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ドサクサ日記 6/20-26 2022

20日。
聞く時間を十分に確保できないのに、レコードを買うことがやめられない。音だけで言えば、ハイレゾ音源を買ったほうがいいだろう。しかし、レコードには物理的な音が刻まれている。そこに物語を感じる。音の温かみみたいなことではなく、多くの人の手がかかっていることへの愛着。1000年後に音源データがサルベージされる可能性は低いが、レコードなら謎の物体として発掘されるかもしれない。

21日。
横浜でのライブはいつだって感慨深い。何しろ青春時代から最近までほっつき歩いていた町だ。一部の地域に限っては、最近も、と言える。はじめて家系ラーメンを食べた時にはとても驚いた。麺食文化が浸透してなかった田舎町の出身の俺にとっては、こんなに美味しいラーメンがあるのかという衝撃だった。最近はあまり食べなくなった。若い頃は鶏油の海に浸かりたいとすら思っていたのだけれども。

22日。
「レコードやCDを買うほど好きじゃないが聞いてみたい」とか、「数千円する録音物を購入する可処分所得がないけど好き」とか、そういう音楽欲を配信サービスが受け止めていると思う。CD世代から「泥棒」のような言われ方をしているところを時折見かけるが、そこまで悪者なのかとも思う。本来は、持っている人たちが積極的に文化を支援して、そこで生まれた作品を多くの人が享受できるような社会が理想だろう。確かに音楽配信会社は、CEOに武器商人たちの株式へ投資するほどの報酬を支払うのではなく、文化の枝葉に利益を再分配するべきだ。音楽家たちの選択はそれぞれで良いと思うが、作品とメディアについては慎重に考えたい。現在の仕組みのなかでは音楽を楽しむ経済的余力のない人たちにも、どうにか音楽を楽しむ方法があってほしい。社会のあり方も含めて、考えないといけないけれど。

23日。
人生初の内視鏡検査。寝ている間に終わっていた。親にも恋人にも見せたことのない内臓。でもなんというか、プライベートゾーンであるという自覚がない。自分でも見たことがないから、所有している感覚がないのかもしれない。尻丸出しで街中を歩くのは恥ずかしい。しかし、内臓丸出しは恥ずかしくない。むしろ想像すると恐ろしい。内臓はチラっと見えるだけでも怖い。とても不思議なことだと思う。

24日。
小田嶋隆さんが亡くなった。一度、ミシマ社の企画で対談させてもらった。「文章を書く上でやってはいけないこと(文章スクールで教えるような)をやり続けていて素晴らしい」みたいな、角度の違う褒め言葉をいただいてとても嬉しかった。対談の後の食事の席もとても楽しかった。『上を向いてアルコール』を読む前だったから、僕はその席で飲酒をした。事情を知らなかったとはいえ、申し訳ないことをしたと思う。この本はとても素晴らしい本で感銘を受けた。自身がアルコール依存症であることを認め克服する話だ。自尊心を保ったまま、受け入れることの難しさと大切さ。この本でどれだけの人が救われたか。僕もそのひとりだと思う。鋭い切れ味のコラムはとても面白かった。面白いだけでなく、なんだかザワザワとさせられる回もあった。Tweetも然り。彼の死後の幸福を祈る。どうか、安らかに。

25日。
病院で鎮静剤を用いた検査・治療を受けたときのことを思い返す。眠るようにブラックアウトして、気がつくと病室だった。目が覚めたからこうして画面に向かってタイピングしているわけだけれど、意識が戻らなければ、それは即ち「死」なのだろう。わたしたちは死んだとき、死んだことに気がつかないのではないかと妄想する。眠るように全てがなくなるのかも。レスト・イン・ピースという言葉を思う。

26日。
好きな食べ物は饂飩です。そう書くとなんとなく、間抜けな感じがしなくもないが、好きなのだから仕方がない。普段は、正直に言えば饂飩より出汁を楽しんでいるところがあると思う。キッチンが破滅的になっている昼時のチェーン店でも、出汁は裏切らない。高松に来ると麺まで美味い。確実に美味い。なんということだ。着いた夕に2玉食べ、夜中に釜玉ラーメンを食べて、朝方1玉食べた。最高。