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ドサクサ日記 11/28-12/4 2022

28日。
ハングオーバー。地を這うように午前中を過ごした。もうお酒なんて飲まない。毎度、地獄のような体調と自己嫌悪を煮詰めたような心持ちで誓うのだけど、夕方くらいになるとなんだかシュワシュワとした気分になってきて、「言わないよ絶対〜」と歌いながらコンビニでビールを買って飲んでしまう。本当に懲りない。脳のパフォーマンスを考えると、50歳くらいには飲酒をやめたいが、無理だろう。

29日。
昼から某音源の構想についてじっくりと話をした。どんな作品になるかは音を出してみないとわからない。素敵な仕事にしたい。そのあとはアジカンの新曲のレコーディング。自分のパートを他人が考えてしまうと、なんだか居場所を奪われたような気分になる。こういう性質が実はバンドの肝で、それぞれに自分のパートに誇りを持ってバンドに参加している。作曲も編曲も、全員で行っている証。

30日。
レコーディング。スタジオ入りの前に食べた建さんおすすめの横浜家系ラーメンがとても美味しく、レコーディングの帰りに食べたケニア料理も大変に美味しかった。外食のセレクトに失敗しなかった日は気分がいい。こう書くと、自分がかなり食い意地の張った人間に思えてくる。でも、やっぱり美味しいものを食べられた日はなんだか身体が軽くなって、気持ちがすっきりするのだから仕方ない。

12月1日。
都内で打ち合わせ諸々。音楽関係ではない会社を訪問すると、社会人としての自分の異物感に驚いてしまう。サラリーマンの経験があるのが救いで、まったく未体験の空間というわけではない。しかし現在は職業柄、名刺を所持しておらず、名刺交換の場面ではひどく浮いているような気分になる。というか逐一、ある種のビジネスマナーを踏み越えた奇矯な振る舞いをしてしまっていないかと不安になる。

2日。
早朝からサッカーの試合を観て眠い。全員が地元に戻ったら「10年にひとり」という超人的な存在だと思うが、三笘選手と冨安選手は段違いにすごいなと感じた。選手も監督もスタッフも、それぞれの人生のために頑張ってほしい。夕方くらいに、D2021とソロの新曲をBandcampにアップした。D2021は古川日出男さんを中心とした朗読セッション、ソロの新曲はApple Vinegarのポッドキャスト用に作ったインストに、軽はずみなメロディと歌を追加したものだ。ソロのほうは実験的に、クリエイティブコモンズの範囲内でステムファイルを自由に使える仕組みにした。簡単に書くと、買ったファイルをGarageBandのような音楽編集ソフトで開いて並べると、そっくり原曲のすべてのパートが並ぶことになる。エフェクトなどは基本的に抜いておいたので、好き勝手にミックスし直して何にでも使ってほしい。

3日。
「軽い男じゃないのよ」という映画をNetflixで見た。2018年のフランスの映画。男女が入れ替わる映画はどこにでもあるが、いくつものユーモラスなシーンで浮き彫りになる性差のどれもが、目にも耳にも脳にも痛かった。が、説教をされた気分になるのではなく、マジョリティである自分の無神経さや無自覚な様がすんなりと恥ずかしく後ろめたいと思える作品だった。オジサンと名誉男性ばかりが出世する世の中のままでいいのか、真剣に取り組む必要がある。「今さら遅いよ」と叱られるのは仕方のないことだと思う。けれども、できることを放棄するわけにはいかない。これまでの暮らしぶりのなかで積み上げてきてしまったこともある。「男らしさ」に回収されまくってきた人生をどう変えていけるか。映画や小説は、こうしてそれぞれの生き方から社会を揺さぶることができるところが凄いと思う。

4日。
ワールドカップに煽られるナショナリズム。立派なスタジアムも、過酷な労働と、労働者の死によって成り立っていると思うと胸が痛む。サッカーは面白い。興奮もする。けれども、何かを成し遂げたとして、それが祝日に指定されるのもなんだかなと思う。自分を育んだ文化には愛着がある。言葉にも。代表チームに便乗してガッツポーズをした後で、どこか後ろめたい。そういう気持ちをずっと揉んでる。