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薄暗がり

夜、私たちは海岸通りを歩いた。押し寄せる波の向こうの暗闇、海面に漂う赤い光を見る。それがポツポツ見える。漁船の灯りだろうか。人魂のようで綺麗だった。

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アルメニア出身のジャズピアニスト、Tigran Hamasyanの最新アルバムを聴きながら本を読んでいると、次の一節が目に入る。

人間の心の営みはすべて薄暗がりのなかの動きだ。われわれは自分が何者なのか、あるいは、自分を何者と思っているのかまったく確信がなく、意識の黄昏のなかに生きている。

ポルトガル出身の詩人・作家フェルナンド・ペソアが、"帳簿係補佐ベルナルド・ソアレス"になりすまして書きためた多くの断章から成る『不安の書』。その47番目のテクストである。この"ベルナルド・ソアレス"は、ペソアが創り上げた架空の人格を持つ『異名者』の一人である。彼は70人以上の『異名者』を創作し、それぞれになりすまして文章を書きためた。

ペソアは生前はほぼ無名であったが、死後にトランクいっぱいの膨大な遺稿が発見され、20世紀前半のヨーロッパを代表する詩人となった。ポルトガルでは今や国民的な作家で、彼の肖像が紙幣になったこともある。

47番目のテクストは、次のように続く。

われわれのなかで最良の者にも、何かについての虚栄心があり、われわれの知らない角度の誤りがある。われわれはショーの合間に行われる何かだ。時によると、あるドアから、おそらく舞台に過ぎないものをかいま見る。全世界は、夜陰に消えてゆく声のように混乱している。

”薄暗がり”、”ショーの合間”、”舞台”。この3つの単語によって、Tigran Hamasyanの5番目のアルバムタイトル”Shadow Theater"のことが思い出された。2013年の作品である。懐かしくなり、Youtubeでこのアルバムの1曲目のPVを探した。

画面をスクロールしたら、最上位に表示されたコメントにはっとする。6年前の声が、私たちの耳に届く。今。

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姉妹がピアノを連弾しながら歌うKitiriの音楽を聴いているときも、Tigran Hamasyanの音楽を思い出す。

郷愁と不安がないまぜになった世界観が似ている気がする。京都とアルメニア、おそらく生まれも育ちも全く異なるであろう二組のアーティストの音楽が似ている(ように感じる)ことを面白いと思う。楽典などの知識があれば、音楽の構造上の類似点などを見出すことができるのだろうか。その知識がない。

最近出たKitriのカバーアルバムとTigran Hamasyanの新譜を交互に流していると、部屋が異郷のように感じる。私たちは意識の黄昏のなかに生きている。

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