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ドサクサ日記 7/11-17 2022

11日。
ブライアン・イーノ展へ。シームレスに変形していく音や映像。終わりも始まりもないようなループ。人間も同じだ。数年前の自分とは何もかも違う。現在進行形で、私たちは変化し変形し続けている。考え方も容姿も何もかもだ。福岡伸一さんの『動的平衡』を思い出す。人間という器を物質が通り過ぎてゆく。京都の町を通り過ぎる音。私たちの輪郭について考えながら、猛暑の街を歩いた。

12日。
スタジオで新曲の録音。精神は相変わらず、なんとも言葉にできない重油のような重さに浸ったまま。それでも歌を書いて歌う。不謹慎という言葉は2011年に嫌というほど浴びた。おかげで、そもそも私たちのやっていることには、一般的な慎みなどないのだと思い知った。人前で何かをするということ、表現物を作り公開すること、そこには誰とも関係のない無遠慮な決意がある。それはどう考えても不謹慎だろう。ならば世を捨て無頼を依拠とすれば良いのだが、そうした潔さもない。ひとりの生活者として、社会と関係せずには生きてゆくことができない。ゆえに、社会人としての自分と表現者としての自分の間の断崖を何度も飛び越えてモノを作り、世間からの言葉に社会のなかで撃たれる。敷き詰められた「正しさ」に挑み、張り合うだけの気概があったのか。自問する。これからも断崖を行き来しながら。

13日。
ロストジェネレイションの僕たちにとって、磯部涼さんの『令和元年のテロリズム』は、痛くて暗い時代の暗部を掬い上げるようなルポルタージュだと思う。家族以外のセーフティネットがあれば、孤立も暴発もしなかった魂がたくさんあると思う。「親ガチャ」という言葉は好きではないが、どこに生まれようとも、「自助」や「自業自得」という言葉に本人や家族を閉じ込めずに、社会的な安全装置で守るのが公正な社会だろう。それこそが「政治で国民を守る」ということではないかと思う。明石市長の国会での答弁を思い出す。まずは子供の幸福ありきで考えるべきだと。そのまわりに家族と教育現場があり、地方行政があり、国がある。トップダウンはその逆だと言う。子供たちが最後になる。彼の言う通りだろう。生まれながらに肯定され、生きる場所も術も得られる社会の可能性を考える。

14日。
友人のミックスとマスタリングの手伝い。インディーの現場にいると心からホッとする。鳴っている音楽の切実さの角度が好きだ。今朝方に受け取ったDr.Downerの新譜もそういう音だった。食べていけるだけの仕事ではないけれど、そこにいるだけで、報われたなと思う。生きていて良かったと。もっとも、こうした経験ができるのは音楽を聞いてくれた人たちのおかげであり、感謝している。

15日。
狂気に塗れた誰かが最悪の結末に向かうまでに、踏み留まるチャンスはなかったのか。それを社会の側が用意できなかったことについては、俺も当事者の一人ではないかと凄惨な事件が起きる度に思う。もしかしたら、過去には、途方もなく拗れていくはずだった魂を、どうにか繋ぎ止めたことがあったのかもしれない。そうした可能性は誰にだってある。隣にいる誰かも、全ての縁や繋がりを排除すれば、孤独のまま狂気の淵まで落ちて行くのかもしれない。幸運にも見つけた何らかのコミュニティ。それがどれだけ、私たちを救っただろう。コンプトンのゲットーから、世界的なラッパーが生まれるほどのエネルギーが音楽にはある。ならばそれぞれに、誰かの背中に優しく手をあてるくらいの力はあると信じたい。解放区を歌うと泣きそうになる。五寸釘で自分の運命を呪う誰かの頬骨の水滴を、拭うように歌う。

16日。
大きな駅は旅行に出かける人でごった返していた。一方、テレビやネットでは感染者が10万人を超えたとニュースを何度も見かける。不思議な感覚だ。コンサートツアーを行なっている身としては、ここ2週間、ちょっとした外出でも、とても緊張している。ツアーが中止や延期になることは避けたい。ただ街に出ると、それとは別の人々の心のあり様を感じる。全て丸く収まってくれというのが、丸裸の願望。

17日。
週末の食事を適当に済ませると、なんだかその週の半分くらいを棒に振った気分になる。どうしてかは分からない。土曜なのか日曜なのか、せめてどちらかの夕食は期待をしっかり込めた上で、その期待に応えるようなものを食べて幸福を感じたい。ただ、そうした食欲も度を超えれば、とても卑しいものなんじゃないかとときどき思う。ささやかなことを喜べる慎ましさ。素朴の中心で脱力する。