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餃子と手羽先 on the earth

クリーニングに出した布団を引き取りに行こうと家を出てエレベーターを降りた瞬間に目を疑った。餃子と手羽先が落ちていたのだ。そんなことあるかいな。枯葉に違いないとまじまじと見てみるのだけどじっくり見ても枯葉なのか本当に餃子、手羽先なのかわからない。顔を近づけてさらによく見てやっと枯葉だと判別できたのである。

餃子or手羽先onlyだったら惑わされることもなかったのかもしれないのだけど、ダブルで食べ物に擬態しているとなると話は別だ。こんな条件が2つ以上重なることなどそうそうないだろう。

近所のスーパーがジャガイモと人参と玉ねぎを安売りしていてあからさまに「カレー作れ」というメッセージを訴えかけてくるように神様が僕に「今夜は中華を食え」とメッセージを送っているパターン。中華がラッキーアイテムだったのだろうか。手羽先が中華に含まれるかは謎だ。


人の話を聞かずに勝手に判断してしまうことがある。

日勤と夜勤に分かれている仕事をしていたときのこと。いつも朝オープン作業をしているとあからさまに毎回清掃していない箇所があった。一度や二度ならまだしも毎回きれいになっていないので忘れているわけではないらしい。

そういう場所が何箇所かあって、つい勝手に「あいつは仕事をちゃんとしていない」というイメージを持ってしまった。だけどよく見てみるとトイレ掃除はちゃんとやっていて「あれ?」と思ったのをきっかけに「もしかしたらちゃんとやってるけどあの部分だけ頭に入ってないんじゃないか?」という考えが浮かんできたのだ。

その日「毎回あの部分が掃除できてないけど何か理由あったりする〜?」とできるだけ柔らかめの口調でラインを送ったら、「すみません!そこやるの頭になかったです!」と返事が返ってきた。

頭ごなしに「やっていない」と決めつけた自分が恥ずかしくなって反省した。


実際のところ本当に忘れていたのかサボっていたのかはわからない。でもそこで疑い始めたらきりがないし、信じることに決めておいた方が僕の心が晴れやかなのだ。

騙されないように生きたら物理的に損はしないかもしれないけど心が削れていく。本当に信頼すべき場面で「こいつはいざとなったら命綱を放すんじゃないか」なんて思ってしまうのは嫌だなあと思う。疑うってしんどいしつまらないんだ。

結果その後からその部分もやって帰ってくれるようになって、ありがとうでこの話は終わりなのだけど、さっきの枯葉のようにいくつか条件が重なると錯覚を起こしたり信じ込みやすくなってしまう。決めつけはたまに当たることはあるけど大概は外れるものだ。本当のことはよく見たり話をしないとわからない。

相手のことをわかった気になる危なさ。それを考えるとやり直したい過去がいっぱいあるなあ。

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読んでくれてありがとうございます:-D

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