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好きなモノ

「好きなこと、ハマっているものを書いてください」という課題が出た。

課題が出てから、今日で10日。思いを巡らせて、ペンを握っては置き、やっぱり違うモノについて書こうと、また逡巡する。いまも、結局お題そっちのけで毎日noteの更新をしている。ごめんなさい。

思い当たるモノはどれも、自分の好きなものとして書くには、情熱が足りない気がして、うまく書けない気がして、踏ん切りがつかないのです。

今朝も電車の中でいろんな人のnoteを見ながら、私は何が好きなんだろうとガタゴト考えていたのだけれど。少ない脳みそをフル稼働させて弾きだしたのは、はて、私は何と比べて“情熱が足りない”と思っているのだろうという、疑問だった。

漫画、料理、家族、友人、小説、洋服、テニス、温泉、ドライブ、YouTube、コスメ……

ああ、あと絵本も、好きだ。実家に帰るとたまに屋根裏部屋を漁って、無償に読み返したくなる。漫画も、小説も、映画も音楽も、同じ。好きなモノって、繰り返し繰り返し見て聞いて触って「ああ好きだ。おもしろい。懐かしい」って、確かめたくなる。いまここに存在している自分は、自分の好きなモノと、そこに付随する思い出で構成されているから。だからたまに、自分がどんな成分でできてるのか、確かめたくなるんだと思う。

これは最近気づいたことだけど、そこに付随する思い出が、あまりにも苦しかったり、悲しかったり詰まらないものだと、本来「好き」であるはずのものを、「嫌い」だと錯覚してしまう現象が起こる。側から見ていると私がとっている行動は「好き」を体現しているのに、当の本人が「嫌い」だと思い込んでいる。認知の歪みみたいなものが、発生するのだ。

私が、好きだけど、嫌いなもの。なんだろうな。

思い当たるモノが、ひとつだけあった。だれかの興味を引くとは到底思えないけど。うまく伝えられるのだろうか。情熱も、もうとっくに冷めてしまった気もするけれど、どうだろう。思い出したくもない、嫌いなモノ。

苦しい思い出も嫌な思い出もいっぱい連れてくるモノ。リセットボタンがあったらすぐさま押して、まっさらな気持ちで、出会い直したい。

そろそろ好きを、取り戻せるだろうか。

息を吸って、吐きます。