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からだの境界線を守っていい/両親の性的なボディタッチから学んだ間違った思い込みについて

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わたしの父親はこどもの前で、母親に対して性的なボディータッチをする人だった。

家族でテレビを見ているとき、もしくはみんなで夕食を囲んでいるときに、突如としてそれは起こる。父親が母親のおしりや胸をいやらしく触るのだ。

母親は当然怒る。わたしたちこどもも父親に抗議する。それを見て父親が笑う。

家族団らんの楽しい時間‥‥



え?それって楽しいことなの?
わたしはそれを見て楽しかったのだろうか?
いや、楽しくなかった。とても不快だった。
母親は冗談めかして怒っていると言うよりは本気で憤慨しているように見えたし、そんな母親を守ろうとわたしは必死で父親に抗議した。
でも父親は「そんなに怒るなよ〜」なんて言いながら笑っているから、まるでそれは面白い冗談のようにそこに存在していた。

わたしが育った家には健全なスキンシップは存在しないのに、不思議なことに性的なスキンシップだけが堂々と存在していた。



そして時は流れ、わたしは大人になり結婚をして同じ状況に出会うこととなった。
わたしが家事をしているとき、もしくは育児をしているときに、夫がわたしをおしりや胸をいやらしく触ってきたり、キスしてきたりした。
それは一生懸命育児や家事に励んでいる戦闘態勢のわたしにとって、信じられないほど不快な出来事で、怒りが骨の髄まで沁みわたり全身が痺れるほどだった。
でも夫はヘラヘラ笑っていて何度言ってもやめてくれなかったし、まるで怒っているわたしがおかしいような、そんな気さえしてくるのだった。

わたしは夫を父親と重ね軽蔑すると同時に、自分の姿を母親に重ねて、そんなことで本気で怒る自分にも不快感を募らせていた。それを笑って受け流せない狭量なじぶんを責めていた。


そこには、こんな間違った思い込みがあった。

結婚するということは、
じぶんが不快に感じるときにでも
からだを開け渡さなければならない


家事や育児をしている最中に、デリケートな部分を許可なく触られること、これは普通に怒っていいことだ。セクハラだ。からだの境界線を完全に逸脱している行為だ。


例えばこう考えてみると男性もわかりやすいかもしれない。

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うれしいです!!!!