚だけど感想やメッセージを伝えてくれる人の方が感謝される。
単純に何も言わなければ伝わらないから。
(インディーズの場合はライブに来てくれた時点で名前がわかることも多いから行動がイコールになったりする。)
周りの人に自分が何をやっているか(思っているか)が見えているか。
評価というのはそういうところに大きく左右される。
ダメージ9でボロボロなのにこらえている人よりも、ダメージ3で泣いている人の方が周りから声をかけてもらえるのだ。
たまにするどい人が気がついてくれたりもするけどなかなかそうはいかない。
防御力が低い人、回避力が低い人、それを鍛えるのもいいのだけどもうひとつ、アピール力を鍛えてみるのはどうだろうか。
ポイントはダメージ3なのに5とか7とか盛らないこと。
盛ったら逆に見放されることになる。
泣いている人が、常に一番悲しいわけじゃない。
でも周りは泣いている人にしか気がつかない。
なら、涙をせき止めている水門を開こう。
これは僕が僕自身にいちばん言っている。
僕のような下手くそな人にも届けばいいなと思いながら。
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素顔をいつも見せれない 仮面もちゃんとつけれない
自分のことに気づけたら 終わりにしようピエロ
素顔で笑ってやろう
後藤大
シンガーソングライター/作曲家/文章書き
自分をみとめてあげられる瞬間が好き。
Twitter https://twitter.com/gotodai0926
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提供曲視聴 https://bit.ly/2EmR6sk
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