見出し画像

ドサクサ日記 8/1-7 2022

1日。
昼間にノンアルコールビールを飲む。はっきり言ってビールとは別物で、一片のやましさもない「清涼飲料水」と呼んでいい飲み物なのだけれど、すべての後ろめたさを拭い切れない。それは、飲み手が内心では「ビールを飲みたい」と思っているからで、そうしたビールへの欲望を内包した飲み物でもある。ゆえに、職場で飲むと白い目で見られ、車を運転しながら飲むと呼び止められる可能性が高い。

2日。
強面の爺さんが薬局で牛乳石鹸を買っていて、なんだか和んだ。しかし、強面というのはこちらの勝手な偏見であって、爺さんの性格など接してみなければわからない。と同じように、牛乳石鹸を常用しているからといって、牛乳石鹸の優しい香りのように優しい人間だとは言えない。人間というのは複雑だ。「ギャップ萌え」みたいな話も、単純さの前に立ち止まった失礼な話でしかないとも言える。

3日。
スタジオでラップの録音。ラッパーではないので、ラップをすることに対して少しの照れがある。それは自分のフロウというものを確立していないからでもある。また、20年以上に渡ってHIP HOPを日本に浸透させようとしてきた人たちへの遠慮と尊敬もある。手探りでもスタートラインに立つ。小学生のキャンプの出し物で録音した自分の声を聞いたとき、「武田鉄矢みたいな声で恥ずかしいな」と思った。音楽をはじめて、自分の楽曲に自信を持つようになってからは、デモ音源の声に対する気恥ずかしさがなくなった。とても不思議だけれど、こうした照れや気恥ずかしさをなくしてからが、表現としてのスタートだと思う。端的に言えば、表現をする人としない人の差はそれでしかない。恥ずかし気もなく行えるかどうか。繰り返し歌って練り上げる。自分なりのやり方を見つけるのが、尊敬の表出でもある。

4日。
食に対する飽くなき欲求を動画サイトなどで観るにつけ、わーそしたら今夜は欲望のままに大食いしたいわぁ、とか思うのだけれども、その反面、グルメっていうのは行き過ぎると下品なのではないかとも思う。雌の子牛のほうが美味い、と山岡士郎を叱る海原雄山。複数の鍋で鶏や豚の骨をドロドロになるまで煮込む職人。どちらもある一面では美であり、醜でもある。結局、蒸した野菜をポン酢で食べた。

5日。
千葉のスタジオでシングルのマスタリング。通信網の発達によって、NYだろうがLAだろうが、音源ファイルの共有が簡単になった。ゆえに、マスタリングに立ち会うという機会も減った。オンラインでも素晴らしい作品はできる。しかし、エンジニアがどういう環境で作業をしているのかを見学することには、とても大きな意味と学びがある。ヘッドホンで聞くアトモスフィアとは別の立体感がある。

6日。
荒井裕樹さんの『凛として灯る』を読み終えた。障害者運動とフェミニズムの軋轢をつなぐ米津和子さんの人生。社会的に優位な立場(マジョリティ)に居る俺の眼前に迫る切実な問い。引き裂かれ、困惑する。例えば、「男性であるがゆえの加害性」の前であたふたする。とても苦しいが、そこからしか始まらない。そこで自分が切り付けられたのだと被害者のような気持ちになるのではなく、連綿と悩み苦しんできた人たちへのエンパシーを育みたい。マイノリティの告発を責任放棄のような態度と言葉で打ち返すのではなく、戸惑いながら、彼らの最後列に並んで目を凝らすこと。当然ながら、同じ景色を見れるだなんていうのは思い上がりで、他者に対する想像力の限界を覚悟する以外にない。それでも、俺たち(私たち)が変わらなければ、社会はいつまでも変わらないことだけは事実だろう。

 こういう子なら産みたいが、こういう子なら産みたくない。
 こういう子どもなら産んで欲しいが、こういう子どもは産んでほしくない。
 こういう人なら産んでもよいが、こういう人は産むべきでない。
 こうしたことは誰が決めるのか。
 誰にその権限があるのか。
 そもそも誰かが決めてよいことなのか。
 誰かはここに居ていいけれど、誰かはここに居るべきではない。
 誰かの存在は祝福できるけれど、誰かの存在は祝福できない。
 あなたはこの世界に居てもいいけれど、あなたはこの世界に居るべきではない。
 そんなことに線引きなどできるのか、してよいのか。

 一九七〇年代以降、半世紀にわたって、知子はこうした「性と生殖の尊厳」を問う現場に立ち続けてきた。

荒井裕樹『凛として灯る』P217

7日。
三島で子どもたちのためと銘打たれたフェスに出演。藤巻君に久々に会った。レミオロメンの曲の弾き語りがどれも良かった。子どもたちと演奏した「3月9日」では、カスタネットの子は破滅的なタイミングで両手を合わせ、もう一人のこは曲とは関係のないターンをキメまくり、ピアニカのふたりは一音も発音していないように見えた。藤巻君は笑顔だった。掛け値無しに最高の時間だったと思う。俺の出番は3部の最後だった。セットリストを教えてほしいと事前にPAの方から尋ねられていたが、何を演奏するかが決まらずに、「ソラニンと荒野を歩けはやります」と伝えてあった。裏方用の資料には「高野を歩け」と記載されていた。空海の歌だろうか。「やる可能性が高い曲」というリストの中には「迷子犬と雨のビール」という曲を見つけた。楽屋には「演者スタッフの飲酒絶対禁止」という張り紙。