モノを買うよろこび
コミックを新刊で買ったのはいつぶりだろうか。
記憶が正しければまだ410円で販売していた頃なので、2008年の8月以降は新品で漫画を買っていないことになる。
音楽活動に全ての資金と時間を投入していたので、漫画を買って読む余裕がなかった。2014年に路上ライブツアーをやった時はネカフェに泊まりまくっていたのでその頃はたくさん読んだと思うのだけれど買ってはいない。
そしてどちらかというと続きを待つのが嫌で、できれば完結してから一気に読みたいタイプだ。そうなるともう中古で過去のものが発売されているので、新品を買わずとも安く手に入る。
作品を作る側が作品にお金を払わないのはどうなのかとも考える。正直音楽ももうYouTubeでしか聴かない。「作品」にお金を払うという感覚が僕の中でかなり薄い。
だから僕も自分の作品はもう無料でいいやと思うようになった。音源も無料で公開しているし、ライブ動画も今後は全て公開していく予定だ。ここで自分の作品には料金を支払ってくれと言ったら矛盾だけども。
ただ「人」や「体験」には対価を支払いたいなと思う。漫画や音源自体は買わなくてもその人に会いにいけたり、その人を応援できる何か、思い出の品には参加したいと思う。ライブやトークショーなんかがいい例だ。
だけど3月のライオンを新刊で買った。帰ってから進撃の巨人もKindleで買った。
音楽のせいにして我慢していた好きなもの、つまりゲームや漫画を最近再開したのだけど、それに触れている時が本当に幸せだ。
楽しい、幸せを繰り返す中で漫画は僕の中で「モノ」を超えて「体験」ということを思い出したのだと思う。
繊細な表現、現実ではあり得ないワクワク感、だけどどこか日常とつながっている。そんな世界へ連れて言ってくれる作品はもはや「モノ」ではなくなっている。
思えば音楽もそうだ。学生の頃はCDを買うのが楽しみだった。
何よりライブを見にいくことが好きだった。ライブで好きになったバンドのCDを買うことが幸せだった。
知らない曲を聴くこと、好きなバンドから思い出になるものを買えること、家に買ったものが並んでいることその体験自体に価値を感じていた。
いつからモノと体験が結びつかなくなっていたんだろう。
そう、きっとYouTubeだ。無料で聴ける、見れるというのが当たり前になったことで対価を払うハードルがぐっと上がったのだ。
本気で好きなモノや好きな人が作ったものでないと買わなくなったというのが しっくりくる。星野源さんにハマっていた頃は特典のDVDが見たくて星野源さんだけはCDを買っていたし。
そういう感動が「モノ」自体に宿っていたり生まれると思い出せたことで「新刊を買おう」と思えた。そういうことだろう。
人は対価を払った分だけそれに価値を感じようとする。脳は矛盾を嫌がるのだ。
だから無料で手に入れたものよりも買ったものの方がより多くのものを得ようとする。そして大切になっていく。助けた人を好きになっていくのもそういう理屈だ。
星野源さんにハマったのは「働く人」という本を立ち読みしたのがきっかけで、考え方に共感して途中で立ち読みをやめて買って家で夢中で読んだ。
そこからYouTubeで曲を聴いてハマり、特典DVDが欲しくなりCDを買った。
モノは感動とつながっている。
だけど技術の進化により対価を払うハードルが上がった。その影響で価値を見つけることがむずかしくなった。価値を感じないともちろん手に届かない。
でも僕が立ち読みをしたり、ネカフェで読んで好きになり、新刊を買ったように「きっかけ」を作れる場所はものすごく増えている。
これから僕が活動で目指すものはきっかけづくりをしっかりやることと、触れてくれる人が「モノと感動のつながり」を忘れない、もしくは思い出せるような発疹をしていくことかもしれない。
発疹ってなんや。ぶつぶつか。
発信。
新刊で買った3月のライオンと進撃の巨人は本当に面白かったし、気に入ったページを読み返した。
つくり手でありながら「モノに対価を払いたくない」という感覚を知って、それを超えて「モノに対価を払いたい」気持ちを思い出せた経験は大きい。
自分が対価を払ってもいいと思えるものしか本気で売れないから。
さあ、やっていこう。
読んでくれてありがとうございます:-D
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