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「先生」というフィルターを外す/先生よりも自分を信じていいと決めた日

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わたしはどうしても自分を信じるチカラが弱い。

それは幼少期

おまえが間違ってる
おまえが悪い


というメッセージを与えられ続けたから。


未熟な父親は、小さなわたしのおしりを渾身の力を込めて叩いたし、
そんなわたしを母親は助けなかった。
そもそも母親はわたしに関心がなかった。


そんな環境を生き延びるためにわたしは

親ではなくわたしが間違ってる
悪いのは親ではなくてわたしなんだ


そう思い込むしかなかった。


その信念は大人になってからもわたしにしっかりとわたしの中に息づいていて
ことあるごとに自分よりも他人の意見のほうが正しいような気がしてしまう。

自分はどこか間違ってるんじゃないかという不安を抱えながらずっと生きてきた。



さいきんはその癖を自覚しながら、自分の感覚を優先することを心がけていた。

しかし、どうやらそんなわたしが苦手なシチュエーションがあることに最近気づいた。

それは相手が「先生」という名のつく人の場合だ。




とかく「先生」と名のつく人に対しては、とくにその思い込みが強く発動した。

先生」といっても昨今の先生は本当にピンキリで、たくさんの修行と経験を積んだ尊敬に値するレベルの本物の「先生」もいれば、ちょっとオンラインで資格をとっただけとか、修行することなしになんとなく開業しただけ、なんていうなんちゃって先生」も今はとても多い。自分でもやってみたことがあるから分かる。分子栄養学の資格をとって講座をひらけば、わたしはたちまち「先生」になれたし、ヘッドマルマの資格をとって開業すれば簡単に先生になれた。いまは自称すれば簡単に「先生」になれる時代なのだ。


それでも「先生」という名前がつくと、わたしのセンサーは簡単にバグってしまう。ただでさえ自分が間違っていて他人が正しいという思い込みを持っていて他人を信じやすいのに、「先生」というフィルターがさらにわたしを無防備にさせた。

まず起きたのはこちら


よくよく過去をふりかえって考えると、わたしは騙されやすいわけじゃないんだよね。このときオカルトヒーラーに騙されたのは、わたしが最高に弱っていたからなのと、オカルトヒーラーが治療院の「先生」という立場だったからなんだ。

まさか「先生」という立場の、しかも老年の男性が性犯罪をするなんて、そのときのわたしは夢にも思わなかったんだよね。



そしてもう一件がこちら

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うれしくて涙がでるよ