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ドサクサ日記

18日。
久々に丸亀製麺に行き、鴨ねぎ饂飩を食べた。毎年、どうやってこれだけ大量の鴨肉を調達しているのか疑問というか、鴨の立場に立って不安な気持ちになっていた。まあ、食べる時にはすっかり人間の立場に戻っているのだけれども。今年の鴨肉は気のせいかもしれないが、ハム感が高いような感じがした。以前にはない香りがする。ちょっと旨味が強いというか、肉も妙に柔らかいと思った。

19日。
インドの学生といろいろ英語でディスカッションした。語学が堪能ではないので、外国語で話すときには言語的に手足をしばられているような状態になる。まずもって語彙がない。ゆえに、普段から自分が常に考えていることをシンプルに伝えるほかない。こういう場合、即興的に内容が膨らんだりしない。表層と底の部分、皮と骨の髄みたいなところが直結してしまう。生き方みたいに接している哲学的なところを、普段から育てていないとダメだなと痛感。それは身体化と呼ぶべきことなんだと思う。考えてきたことを説明したり、人に伝えたりするのはとても難しい。特に教える側に立ったとき、その難しさが膨れ上がるような気がする。ペロッとネットの情報を読んで自分のものになったような顔をしても、身体がついてこない。というか、生き方として身になっていないことは、上手に言葉にできない。

20日。
ようやくツアー最終の地に辿り着いた。ポストコロナの時代とは関係なく、我々の音楽活動はコンサートに依拠するところが大きくなった。それゆえの緊張というのがある。音源が活動を支えている時代は、そこでの利益が健康保険のような役割だったとも思う。今はただただ、大事なライブを飛ばしたくないという意味で緊張して暮らさないといけなくなった。ステージに上がればとても楽しいんだけれど。

21日。
ツアーが終わった。風邪を引いて3公演を飛ばしてしまった。観られなかった人には申し訳ないと伝えたい。2時間越えの演奏時間、なおかつキーの高い曲が多いセットリストだった。健康体といえる状況でも歌い切ることに対していくらかの緊張感があった。最終日の公演が終わって、こんなにもホッとしたツアーはなかったように思う。建さんと考えた開演前と終演後のプレイリストを添付しておく。weezerのonly in dreamsからが終演後のBGM。どれも我々が大好きな楽曲で、サーフシリーズへの直接的な影響はないけれども、こうした楽曲に耳をどっぷりと浸した青春時代があってこその「サーフブンガクカマクラ」だったように思う。サーフが好きな人はアルバム『ホームタウン』もぜひ聞いてほしい。こちらも最新型のアジカンのパワーポップを集めたアルバムなので。きっと気に入ると思う。

22日。
田中宗一郎さんたちがやっているThe Sign Podcastに参加した。俺がアジカンをはじめた頃と、その前夜の時代、俺たちが恋焦がれたUKロックはどんな感じだったのかというのを、当時の思い出話なども含めて楽しく話している。音声は有料のドネーション形式になっていて、彼らの活動に使われる。こうしたニッチな音楽語りが広げる裾野も「音楽」の一部なので、ぜひ買って聞いてもらえたら嬉しい。

23日。
肩の疼痛は少しずつ和らぎ、だんだんと動くようになってきた。尿酸値も薬のおかげで平均的な数値に戻り、ひとまず痛風が発症するような血液ではなくなって安堵している。しかし、今年は健康の面でいろいろあった。一時期は、こんなに痛くて苦しいならいっそのこと…みたいな危ないことを考えるくらいに悩んでいた。痛みというのは、本当にひとそれぞれで、難しいし切実なのだと感じた一年だった。

24日。
新曲を発表した。撮影はインドネシアのジャカルタ。インドネシアの多くの人たちはイスラム教徒で、宿泊したホテルの外では毎日、早朝と深夜の真ん中くらいの時間に大きな音で礼拝の音楽(文言?)が流れ、俺はそれで目を覚ましていた。そうした人々の信心深さもありながら、レストランではビールが飲めたりする。モスクは多くの人に開かれていた。メッカに行けない貧しい人々が多いことを考えて、大きなモスクが建設されたのだとガイドの方が言っていた。多様性に対する寛容な感覚があるのかなと思ったけれど、高級ホテルの裏にゲットーがあったり、ブロックごとの建物の経済的なコントラストは決してフェアだとは言えなかったり、富の偏りがあるのは世界中のどの街とも同じだった。ビデオに参加してくれた彼らと一緒に踊った時間はとても良かった。ケラケラとみんなで笑って、何もかも溶けてしまうような素敵な時間だった。こうした曲とビデオをクリスマスに公開することにはもちろん意味がある。あらゆるボーダーに引き裂かれて苦しむ人が世界中にある。ガザでは多くの人が食べるのにも困るような状況を強いられている。市民に対するひどい暴力はそこら中に放置されている。俺たちはともすると、そうした暴力の端っこにいて、気がつかない間に加担していたりする。そんなのはごめんだと思う。自分の立場については、注意深くチェックする以外にない。普段から買ったり食べたり着たりしているものに気をつけて、あるいは自分たちの政府の行いに目を凝らす。俺は音楽家なので曲でも表現できる。こうするべきだ!というプロテストソングも時には必要だけど、こうやって朗らかに踊って認め合う空気を伝播するような音楽を発信することだって、ある種の反抗だと思う。いつかみんなで踊りたい。