藤本タツキ長編読切『ルックバック』何かに絶望した人の背中を押す現代のアート
『チェンソーマン』の作者、藤本タツキ先生の新作長編読切が『ジャンプ+』で無料公開された。
まだの人は、まず読んでほしい。
まぁ大したネタバレでもないんですけど、
というか僕みたいな素人が語るなんてめちゃくちゃ恐れ多いし、
そもそも公開1日でSNSでは素敵な感想や考察が大量に投稿されている、
でもこれを読んで黙っていられる人っていないんじゃないかな。
少なくとも僕はそうだった。
いてもたってもいられなくなった。
だから今、noteを書いている。
このマンガはセリフが少ない。
「表情」から、「コマ割り」から、読者の数だけ解釈ができる。
僕の解釈は人とずれているところがあるかもしれない。
というか絶対にある。
でも、これがアートなんだと思った。
自分なりに思ったことをマンガ内のセリフを引用しながら綴っていく。
「ちゃんとした絵を描くのってシロウトには難しいですよ?学校にも来れない軟弱者に漫画が描けますかねえ?」
不器用な人間がたくさんいる。
きっと自分もそうだろう。
放送系の専門学校に通っていた。
お笑いが好きで、バラエティ番組制作に興味ありその道に進んだ。
高校時代からお笑い芸人の深夜ラジオを聴いており、メールがたくさん読まれていた。いわゆるハガキ職人的なことをしていた。
高校時代は1軍には属さなかった。
属せなかったが正しい表現かもしれないが、いずれにせよ入るつもりはなかった。
奴らを下に見ていた。
同級生の女子が笑っている。
昨日テレビで見たお笑いの真似っこ?自分で考えてないネタをさも自分が作ったかのようによくできるなあいつら。
そんなことを思って、一歩後ろからそいつらを見ていた。
自分は違う、ラジオで芸人を笑わせている。自分で0からネタを作っている。お前らとはステージが違う。5年後見てろ、お前らはつまらないことがすぐにバレる。笑ってくれているのはお前が面白いからじゃない、ただ友達だから、理由はそれだけ。
専門学校に進んでもそのスタンスは変わらなかった。
群れることを嫌い、1人で黙々とネタを作った。
同級生の意識の低さが嫌いだった。
遊びに来ているのか?学ぶつもりはないのか?
講師たちの育成が自分にあってなかった。
そんな知識だけのために僕は高い授業料を払ったわけじゃない。テクニックを教えてほしかった。
そんな専門学校、もちろん卒業を迎えることはできなかった。
「京本の絵と並ぶと藤野の絵ってフツーだなぁ!」
二十歳そこそこの頃、狂ったようにラジオにネタを送っていた。
すごく楽しかった。別にお金になったわけでもない。でも、自分の好きなパーソナリティが笑っている。ラジオの向こうで誰かが笑ってくれる。それだけで充分だった。
そんな活動が功を奏し、数回プロの芸人さんにネタを書かせていただく機会ができた。
高校時代、専門学生時代の奴らに「ほら見たことか。俺はお前らとは違う。俺はプロに認められたんだ。」と傲慢になっていた。
でも、横並びにいた他のハガキ職人を見て絶望した。
そこには僕よりも遥かに面白いネタを書く人がたくさんいた。
狭いコミュニティーで偉そうにしていたのが恥ずかしくなった。
世界は広かった。上には上がたくさんいた。僕は才能に恵まれていたわけじゃなかった。
「中学で絵描いてたらさ…オタクだと思われてキモがられちゃうよ…?」
アニメやアイドル、お笑いに自分の時間を費やしていると本当にモテない。
そういえば中学高校時代も話し相手は少なかった。
同級生は皆、スポーツやらバンドやらに夢中だった。
そして、その人たちの周りには人がたくさん集まっていた。
それでも気にしたことはなかった。
自分の好きなものを捨ててまで、何かを欲しいなんて思わない。
「私…藤野ちゃんに頼らないで…1人の力で生きてみたいの…」
最近、フリーランスや起業に興味が湧いた。
僕は会社員であることが嫌になったわけではない。
会社員とはいえ、ギリ好きなことを仕事にしているような気もしている。
でも自分の好きなことをただ発信する、表現することにもっと一生懸命になりたくなった。
「おー 京本も私の背中見て成長するんだなー」
今、YouTubeをやっている。
専門学校時代の友人と2人で始めた。
学生時代、僕を「面白い」と言ってくれた数少ない友人だ。
僕が無理矢理誘ったような感じで活動を始めた。
お互い本業をやりつつ、ひっそりとYouTubeをやっている。
僕が上に立ってひたすら、友人を伸ばすようにしている。
でも実は僕が背中を押されているだけかもしれない。
もしかしらら押されてすらなく、背中を追いかけているだけかもしれない。
ただどっちが重要とかではない。
自分が、自分たちが成長できている。
それが実感できているかだ。
「描いても何も役にたたないのに…」
エンタメは多くの人の命を支えている。
当たり前すぎて気がついていない。
でも僕はアニメ、マンガ、アイドル、お笑いを失ったら死んでもいいかもしれない。
エンタメが不要なわけがない。
むしろ最重要だ。
エンタメがどれだけ多くの人を生かしているか。
「じゃあ、藤野ちゃんはなんで描いてるの?」
なんで僕はラジオにネタを送るようになったのか。
なんで僕はYouTubeを始めたのか。
過去の誰かを見返したい?
そんなわけがない。
ただ目の前で笑ってくれる人がいるから。
僕のことを「面白い」と言ってくれる人がいる。
それだけだ。
自分と照らし合わせただけでもこれだけ考えさせられる。
もっと視野を広げれば、このマンガにはもっとメッセージがある。
公開日は7月19日であったこと。
主人公の苗字に「藤」、友人の苗字に「京」の字が入っていること。
藤野ちゃんは不器用で友人付き合いを捨ててまでマンガに打ち込んだこと。
連載後はアシスタントは付けずに1人でマンガを描いていたこと。
ずーっと、同じ場所で同じことをしていること。
もしもの世界線でも描かれたのは現実と大差がないこと。
過去を振り返り怒り苦しんでも、意味はないこと。
過去を忘れずに、思いを背負って前に進まなくちゃいけないこと。
たくさんの想いが詰まっている。
長編とはいえ、たった143ページでこの読み応え。
「すごい」としか言葉が出なかった。
1回読んで、なんかいてもたってもいられなくて。
Twitterで感想や考察を見て、そんな解釈もあるのかと知って。
2回、3回と読んでまだ新しい発見があって。
他にもあるんじゃないかなって4回5回と読んでいた。
何かしら活動をしていると、評価に心が折れそうになることがある。
でも前を向いて進めそうだ。
Don't Look Back in Anger
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