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心や頭の余白を少し意識的に持ってみる

どうもこんにちは、ごとぅーです。
突然ですが、最近どうも息苦しかったりしませんか?
息苦しいと言っても、肉体的ではなく、精神的に、です。

結構いろいろなことをセーブしなきゃいけない状況のなかで、
私だけでなく、周りも少しずつ、だけど確実に、息苦しさなのか歪みが出始めてるように思ったわけです。
なんか心身のバランスが取れていない不安定な感じですね。
「自粛警察」とかはいい例かな、と思います。

歪みを感じたきっかけのニュース

先日、こう言った記事を見かけました。『「コロナ不況」で真っ先にリストラされる人の条件』というタイトルの記事で、要はオンラインの仕事で存在感を出せなかった人(や価値を出せなかった人)はリストラされるよね、という内容なんです。が、ふと思ったのは、わざわざネガティブに捉えるのかなぁ、ということなんですね。
まずリストラされることなんて希望する人なんて特にこのご時世いやしないですよね。そして見方変えたら、オフラインだったらこの記事で書かれるような上司だったりも評価されて昇進したわけで、それをオンラインでどう活かすか?という方が有用に思ったりするわけです。

オンラインイベントにて

例えば、こんな経験ないですかね?
オンラインでのイベントに参加したときに、グループごとの議論途中で時間が無くなってしまい、強制的に終わってしまった・・・・。
そう、もしオフラインイベントで同じ状況だったら「みんな話し足りなさそうなので5分だけ伸ばします」みたいな。
オンラインでグループ分けしてしまうと、空間自体は1つではないので、ファシリテーターの方も複数のグループの状況を物理的になかなかカバーできなくなるんです。
結果的に参加者に対してばっさり切られてしまった感じを与えてしまうことも。そう、ファシリテーターの方にとっても余白が小さいんですね。
タイムスケジュールの柔軟性がどうしても持ちにくい。

合理化•効率化の陰で

今まで書いてきた以外にもいろいろな息詰まりを感じる事象が増えていると個人的に思います。
ちょっとだけ深堀すると、その要因としては前面に出すぎた「合理化」「効率化」「べき論」なのではないか、と考えます。
確かに合理的だったり、効率的だったりしたときに、その分時間を作ってほかのことができたりするので、私自身も合理的であろうと思ってはいます。が、この考え方が「べき論」となってしまい、押し付けられているように感じることが少なくありません。

心と頭に余裕を意識的に持つ

だからこそ私は意識的にこう考えます。

無駄なことがあってもいいじゃない。
遠回りしてもいいじゃない。

意外と当人からすると遠回りすることで得られることもたくさんあると思います。
そう考えると実際は無駄なことなんてないかもしれません。
ここまで書いていまさら「雑談のススメ」なんて書いたことも思い出しましたし。

この記事をきっかけに他人にも自分にもほんの少しだけでも優しくできるようになって行けたらいいなと思います!

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