見出し画像

ドサクサ日記 5/8-14 2023

8日。
瞬間的な知性や愚かさについて考える。文脈を除いてしまえば、どんな言葉も玉にも石にもなり得る。そういう意味の取り出し方は、言葉ならではのものだけれど、実際には人間も表現も社会も、もっと複雑なものだと思う。自分の言葉や表現が、時間の経過のなかでどんな意味や役割を持つのか、それを考えている。瞬間的な何かに反射的に立ち向かわず、じっくり構えること。自分に言い聞かせる毎日。

9日。
虚栄心みたいなものに囚われると、書いてるものややってることがグスグズになってしまう、みたいなことを町田康さんが話していて、とても面白かった。一心不乱に掃除をするとき、掃除をする格好とか気にせんやろ、と言われると確かにそうで、自分がそうだとすると心底恥ずかしいが、多かれ少なかれ己の中にそうした虚栄心がないわけでもない。部屋が綺麗になるなら汚れても構わないというような服装や姿勢で清掃に挑む、というようなシンプルな態度を忘れないようにしたい。思えば、ステージに立つのも辛かった2000年代の真ん中は、誰かの日常を救えるのではないかという思い込みがあったと思う。そういう力は二次的なもので、まずは自分が表現の前で脱力するように自由になってみせること、それしかないなと気がついてからは、ステージに立つのが楽になった。自分自身が、このステージや、自分の作った音楽に心の底から没頭すること。それでアホだの格好悪いだの言われるのは、世界と1対1で決別するような清らかさがある。ただ、シンプルに、この感情とか言葉にできない何かが、伝わる人たち、受け止めてくれる人たち、そこから新しい何かを創る人たちがいると、俺は信じている。ああ、楽になったのは、目の前の観客やまだ出会っていないリスナーを信じたからなんだなと気がつく。

10日。
友人のバンドのギター録音。むちゃんこ楽しい。それ以外の言葉がない。むきょきょきょほげらぶへらほろほろへっぽけぴー、というような奇声を発しながら全裸で熱くも温くもなくちょうど極楽と言える温度の温泉に飛び込み、しばらく雪景色を見た後で部屋に戻り、キンキンに冷えた生ビールを飲む、ということとはまったく違った角度で、同じくらい最高の体験だと思う。毎日これだけしてたいわ案件。

11日。
鎌倉で撮影。稲村ヶ崎から腰越くらいまでの海沿いの景色は最高で、この丘の上に家があったら最高だなと何度も思う。俺はつくづく、海沿いの町が好きなんだなと思う。思えば、ずっと海を意識して生きている。太陽が通る側に海がある、と静岡に住んでいるときは当たり前のように感じていた。立川に住んていたときは、どの方角にも海の気配がなくて、とても不思議な感じがした。江ノ電沿いに住みたい。

12日。
静岡へ。昨年から続いている石の蔵の件について、不動産屋との交渉。お金の話はシビアで、考えると胃がキリキリする。それぞれの事情がそれぞれにある。俺にも俺の事情がある。「こういうのは縁です」という言葉を、どう考えるのか。自分が人生を賭けて背負うべきことなのか、お金の使い道として、もっと世のためになる方法があるのか。役割なのか、思い上がりなのか、冷静に自己を分析したい。

13日。
元小結の臥牙丸がやっているガガちゃんねるの白鵬のインタビューがとても面白かった。引退前は悪役のように書かれることが多かったけれど、やはりものすごく考えて相撲に取り組んでいたんだということが、その言葉から感じられて嬉しかった。宮城の部屋からは、きっと素晴らしい力士が育つのだろう。なんだかワクワクする。このような動画を作ってくれた臥牙丸にも感謝して、チャンネル登録した。

14日。
FUJI&SUNに出演。都市型のフェスのように高度にデザインされているわけではないが、それがなんとも良かった。雨のなか集まった観客たちは、観客というよりも最早仲間といった印象で、我々もまったく強ばることなく、朗らかに演奏することができたと思う。久々に三船君とYou to Youを演奏できたのも良かった。西池さん、マヒト、岡田拓郎、寺尾紗穂さんにも会えて嬉しかった。静岡の飯がうまい。