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ドサクサ日記 1/17~23 2022

17日。
レコーディングの終盤は孤独な場面が多い。バンドは分業制になりがちだけれど、録音作品にする場合には、分業そのままの演奏を配置すれば良いわけではない。もちろん、それぞれの分業のなかに、自分以外の演奏者や音像に対するアプローチが含まれている。それは縫い代のようなもの。関係性を見直しながら、時には糸を解くようにして分業たちを縫い直す。あるいはそれらを貫くようにして。

18日。
新しいアルバムの録音が終わった。『ホームタウン』での音像の模索を経て、ここ数年の試みを血肉にしつつ、自由に楽しく音楽を作れたと思う。もちろん、楽しいばかりの曲を集めたわけではないけれど。スタジオワークはとても楽しい。楽器の音だけではなくて、生きているこの瞬間の空気をマイクは捕まえている。だから、俺たちがやっていることは、この時代の音を録音しているということだ。

19日。
新しい脚立を買った。というのも、随分前に行った電気配線か何かの工事のときに、脚立がなくなってしまったからだ。ついでに通路清掃用の箒と塵取りも行方不明になった。おそらく、業者の方が間違えて持って帰ってしまったのだと思う。不思議なことに、トンネルを掘るときにでも使うような、ゴムバンドで頭にくくりつけるタイプの小型ライトが残されていた。物々交換ということかしら。

20日。
東京駅の近くのCOTTON CLUBというお洒落な会場でライブ。ヒナッチとマサナオ君のユニットのツアーファイナル。長谷川白紙、井上銘という素晴らしい才能とも一緒にできて最高の夜だった。楽屋でのおしゃべり。その最中に、マサナオ君のライブが一本中止に。自分のことではないが、自分のなかの何かがザスッと削られる。最高な夜があるのは生きてこそ。けれども、けれども。もどかしい。

21日。
「けものたちが言った。きみたちはきみたちのことばでしか考えない。そして、すべてを知っていると思っている。」これは昨夜に読んだ長田弘さんの詩『樹、日のひかり、けものたち』の一節だ。はっとする言葉だ。「ことば」とは比喩でもある。仲間内だけでしか使わないことば。あるいは、自分のなかだけで、自分勝手に編み上げる物事への角度。ことばを投げ捨てて、あなたのことばを感じたい。

22日。
忙しく脳が回転している。昔とは身体が変わってしまって、文章用の脳が働くのは決まって午前中。何かを食べた瞬間、言語野から全てが引き上げる感じがする。ブランチやランチの後は感覚的な音楽の作業のほうが捗り、夕食の後は目の奥から頭全体が弛緩して、動画や音源チェックくらいしかできない。夜中になると言葉のチャンネルが再び開くが、最近は眠気に押し流されてしまう。それが悔しい。