見出し画像

たとえ家族であっても自分の価値を下げる人と離れる

わたしは7年前、38歳くらいまで母親と妹ととても仲良しだった。

ことあるごとに電話したり一緒にランチしたりしていた。

なにかあれば一番に母か妹に相談した。

わたしたちはとても仲の良い親子、姉妹だと信じて疑わなかった。


そんなある日、わたしは自分の内側と向き合わなくてはならなくなった。

夫の依存症が日に日に重くなり、夫の憎しみは一心にわたしに向かった。わたしは精神的に追い詰められていた。

なんとか夫を治そうと奔走してきたけれど、夫は一向に良くならないどころかどんどん悪くなって、それをわたしのせいだと責めた。

あまりにも追い詰められたある日、わたしは気付いた。

「わたしは夫を変えることはできない」と。


そして初めて自分自身と向き合うこととなった。

わたしはなにが嫌で、なにが好きなのか。
なにをやりたくて、なにをやりたくないのか。
どうなりたくて、どうなりたくないのか。
どんなとき幸せで、どんなとき悲しくなるのか。

そうやって初めて自分の気持ちと向き合っていったとき、気付いたことがある。


それは母と妹といると、心が削られるということ。

仲良しで大好きだと思っていたふたり。
でも一緒に時間を過ごしたあと、わたしはいつも必ず悲しくなった。腹にどす黒いものが溜まっていった。

それはなぜかと考えてみたら、母も妹も味方のようでいて、いつもわたしを否定していたからだった。

母と妹といると、わたしはいつでもドジでノロマで生真面目で融通が利かない扱いにくい子だと思い知らされた。

どんなにがんばっていても、いつもやんわりと否定された。

そんなふうに扱われると、自分は本当にダメな人間だと自己評価がどんどん下がっていく。


母と妹はフレネミーだった。


あるとき、意を決して母と妹と距離を置いた。
もうこれ以上傷つくのは無理だったから。
夫との死別でわたしは心身ともに限界まで弱っていた。心を抉られてるのにヘラヘラ笑って痛みに気づかないふりをして持ち堪える体力が、わたしにはもう残ってなかった。

たとえ家族であっても、自分の価値を下げてくる人と一緒にいるのはしんどい。自分をいじめる行為にほかならない。

家族と距離をとることは罪悪感を感じる。とても悪いことをしているような気がするし、自分の味方が減ってしまって不安だし悲しくもある。

それでも、自分の価値を下げてくる人とは一緒にいられない。

それはわたしがわたしを大切にする決意のようなものだ。


わたしは、たまたまあの家族に生まれてしまったけれど、あの人たちと同じ種類の人間じゃないんだ。

それを受け入れて今は離れるしかない。

そのうちまた楽しく話せる日が来るといいな。
でも今はわたしはわたしを守る。
わたしを傷つける人とは離れる。

それが今わたしがわたしのためにできること。

ここから先は

0字
わたしの経験と気づきを赤裸々にお届け。 有料記事3つ読むならこちらのほうがお得! ちょっとしたおやつ食べたつもりで 気軽によってってくださいな。 1記事68円以下だよ〜

わたしの人生のテーマであるセクシャリティー、毒親、癒し、統合、死別、共依存などについて綴ります。目標月10本以上更新。みなさんの応援がわた…

うれしくて涙がでるよ