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《書評》三分の二を二回続けて選ぶ確率は九分の四である

まとまってないけど、書きます。

「朝井リョウ著『正欲』」を読んでたので、感想を書いていきます。
ただ、タイトルには書評をいう言葉を使わせてください。
一部、ネタバレになるかもしれませんので、ご容赦ください。(1,492字)

【多様性ではなく個性の尊重】

”多様性”をテーマに書かれている小説ではありますが、個人的には「個性の尊重」という風に捉えました。この解釈自体、ボク自身が多様性を否定していると思われたら嫌ですが…。
というのも、この小説に圧倒されてしまお”多様性”という言葉を簡単に使えないような気がしたからです。

ボクの感覚ですが、”多様性”、作中ではフェチという言葉も出てきますが、フェチについては3つの視点から話が進んでいきます。
①「子供のYouTuber活動を受け入れられない父である検事」、②「自身を多様性の理解者とする同級生」、③「誰にも言えないフェチを抱える寝具店の店員」というように。
言い換えると、①「マイノリティなんて絶対認めんぞ!という法律家」、「②話せばわかるよ!私だってそうだもん!と自称理解者である女子大生」、③「どうせみんなわかってくれないでしょ?と諦めている一般女性」みたいな感じでしょうか。
個人的には、この3つの視点が絶妙で、真剣に読めば読むほど自己嫌悪—ただマイノリティをバカにすることがないだけで、理解しようとはしてないし、結局自分も「まとも側」にいたい人間なんだ—に陥りました。

そして面白いのが、視点②③と接点のある人間が捕まってしまうこと。
きっかけはあり、うまく生きていけそうなところでの挫折。マイノリティの方がうまく生きていけない結末が描かれていて、よりリアルでゾワッとしました。

ボクは「世の中にはこんな人もいるんだ、だから認めていこう!」という前向きな社会の流れにはついていけそうにありません。
だからボクなりのやり方で、自分と接点のあった人は大切にしたいと思います。
相手を認めるだなんて、考えていません。この発想自体が「まとも側」の考え方と思いますので。
きっとこれが「でも、まとも側にいたい」と考えてしまうボク自身の正欲ですから。これが作中にある「矛盾(P324)」なのでしょう。

【言葉にできない「表現力」】

本作品、いっぱい線を引いちゃいました。あ、ボク、本を読むときに躊躇なく線を引けるようになりました。(笑)
さて、話を戻すと、好きな表現の中で1番がこれです。

まとも側の岸にいたいのならば、多数決で勝ち続けなければならない。
(中略)
みんな本当は気づいているのではないだろうか?
自分まともである、正解であると思える唯一の依り所が”多数派でいる”ということの矛盾に。
三分の二を二回続けて選ぶ確率は九分の四であるように、”多数派にずっと立ち続ける”ことは立派な少数派であることに。

『正欲』P324(強調引用者)

ここ読んだとき、体調悪くなりました。

正直、表現だけだった読めたんです。エグッ、って。
ただこれ、「数値化」しちゃってるんですよね。
個人的には、数値=絶対だと思うんです。言葉の重みが増すんです。
だからこの表現には、体調が悪くなったんです。元気最高潮が100だとしたら、ほぼ0になった通りに。

ボクは作家でもないですし、日ごろから文章を書いている訳でもないですが、こういった表現ができるようなりたいなと思いました。

とか言ってしまうと表現の格が下がってしまいそうで嫌ですが、なんとなく考えていること・思っていることが目の前で「具現化」「表現」されたとき、ボクは本を読んで良かったと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
また、書きたいと思います。

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