見出し画像

発達障害は需要と供給

残り10

きのうthreadsにコメントがついていたので、きょうはそれについて。

わたしの大切な人は発達障害だけど悲しみに寄り添ってくれます
発達障害の人の人に対して誤解がうまれないような書き方をしてほしい

という趣旨が悪い感じはなく、丁寧に書かれていた。

たしかにわたしは親や夫と心が通じなかった悲しみについてよく書いている。
「カサンドラ」という言葉を使って。

わたしの母と夫は発達障害だった。
ASDというコミュニケーションの障害。
わたしは「共感」を求めていて、母と夫は「共感」することができない特性を持っていた。

それはあくまでわたしの経験の話であって一般論ではない。あたりまえだけど、発達障害の人を糾弾しているわけでもない。なによりわたしも発達グレーだし。

発達障害はグラデーションだとよく言われるように、特性の表れ方は個人差がとてつもなく大きい。色々な発達障害がミックスしていることが普通だし、その濃度、強度、表れ方はひとそれぞれだ。
だから人に寄り添えるASDの人もいるのかもしれないし、落ち着きのあるADHDの人もいるかもしれない。
その人とその周りの人たちが困っていなければなにも問題ないよね。

わたしは発達障害の人が問題だと言いたいわけじゃない。
わたしが言いたいのは「わたしは場所を間違っていた」ということだ。

求めているものを「絶対に得られない場所で」求め続けていたことが問題なんだ。


例えば「共感」を1〜10の指数で表せるとして、

ここから先は

876字
この記事のみ 残り10/10 ¥ 200

うれしくて涙がでるよ