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ドサクサ日記 12/5-11 2022

Masafumi Gotoh

5日。
施術が終わった帰り際、鍼灸院の入口のガラスに思いっきり頭をぶつけて恥ずかしかった。こういう場合、特に急いでいるわけでもないのに、1秒でも早くこの恥ずかしい現場から離れたいとも思っていないのに、そう思っているかのような身体の動きになってしまう。とても不思議だ。そういえば、人間は身体を脳が止めるている構造なのだという文章を読んだことがある。脳より身体が先だなんて。

6日。
イヤーマフを手に持って原宿のオシャレなビルの屋上で佇むという謎撮影があった。イヤーマフの装着が普及して、子供たちの聴力が守られるのは嬉しい。こうした情報を拡散するのに協力したい気持ちもたっぷりと持っている。しかし、髭メガネのおじさんがイヤーマフを片手にビルの屋上で佇んでいたとしたら、通報されるだろう。「笑ってください」と言われたが、笑っていたら余計にヤバいと思う。

7日。
疲れてきたら餃子の王将へ行き、うま味調味料によってはっきりと美味しい一品料理と餃子を注文して食べる。薬局でビタミンB群のサプリを飲み、八百屋で黒ニンニクを買って食べる。あとは気合い。風邪?なんですかそれは、食べ物ですか、そういう気持ちで過ごす。知らん、と。しかし、新型コロナだと困るので一応、抗原検査キットを使う。結果は陰性。明らかな睡眠不足だったので、早い時間に就寝。

8日。
何かの影響を受けるでもなく、この日を個人的国民の休日であると断定してダラダラと過ごした。ともすると休日や平日という暦の概念をどこかに追いやって、際限なく働いてしまう。創作には時給どころか、成果と労働時間に因果関係がまったく見当たらないからだ。一方で、楽器などは練習しただけ上達する可能性が高い。そういったところも我々がワーカホリックになってしまう原因なのかもしれない。

9日。
京阪電車で出町柳まで行った。鴨川デルタで学生と思しき一団がギターを弾いて歌っていた。よく聞くと星野源君の曲だった。随分とオシャレで難しい曲を弾き語るのだなと感心した。ギャラガー握りとかではなく、軽やかにテンションを含んだ和音を鳴らしている。いいなぁと思いながら川を渡って、焼き鳥屋に行き、友人の店にハシゴして、しこたま酒を飲んだ。有意義な話をたくさんした夜だった。

10日。
河合監督が撮影したアジカン25thライブのドキュメント映画の舞台挨拶。その後は取材。帰宅してから、『ぼっち・ざ・ろっく!』というアニメを観た。下北沢シェルターが本物とそっくりで、懐かしい気持ちになった。アジカンが何を成し遂げたのかということは、もっと年寄りにならないとわからないだろう。評価や成果は、死んでからはっきりするような気もする。しかし、いわゆるロックをある種の不良性から奪還(追記:解放と書いたほうが正しいかも)したことはひとつの成果なのではないかと『ぼっち・ざ・ろっく!』を観ながら思った。俺たちはロックが持つある種のドレスコードに反発していた。それは華美な衣装や化粧だったり、革ジャンのイメージだったり、あるいはハーフパンツとクラウドサーフだったりした。デビュー当時は「あんなのはロックじゃない」と散々言われた。傷ついたこともあったが、その言葉こそが燃料だった時代もあった。陰キャという自覚はないけれど(だってそれはドレスコードが仕向けたバイアスとキャラだろう)、拗れていたことは確かだ。今はすっきりと、ありのまま音楽に向かっている。楽屋でゲラゲラ仲間たちとやり合ったテンションのままステージに上がり、俺たちにしかできない音楽を鳴らす。ロックかどうかは本当にどうでもいい。今、自分たちにできることをやるだけだ。良いバンドになったと思う。

11日。
自室を片付けながら、坂本龍一さんの配信ライブを観た。観たというよりは、聴いたというほうが正しいかもしれない。スピーカーから音を出しながら、机の上に山盛りになった書籍を整理して、クローゼットの洋服を仕分ける。時折、坂本さんの顔を画面まで確認しに行く。鳥肌がたった。ギリギリ泣かなかったけど、ずっと泣いていたような気もする。「最後の」と銘打たれてはいたけれど、また近くで演奏を聴きたいなと思った。46歳の俺は死の影のようなものを意識せずに生きている。健康診断で良くない数値が出ただけで慌てふためき、内視鏡の予約をするような臆病な男だ。しかし、いつかこの世を去らねばならないことは知っている。覚悟はできていない。The Beatlesの「In My Life」を初めて聴いたとき、とても悲しいと思った。けれども、この曲が言い当てている悲しみこそが、私たちが生きているということなのだと思った。村上春樹の『蛍』やカズオイシグロの『Never Let Me Go』からも同じフィーリングを感じた。そんなことを思い出しながら、夜中にもう一度、リピート放送を観た。いろいろな表情が過ぎていった。一瞬、若い頃の坂本さんが見えたような気もした。昔、パティ・スミスを観たときにも、そんな瞬間があったことを思い出した。滑らかに、1秒がどこまでも伸びればいいのに。