文章を書くことが恥ずかしいのだろうか
結論から言うと、文章を正しく書かなければいけない、失敗してはいけないと思うから文章の一文字さえ打ち込むことができないのだと思える。
つまり、本人のプライドに傷が付くから投稿すらできないのである。
大丈夫。良くも悪くも他者から見える自分というのは情報があまりにも少なすぎるからそこまで気にする必要はないよ、と伝えたい。
僕自身のnoteで登録した名前はmiyamoto。本名かペンネームかそもそも判断ができない。リアルの知人だったら分かるかもしれないけれど、ネット上だったら確認する術がない。もはや、現実でさえその名前が本当なのかという疑心暗鬼に陥るほど情報は流れてない。これはネットも現実も同じだと思う。
加えてここは学校の授業ではないから採点はされない。
国語や古文の成績が悪くても文章を書く権利自体は誰でも持っていることになる。読まれるかは別だが。
ただ、誰に需要があるかなんて分からないこともある。
心が弱り切っていてその言葉をかけて貰える、または同じ言葉を探して共感するだけでも救われる人はいるかもしれないということ。
誰かのヒーローに知らず知らずのうちになっていることもあるのだ。
フィクションである漫画キャラクターの言葉が浸透するように良くも悪くも誰かに影響を及ぼす事もあるのだ。
こう思うと始めた方が得ではあるという事である。
誰かが書いた夢小説がその人の心を満たすかもしれない。新しい作家の卵を作るのかもしれない。
自分の影響力に過信しすぎかもしれない、それは冒頭で言った自分で思っている以上に情報が流れていない事にも伝わると思う。
そもそも、「本名なのかペンネームなのかそれすら情報は伝わってないよ」
そう思うとそれはそれで人は自分に対して、情報が心の中まで覗かれている前提で話しているようなものになる。エスパーがこの世界にいるなら話は別だが。
なんにせよ、行動に移さないと伝わるものも伝わらない。
公開するのか、非公開にするのかというだけでも話は変わってくる。
誰かを救えるかもしれないし、誰かの敵になるのかもしれないが、誰だって文章という心のメッセージを書いていいのだと自分は思っている。
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