説教をしたくない。

成人式にはいかなかった。

と言えば「ちょっと違う自分」なるものを演出できたのかもしれないが、現実は行くつもりでいたけど当日朝起きるのが苦手すぎて起きたら普通に間に合わない時間で「もういいや」と行くのをやめただけである。

行けばよかった気持ちも、行かなかった後悔もなく、成人の日は特に思い入れのない1日としてSNSで誰かのつぶやきを見て思い出す。

昨日、20歳の自分と31歳の自分を比べて新成人の皆さんへ激励の言葉をツイートし、すぐに消した。見返したらメッセージのふりをした自分語りのように見えてきたのだ。


説教じみたことをしたくないと思っている。

説教をするときは相手の価値観をないがしろにし、自分の経験論に縛られたマインドになっているからだ。

年長者の経験は確かにいい参考資料の一つになるけれど、下の世代の人すべてにそれが当てはまることはない。下の世代どころか私以外私じゃない。


だから今日、あらためてツイートをし直した。

あの頃の自分が考えていたこと、それに対して今思うことをただ書いた。そしてただ思いに沿って「おめでとう」と言った。

おばあちゃんが孫に食べ切れない量のごはんを食べさせるようなメッセージではなくて、「昔はお腹いっぱい食べれなかったから、食べてほしくてつい作りすぎてしまうわ、ははは」みたいに、こういう思いでこうしているよと伝えるぐらいがちょうどいいのかもしれない。

「なるほど」はいつも相手の中から出てくるもので、こちらからは作れないのだ。説得と納得は違う。説教は説得のためのもの。

自分の、誰かの、「なるほど」を引き出せる伝え方をできるようになりたいなあ。


読んでくれてありがとうございます:-D

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