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ドサクサ日記 5/20-26 2024

20日。
成田からメキシコへ。13時間のフライトを終えて着陸すると、メキシコシティは出発時間より早い、同日の昼過ぎだった。時間が増えたようで不思議な感じがする。でも、帰りにはきっちり失う時間でもあるのだけれど。機材を降ろして、ホテルで食事。翻訳アプリによれば「ハラミ」とのことだったけれど、むちゃくちゃデカくて平たい牛タンのようなステーキを食べて休む。朝4時集合であまり眠れず。

21日。
体感的には3日目だけれど、実質2日目。チリのサンチアゴに向けて移動。フライト中の8時間は爆睡。軽食の時間も目覚めることがなかった。背中がバキバキ。鼻水も出る。着陸前、窓の外に見えた山脈がとても美しかった。アンデス山脈だろうか。地球のほぼ裏側まで来ることができた。感慨深い。何度も来られる場所ではないだけに、あるべく良いパフォーマンスをしたいと思うが、体調というのは管理が難しくて、なんだか不安な気持ちになった。どのコンサートも「外せない」と考えると、プレッシャーで潰れそうになる。年齢もあって体力の回復も遅くなったと感じる。それが自分に緊張を強いる。幸福とはなんだろうかと考え込む。日本のみならず海を越えて、多くの人に自分の音楽を聴いてもらえていることは本当に嬉しい。が、特別な機会だと思えば思うほど、ふとした瞬間に苦しいとも感じる。

22日。
サンチアゴでオフ。ショッピングモールで食事をしてから、スーパーで買い物。水、ノンアルコールビール、果物、カップ麺などのお篭りセットを購入してホテルに戻り、体力の回復に努めた。ビタミン系のサプリを忘れたので、サプリ屋で購入。アメリカ製のマルチビタミン剤は粒が小指の先くらいあって大きい。そして、真っ赤で嗅ぎ慣れない匂いがする。1日ふた粒と言われたが、本当だろうか。

23日。
サンチアゴでライブ。体調も回復。精一杯歌った。9年振り、次はいつ来られるのか分からない、というのは俺も観客も同じで、一期一会かもしれない何かが炸裂した素敵な夜だったと思う。本当は、日本の鳥取でも青森でも北見でも宮崎でも、あるいは東京のどこかの会場でも、そういう可能性はあるのだけれど、地球の裏側っていう環境が、ここまでの道のりが、どうしても特別な気持ちを煽ってくる。初めて下北沢のシェルターでワンマンライブをしたときの高揚感は忘れないが、あの頃の俺との違いは、老い先を予感しないわけにはいかない年齢になったことだと思う。20代の頃は、未来について、ほとんど無鉄砲で無敵だった。どんな可能性もこの先にはある、みたいなことを考えないくらいには可能性の塊を体現していた。今はもう、終わりを考える。自分ではコントロールできない領域も理解している。

24日。
あまり寝られずに朝。どうしようかと悩んだけれど、メンバーと観光へ。ロープウェーで登った丘から見える山脈と街並みがとても美しかった。サンチアゴは思っていた以上の大都市で、関わった人たちはとても親切、沖縄のようなのんびりとした速度で暮らしているように感じた。市内のレコード屋で買ったチリのフォークロアのテープを聞くのが楽しみだ。ワインも食事も最高で、この街が気に入った。

25日。
深夜の便に搭乗してメキシコ到着。ジェットラグでひたすら眠い。気絶しそうになりながらも、メキシコのSONYのオフィスで取材を受けた。お気に入りのアニメ主題歌を聞かれたので、『宇宙船サジタリウス』のエンディングテーマ「夢光年」を紹介しておいた。出身の静岡県は早朝と夕方にアニメの再放送をやっていた。朝は5時半に起きて、朝食まで観るのが小学生のときの日課だったことを思い出した。

26日。
メキシコライブ。観客の熱狂をエナジーの源にしたような、久々に勢いのある演奏だったと思う。メキシコシティは高地なので、空気が薄い。日本でやっている感覚だと直ぐに息が続かなくなってしまう。興奮しつつも、どうやって呼吸をコントロールするのかに気を使いながら歌った。「出町柳パラレルユニバース」はサビでほとんど息継ぎがないので、歌い終わりで意識が遠のいた。アドレナリンが出ていなければ倒れてしまったかもしれない。メキシコには何度行っても、なかなか体験できないような歓声をもらう。真っ直ぐな熱狂だと感じる。こういう風に発露できるのは羨ましい。それぞれと話すとシャイな感じがあるところもいいなと思った。終演後はどっと疲れたので、食事後は倒れるように寝た。地元のサッカーチームが優勝したらしく、街中はお祭り騒ぎだった。阪神優勝の道頓堀みたいな雰囲気。