見出し画像

家族の団欒

「家庭の団欒」というものが分からないのかもしれない。

今日はバンドライブの時にギターサポートをしてくれている樺山くんの別サポート現場を観に行ってきた。休止中の「ロックバンドおかん」のギタリストYOUさんのワンマンライブだ。

ワンマンと言いつつオープニングアクト13組という大パーティーだったのだけど、よく見てみれば知り合いのミュージシャンが5人も6人もいた。「え、この人もこの中にいるんや」と驚いた。

「この中」という表現をしたのには理由がある。

YOUさんは「おかん」というバンドのメンバーだ。もちろんソロはおかんとは全く別物なのだけど次々と出てくる共演者の表情、関係者に感謝を伝える場面、そしてお客さんを見ていると、この人は「おかんじゃなくなっても家族を作っているんだな」と感じた。

音楽仲間、お客さん、関係者というよりもみんなで大家族のようで、それを見ているとあたたかさが伝わってきた。同時に寂しさが胸の奥からにじみ出てくるのがわかった。


僕とおかんとばあちゃん。実家では3人暮らしだった。そしておかんもばあちゃんもどこか孤独な人だった。

家族ではあるのだけど基本的にはそれぞれの部屋で自分のスペースを守りながら生活していて、おはようやおやすみといった挨拶も特にない家庭だった。

とは言っても仲が悪いわけではなくて他愛もない話はするし、互いを大切に思っているのは確かだ。

ただ「団欒」というものが家にはなかった。

辛いことや悩み事があった時に家族に相談できる家庭はとてもいいなと思う。家はだれも心に抱えているものを互いに話さなかった。ばあちゃんは分からないけどおかんは酒に、僕はゲームや漫画や音楽に居場所を作っていた。

家族の団欒というのは「安心して帰ってこれる場所」なんだと思う。


そんなことを考えていたらYOUさんから障害で子どもの頃学校などでいじめにあっていたというMCがあった。

ちょっと難しい名前だったので思い出せないのだけど鼻が曲がっていてサ行とタ行がうまく発音できなかったみたいだ。

だけど家に帰ればお父さんとお母さんがいた。何も言わず抱きしめてくれた。そう言っていた。

幼少期、思春期に「安心して帰ってこれる場所がある」そしてそれが「人である」というのは心にものすごい影響を与えるんじゃないだろうか。

やっぱり家族にその場所があったんだなあと偶然かもしれないけれど繋がった。


僕はまだ人に安心できる場所を見つけきれていない。少しずつよくなってきているとは思うのだけどやっぱりわからない。「できない」というよりも「わからない」が近い。

「結婚してもいい」とは思っていても「結婚したい」と思ったことがないし、子どもが欲しいとも思わないのもわからないせいなのかもしれない。

だから目の前の大家族の団欒を見ながら、僕はずっとこういうものが心のともしびとして欲しかったんだろうなとわかって涙が出そうになった。伝わってくるあたたかさと、やっぱりこの輪っかがちょっと苦手だという寂しさとが混ざり合って。


家族のせいで僕は寂しいままなんだ。なんて人のせいにするつもりはない。

淡々とそういう事実によってこういう性格になったことを知って、ここからどう生きるかはこれからの僕が決めていけばいいことなのだ。

羨ましく思える団欒を目指していくのか、それとも孤独だからこそ見つけられるつながりを見つけ出していくのか、僕にはどれが合っているんだろうか。

まだ見えない。

確かなのは僕は家族の団欒をずっと欲しいと思っていること。そして孤独な人を孤独なままで置き去りにしない輪っか、もしくは集合場所を用意できるなにかを成したいこと。

そんなことを考えるきっかけになったライブだった。いつか答えは見つかるだろうか。



読んでくれてありがとうございます:-D

ここから先は「日記」や「話の元になった本やできごと」などちょっとしたおまけを書いています。


ここから先は

624字
・毎日更新noteのおまけ部分 ・ツイキャス配信の有料枠 &録画 ・お悩み回答コーナー が見れます。

・毎日更新noteのおまけ部分 ・ツイキャス配信の有料枠 &録画 ・お悩み回答コーナー が見れます。

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

よかったら投げ銭感覚でサポートお願いします:-)