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他責の前にまず自責から~「してくれない思想」から卒業しよう

みなさま、こんにちは。
ごとぅーです。
どこで聞いたかはちょっと思い出せないのですが、この間ディスカッションか何かのなかで「他人を動かす」というワードが出てきました。
私的にはこのワードそのものに違和感を感じたんですね。それは、自分の思い通りになっていないときに「(自分の思い通りに)してくれない」という他責思考になりがちに感じたからなんです。
そこで今回は
 「(自分の思い通りに)してくれない
という考え方について、考えてみようと思います。

意外と考えがち「~~してくれない」という他責

仕事やプライベートで他のメンバーが自分にとって期待したアクションをしていない、といったことは常日頃から起きていると思います。
その時につい
 「Aさんがxxしてくれないんだよね~」
なんて考えてしまうことありませんか?
実際Aさんがxxしていないかもしれないし、実はxxしているかもしれない。
ただ、この思考そのものがとても楽なんですよね、自分の責任はないと考えている点が。つまり、
 私は完璧だ!私のせいではない。」という考え
をしているように映りかねない点がよろしくないのではないかと思います。
果たしてこの考えは真実なのでしょうか・・・・?
例えば、あなたが
 「小鳥遊さんが申込書類を作ってくれない!」
と思ったとして、ちょっと深堀してみましょう。
※ちなみに全然本題と関係ありませんが、
 「小鳥遊さん」は (たかなし) さんと読むそうです・・笑

相手の方はそもそも認識はあるのか?

まず最初に
 「小鳥遊さんが申込書類を作ってくれない!」
と思う前に、小鳥遊さんはそもそも書類を作らなければいけない認識があるのでしょうか?
大前提として、あなたは小鳥遊さんにお願いしたんでしょうか?
もし、そもそもお願いしていなかったら、小鳥遊さんが書類を作るわけはないですよね。。

相手の方との認識も合っているのか?

次に小鳥遊さんに書類を作ってもらうようにお願いしていたとして、それが
 申込書類であることを正しく伝わっている
のでしょうか?
そして伝えそびえていたら、小鳥遊さんが「申込書類」を作らないですよね。。
「申込書類」を作っていたら完全にそれはたまたまです。なぜなら伝わっていないんですから。。

自責を意識するだけでより穏やかになるアプローチ

ここまでで言いたかったのは
 「私は完璧だ!私は悪くない。」
 
(自分の思い通りに)してくれない」という考えをしなければ、もう少し他人に対して優しくなれる、ということです。
さっきの例を用いて具体的に表現すると、
 ・相手の方はそもそも認識はあるのか?
   →小鳥遊さんに書類作ってってお願いした認識だけど合ってる?
 ・相手の方との認識も合っているのか?
   →頼んだ書類「申込書類」なんだけど認識合ってる?
といった確認の仕方になります(もちろん他の表現はありますね)。
上に書いたような聞き方をすること、もし小鳥遊さんが書類を作成することを忘れてたとしても、
 「忘れてた!ごめんなさい!」
といいやすくなる気がしませんか・・・?
そう相手を追求することが目的ではなく、ちゃんとお願いして、お願いしたことをきちんとやってもらうことが目的なのだから。

このような状況だからこそ。

今回のコミュニケーションスタイルもはっきり言って、回りくどいしめんどくさいと(実は私も)思います。
ただ、コロナウイルス以降、オンラインでのコミュニケーションが主流・(ひょっとしたら)全盛になり、より意思疎通のすれ違いは起きやすくなっていると感じます。
すれ違いが起きることが悪いのではなく、すれ違いは起きるもの、自分の思いが正しく伝えられているとは限らない、そう思って会話すると摩擦は減らせると思いますね。
摩擦が少しでも起きにくい日常になってほしいですね!


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