お金がモノから数字へ変わったことについて
久しぶりにスーパーで現金を支払った。
最近はほとんどスマホでピッ!それが使えなければクレジットカード払いという生活だった。
私が現金で支払うのは図書カード代ぐらいかな?
出したお札が小銭になって返ってくる寂しさを、久しぶりに感じた。
「失った何円かと引き換えに食材を手に入れた」
という実感が湧く。
キャッシュレスに慣れる前の買い物で、毎回そんなことを感じていたわけではない。
ほとんど現金を使わなくなった今。現金を使うことを特別になった今だから、こんなことを思ったんだろう。
お金がモノから数字へ変わる
子どもの頃は貯金箱の重さが、自分の貯金量を教えてくれた。
今、教えてくれるのは家計簿アプリに並ぶ数字だ。
最後にはいっぱいになる貯金箱と違い、数字に限界はない。
1円単位で増減していく自分のオカネに、ある日は満足し、ある日は不安を感じる。お金の実態はなくなったが、数字はより強く意識するようになった。
お金を使うときには、減ったお金よりも残りのお金のことが気になるようになった。
毎月お給料をいただいた後、食費や日用品など項目ごとに数字を振り分ける。そこから日々、数字が引き去られていく。
キャッシュレスにして管理はしやすくなった。記録をしているからクレカ払いだからといって使いすぎることはない。
始めはあんなに警戒していたのに、気がつけば便利なキャッシュレスにすっかりはまっていた。
だけど、お金を使うときの実感は、やっぱり現金の方が大きい。
それは使うときだけではない。もらうときにも同じだ。
お正月、開けるたびにワクワクしていたポチ袋。
遊びに行った帰りにこっそり渡される包み。
机の下でシャカシャカと降った貯金箱。
やっぱり手に持つということは、わかりやすくお金の存在を感じさせてくれる。
令和が現在。平成が過去。
私に子どもができるころには、どんなことがフツウになっているのだろうか?
私たちが昭和の話を聞いて驚いたように、平成の普通が驚かれるようになることが簡単に想像できる。
今の普通が変わるなんて、少し前には想像もできなかったのに。
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