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中島敦と「再会」し吉行淳之介を「卒業」した瞬間

こんにちは彭城吾朗(さかきごろう)です。

みなさんお元気ですか。

八日ほど更新してなかっただけですが、
なんだか記事書くのがやけに新鮮に感じます。
なぜでしょう。

本日は文学の読書の話を。

高校の現国の授業で「山月記」を学び、
「なあんか、この作家、いいでないかい?」と興味をもったのが、
中島敦を好きになった瞬間でしたが、
それももうジャスト三十年も昔のことになります。
その、三十年も昔に、
ちくま文庫の中島敦全集1巻を購入し、
それから三十年(一度手放して買い直ししてますが)ずっと傍らにあった本だったたのですが、
収録作の一つである中編「光と風と夢」を、
私はこの三十年間読んでいませんでした。
それを、
先日意を決して(読書下手なので長い小説とか読む際はけっこう覚悟が要る性分です)読破しました。
結果、
ありふれた表現をすれば、
とっても感動しました。
久しぶりに感動する小説と出会ったという感慨でした。
中島敦というと博学で難しい漢文調の文章が有名ですが、
彼の知性というのはぜんぜん嫌味にならず、
頭に気持ちよくスーッと入ってくるんですね。
「光と風と夢」は、
スティーブンソンの伝記小説という形をとってますが、
スティーブンソンの発言が多くの場合中島敦の本音の現れとして読むことができます。
作品の中で文学、芸術、人生に対する彼の考え方が頻繁に表現されていて、
それを読み知ることがとても有意義で面白く、
あとは、
作品の重要なテーマである西欧文明批判にも共感しました。
そして何より、
見事な敦の文章力。桁外れの想像力。
小説を読み進めていくうち、
この作品は自分の小説のレベルアップのヒントになるかもしれない?
と直感的に感じました。
ベタな言い方になりますが、
「なにか面白くていい小説ないかなあ」と思ってた方に、
「光と風と夢」は是非お薦めです。
読み終えたときにまたすぐもう一回読み返したいと思わせる作品でした。
手に入れて三十年後に初めて読んだこのタイミングも、
自分にとって何か意味があったのかもしれません。

この夏、
「光と風と夢」を読む前に、
吉行淳之介の短編を十篇以上集中的に読んでいました。
しかし、
一つも楽しく読めたものがありませんでした。
「あれ、自分、吉行ファンだったはずなんだけど・・・」と自分を疑いました。
自分が小説を書くようになったのが二十七歳のときなのですが、
ちょうどその頃吉行の小説を初めて読み彼の文体が好きなって、
以来好きな小説家は誰と聞かれたら太宰と吉行の名を挙げていました。
それが今になってみるとぜんぜん楽しめない。
なぜかと考えましたが、
一種の卒業をしたんだと思います。
吉行というと、
東大入る頭脳もっていて娼婦遊びにのめり込んで女にモテモテだった色男インテリ不良作家ですが、
若い時分には彼のそういった人間像作家像に憧れがあったんだと思います。
それが、
年取って己の性衝動も衰え、
そういう人間への憧れも減り、
吉行を偶像視できなくなったのかもしれません。
ただ、
彼の女性観には共感する部分が依然としてあって、
彼が描くある種の哀愁を感じさせる女性に私は今も惹かれます。
小説ではなくエッセイですが、
吉行の「香水瓶」という作品は今でも大好きです。
あんなエッセイが書ければと思います。

とまあ、
ひと夏で経験した読書事件を書いてみました。

中島敦と再会し、吉行淳之介を卒業した夏。

今後の自身の執筆にそれがどう影響するか、
自分で楽しみです。

以上。








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