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尊敬できる話しかけやすいギャル

編曲のご依頼の参考曲で西野カナさんのトリセツが送られてきた。すると繰り返し聴いていても全然疲れないのだ。

これはすごいことだと思う。どんなにいいアーティストでも何回も何回も聴けば飽きたり疲れてしまうものだからだ。

これは音圧的な話とは別で、気持ちが疲れないという観点。


少し前話題になったけれど西野カナさんの作詞のしかたは知人友人の話を聞いてそれを歌詞にするというものだった。

共感すること、しないこと、どちらもある上で他人のことを歌っている。ちなみに僕だったら共感できないものは出来るだけはぶく。共感できないことは距離感ができすぎるからだ。彼女もそうだとしたら自分のことでもあるかもしれない。

マーケティング的な視点で「そりゃたくさんの人の心つかむわ」と言っていた人もいるけれど、きっとそれだけでは心はつかめなかったと僕は思う。

西野カナさんの歌を聴いていて疲れなかったり、共感する人が多い理由は圧倒的な「エゴのなさ」にあると推測する。

ポップスにおいての歌を「教祖型」と「共感型」に分けるとして、西野カナさんは超共感型なのだ。

話を聞いてほしいときに途中で持論を被せてくる人がいる。ひどいときには説教をする人もいる。そしてかなりの人が他人の話を聞かずに自分の話をしたがるものだ。先輩後輩がいりまじるバンドの打ち上げなんて3割ぐらいお説k

共感する歌というのは「話を聞いてくれる人」のようなもので、そこに「自分の考えを話してやろう」なんて気持ちが混じっていたら話す側は気持ちよくない。

そういう視点でとんでもないボーカリストだなと思った。しかもそこに程よい親近感みたいなものがある。いい意味でただのギャル。Youtuber的と言ってもいいかもしれない。遠い存在なのだけど友達にいそうで、しかも尊敬できる感じ。

スピッツの草野マサムネさんも全然エゴがないのだけどやはりどこかアーティスティックな空気がある。

「話を聞いてくれるめっちゃ尊敬できる声をかけやすい友達のギャル」という像がずっと歌を聴いていて見えた。

トリセツなんて顎が入るとほんとうに押し付けがましい歌になってしまう。

それをあんなに他人事で、なのに放り出してもいないちょうどいい距離感で歌えることがほんとうにすごいなと思った。

これが分かるようになったということは、僕も成長できたということなのかもしれないけど、分かるとできるは別物。これができる技術も身につけねばいけない。

そうなんだよなあ、単純に歌もうまいんだよな西野カナさん。

いい歌を歌う人というのは教祖であれ共感であれ「あの人に話を聞いてもらいたい」と思われる人なのかもな。

本気で貫いている人、大きな器で受け入れてくれる人、もしくは我関せずで勝手に思いを置いていってくれる人とかもそういう存在なのかもしれない。


読んでくれてありがとうございます:-D

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