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ぼくはバナナを買わない

最初に目に入ったのはおばちゃんの買い物袋に入っていたバナナだった。

ぼくはまず買わないのだけど、このおばちゃんの家庭には日常的にバナナがあるのかもしれない。あたりまえだけど他人の当たり前は全然違って予想がつかない。

スーパーにはいっぱい食材があるけどぼくが見向きもしなかったり、高くて諦めたりするものをいつも買う人がいるからそこに並び続けているのだなあ。


楽曲提供の仕事や、おくりもののうたの企画、読みかけの本、やりかけの勉強、たくさんあってありがたいことに退屈からは程遠い生活をしているのだけれど、結果を急いだり隙間がなくなったりしていつの間にか余裕がなくなっていた。

こういうときは逆に遊んだり「なにもしない」をするのがいいと学んだのでゆっくりと散歩をすることにした。

最初はぼんやり考え事をしながら歩いていたのだけど、人や景色を見ていると自分なりの「おもしろい」がどんどん見えてきて楽しくなってきたのだった。バナナもそのひとつ。

少し写真も撮ったので散歩で思ったことをここに残しておこうと思う。


まだ夏を緑が彩るなかで一足先に秋に向かう葉っぱがいくつかあった。

「みんなと違う」ということが苦しくなることもあるけれど、それだけ目を引くこともできるんだよなと。ビアガーデンでわいわい飲んでいるスーツの人たちにも思ったけど、ひとりひとり違うはずなのに同じような格好をしていたら「その他大勢」に見られてしまうのだなと。

実はもう落ちてしまっている枯れた葉もあったのだけれど、それはそれで魅力を感じなかった。ただ変なことをすればいいのではなくて「みんながいる場所でひとり違う」みたいなことが大事なのかもしれない。

右下に写っている丸いものはなんだろう。巨大な鳩よけ?と遠くから見て思ったので近くで見てみることにした。時間に追われていると「なんだろう」のまま通り過ぎて忘れてしまう。気づきもしないかもしれない。

日本2019と書いてある。ああ、オリンピックの何かかな?

まさかの楕円形。なるほど、ラグビーW杯だからラグビーボールの形だったのか。

同じものでもちょっと角度が違うだけで本当に見え方が違う。


何度かこの道は歩いたことがあるのだけど常夜燈があることも初めて知った。写真では見えにくいけれど実は下の黒いところに文字が彫ってある。ここは昔、港に使われていたよという歴史が書いてあった。

自分が住んでいる場所のことさえもよく知らない。よく知らなくても全然暮らしていける。知ってるといいことがあるわけじゃないけどちょっと嬉しいかもしれない。

暗くなってきた。街灯がUFOみたいだった。

川のそばに円錐が建っていた。避雷針かな?と思って近づいたら

らせん坂道を支えるための塔だった。なんのために坂が終わった後も上に伸びていて、先っぽは尖っているのだろうか。デザインなのか、やっぱり避雷針なのか。何かの意思があるのだろうけどわからないな。わからないのっておもしろいな。

近くで見るとあんなに大きかった塔が少し歩くだけでこんなにちっぽけだ。

ここまできたら意識してないと気がつかない。

僕らが抱えている悩みやコンプレックスもこんなものなのかもしれない。

近くにいるから巨大でどうしようもなく思えるけど、人からしたら大したことなかったり、冷静に客観的に見ようとするだけで少し楽になれるかもしれない。


人が何人か集まってるなと思ったら犬の散歩中の人たちが井戸端会議をしていた。同じ空間で共通点を持った人に会うと人はつながっていくんだなと。好きなものを好きな人に会うと嬉しいよな。

こういうことを考えるのは癖でもあり趣味なのだけど、ほんの1時間ちょっとぶらぶらしただけでこんなに思うことがあるなんて。外はおもしろいことがいっぱいだった。


大学生ぐらいの二人組が投資先の株の話をしながら横切っていった。

穏やかに歩いていると、それよりもおばちゃんは帰ってバナナ食べるのかなあみたいなことの方がキラキラして見えてきた。

一生懸命生きるのもいいのだけれど、あの落ち葉みたいに日常の幸せから離れたところに行ってしまったら疲れてしまうのかもしれないなあ。




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